ACT 29












「・・・舵!」

七星が一気に病院の階段を駆け上がり、舵の病室に飛び込んだのは、もうすっかり日の暮れた時間帯だった

だが

そこにはきちんと整えられた白いベッドが一つ、非常灯が照らす薄闇の中に浮かんでいるだけで人の気配が無い

「え・・・?」

茫然とした感のあった七星が、ちょうど通りかかった看護婦に部屋の住人について尋ねると・・・

「あ、この部屋の方なら少し前に退院されましたよ。どうしても帰ると言い張って・・・」

その言葉が終わるかどうか・・という間に、七星が後手に『走らないで下さい!』という看護婦の声を聞きながら、病院を飛び出していった

舵のマンションの場所は知っている

電車を乗り継ぎ、七星が舵のマンションの部屋の呼び鈴を鳴らす

けれど、ここでもそれに答える人は居なかった

「・・・っくそ!どこ行ったんだ!?」

七星がガンッとドアに拳をぶつける

こんな時、あの舵からもらった・・携帯番号の書かれたメモがあれば・・!

七星が悔しげに唇を噛む

昨夜、確か・・・握ったまま寝入ってしまったはずなのに

どこかに落ちているだろうと思ったそのメモは、結局見つけることが出来なかったのだ

「・・・でも、自分で出ていったって事は、そんなにひどい怪我じゃないって事だよな・・・」

走ったせいで、今だ落ち着かない呼吸を落ち着けるように、七星がハァ・・ッと大きなため息を落とす

ふと視線に入ったドアノブに、七星が妙な違和感を感じて手を掛けた

『・・・・カチャン』

乾いた・・軽い音と共にドアが開いた

「・・・え!?」

一瞬、躊躇した七星だったが、思い切ってドアを引き開けた

ドアの中は真っ暗で、シ・・ンと静まり返っている

人が居るような気配は全く感じられない

「・・・鍵の掛け忘れ・・?無用心だな・・・」

手探りでスイッチを探り当て、パチン・・っと明かりを付けた

途端・・・!

「・・っ!?なに!?これ・・・!?」

明かりの付いた中へと続く廊下に、ありとあらゆるものが散乱していた

「泥棒・・!?」

七星の背筋に冷たい汗が流れ落ちる

舵の怪我・・・

部屋の散乱・・・

白石が言った、舵が持っているという証拠のテープとメモリー・・・

「・・・嘘・・だろ?こんな・・・!」

あのパパラッチならこれくらいやりかねない

今まで、自分たちに対して何か仕掛けられることはあっても、自分たちと関わったせいで他人に被害が及んだ事など一度もなかった

それは、今までの対象が北斗であり、直接北斗と関わりがあるのが兄弟以外に居なかったからだ

だが今回は、最初から対象が違っていた

今回の対象は、北斗絡みではあったけれど・・・七星自身だ

今までずっと、どうして父である北斗が滅多に日本へ帰国しないのか

どうして以前のように頻繁に、七星たちを仕事先に呼び寄せたりしないのか

ずっと・・・疑問で不満すら感じていた

その理由が今、七星には、はっきりと理解できた

マスコミの中でも北斗は家族と繋がりが薄く、父親としての役割を放棄しているという評価が強い

加えて、絶え間なく流れる男女を問わぬ噂話

本当はそんな事でたらめで、その評価や噂とは全く逆だ

なのに北斗はずっとそれを否定も肯定もせず、むしろそんな評価を定着させるかのような言動を吐いて来た

それは、こんな風に・・・自分絡みで他の誰かが傷つくのを防ぐため・・・

本当はアル以外に関心がないくせに、わざと噂話の種を撒いていくのも、特定の相手などいないと思わせるため・・・

そこまでしないと守りきれないという事を、北斗が自覚していたからこそ・・だ

それに較べて自分はどうだ?

今回の事は、はっきり言って母親の・・・華山家側の内情が絡んでいる

他の3兄弟や北斗には関係なく、七星自身が標的

そんな華山家絡みの事など、自分には関係のないことだと思い込んできた

・・・・『関係ない?どう関係ないの?』・・・

そう、問いかけてきた麗の言葉が七星の脳裏に甦る

・・・そのとおりだ

関係ないはずがない

現に今、こうして舵の部屋は荒らされ、舵は怪我を負わされた

「・・・バカだ・・・俺・・・」

舵は裏切ったのではなく、自分を守ろうとしてくれていた

それが分かって、舵を失わずに・・・切り捨てなくて済む・・と安易に喜んでいた

けれど

本当に失いたくないなら、切り捨てるべきではないのか?

たとえ裏切られていなくても・・・

そんな結論に至った七星が、ドアの方へ向き直った瞬間

「浅倉・・っ!?」

追い求めていた舵の姿が、引き開けられたドアの外に、立っていた








「・・・・あ・・・」

驚きで見開かれ、一瞬舵と重なった視線が、居たたまれないように、そらされる

その七星の態度と、背後に広がる散乱した部屋事情・・・

「どうして・・浅倉がここに?」

なんとなく、七星がここに居る理由とその態度の理由を、舵が推察しつつも問いかける

「・・・あんたの方こそ、ケガは?」

視線を反らしてうなだれたまま・・・七星が固い口調でそう言った

その一言で、舵が自分の推察が正しかった事を認識する

「・・・ひょっとして、心配して来てくれたのか?ぜーんぜん、大丈夫。この通りピンピンしてるぞ?」

嬉しげな声で、顔には笑顔さえ浮かべて舵が答えを返す

「し・・心配なんて・・・してない!大丈夫なら、帰る・・!」

わずかに覗く耳朶を朱に染めながら言い捨てて、舵の横をすり抜けようとした七星だったが、その目の前で、舵の後手にドアをバタンと閉じられてしまった

「・・・っ!?」

思わず舵と至近距離で行く手を阻まれた七星の視線が、舵の細められた栗色の瞳と重なった

間近で見る舵の顔には、小さな擦り傷が幾つも刻まれ、うっ血した痣の痕も顎の下の方に浮かんでいる

「・・・それだけ?」

「え・・・?」

「他に言いたいことは?」

柔らかく笑う、舵の瞳が・・・その顔に刻まれた傷痕から目を反らそうとした七星の視線を動けなくした

意を決したように、七星が口を開く

「・・・全部、白石から聞いた」

「・・・そうか」

「・・・誤解して・・悪かった」

「お互い様だな」

「・・・ケガ、大したことなくて・・・良かった」

「うん。おかげさまで」

「・・・あと・・この部屋・・・」

「うん?」

言いかけた七星の言葉を待つように、舵の語尾が上がる

出来るなら、このままずっと続けていたい・・・そんな風に思わせる柔らかい会話

見つめてくる舵の包み込むような笑った瞳が、こんなにも心地良く・・心を落ち着かせる

今だけ・・いいだろうか?と七星が思う

これは舵に対する借罪

あらぬ誤解をして、ケガをさせ、部屋まで荒らされてしまった舵への・・・

「・・・俺にも責任の一端はあるから、片づけるの、手伝う」

「・・・時間制限付き?」

からかうような口調で舵が聞く

それは・・・一番最初に出会ったあの日を思い出させる言葉

あの頃の七星の行動基準は、全てにおいて家族だった

七星の艶やかな髪が微かに横に振られ・・その隙間から覗く瞳には、あの頃とは違った色が垣間見える

「・・部屋が、元通りになるまで・・・」

そう答えた七星の頭を、舵がクシャリと大きな手で撫で付けた







「・・・・うん、こんなとこだな」

すっかり片付いた部屋の中を、舵が満足げに見つめている

もともと男の一人暮らし・・・荒らされたとはいえ、2人がかりで2時間ほどもあれば充分だった

「助かったよ、浅倉。大したことはないとはいえ、まだ体中あちこち痛くて・・・。あ、待ってろ、今コーヒーでも入れるから」

玄関横のキッチンに向かいかけた舵の腕を、七星が掴んで引き止めた

「っつ・・・!」

途端に舵の顔が微妙に歪む

「・・・見せて」

「・・・え?」

「いいから、見せて・・!」

ハッとした表情になった舵が、腕を振り払おうとするより先に、七星が有無を言わさず掴んでいた腕の服の袖を捲り上げた

「・・っ!!」

露わになった舵の腕を見た途端、今度は七星の顔が歪む
その舵の腕に刻まれた無数の打撲の傷痕と腫れは、かなりなものだった

「・・・なにが、大したことないだよ!?あいつのやり方は分かってるんだぞ!」

以前、4兄弟に仕掛けてきた時・・・その時も複数のゴロツキを雇ってきていた

病院で舵の病室を訪ねた時も、『ああ、全身打撲で運びこまれた方ですね』と言われ、七星の血の気が引いたのだ

腕でこれだけやられているなら、背中や腹部はもっと・・・

今、舵が平気そうな顔をしているのは、ただ単に薬が効いて痛みをそんなに感じなくて済んでいるからだ

「他は!?」

「っい!?」

「他の場所は!?」

怒ったように言い放った七星が、舵の着ていたシャツの裾を引っ張り出そうと手を伸ばす

その手から逃れようとした舵が、バランスを崩して尻餅をつき、七星がその上にのしかかるようにしてシャツの裾を引っ張り出した

「痛っ!ちょ、ちょっと待て!見て気持ちのいいもんじゃないって!それに、助けてもらったから、見た目よりほんとに大したことないんだって!」

腕の状態を見ただけで、七星はまるで罪悪感の塊のような顔になっていた

この上一番ひどい状態の腹部など見られようものなら・・・

舵からすればそんな七星の表情など、見たくもないしさせたくもないのだ

舵のシャツに手を掛けて、今にも捲り上げようとしていた七星が、舵のその言葉に動きを止めた

「助けてもらった・・?」

七星の手が止まったのを幸いに、舵がその手を振りほどき、何とか体勢を立て直すと上半身を起こして七星と同じ目線で言い募る

「そう!あの金髪で背の高い・・・お前とホテルから一緒に出てきてた・・・!」

「・・っ!?アルが!?」

思わずアルの名を口にしてしまった七星が、しまった・・!とばかりに口元を覆う

「あいつ、アルっていうのか?あいつ、何者?」

「・・・・・・っ」

視線を反らし、急に黙り込んだ七星に、舵が苦笑を浮かべる

「・・・答えられないのは、北斗の恋人だから?」

「・・・っな!?」

驚愕の表情になって絶句した七星の見開かれた瞳の中に、舵の笑み返す静かな表情・・・

「今朝、病院で北斗に会ったんだ。お前と・・そのアルとか言う奴の事、変な風に勘ぐって悪かった・・。確かに、父親の恋人だなんて、言えないよな・・普通」

「・・っ父さんが!?父さんが言ったのか?アルが恋人だって!?」

「いや、言ってないけど、あんな雰囲気目の前で見せられたら・・・普通分かるって。あ、心配するな誰にも言ったりしないから」

「あんな雰囲気・・・って?まさか・・あんたの目の前に2人一緒に・・・!?」

「ああ、居たよ。けど、あいつ只者じゃないな。あの・・氷みたいに冷たい青い瞳には、心底ゾッとした」

「・・・うそ・・だろ。なんで・・・?」

七星が信じられないかのように、茫然と呟き返す

あのアルが、どうして舵を助けたのか

どうして北斗が舵に会いに行ったのか

どうしてアルが堂々と北斗と一緒に居る所を、他人である舵に見せ付けたのか

ありえない事ばかりだ

七星の困惑しきった表情が、舵の目の前にある

それは七星が意識して作った表情ではなく、まだ17歳の少年の素顔そのもの・・・だ

どうしてアルが舵を助け、北斗が舵の前に現れたのか・・・

そんな事は舵にしたって分からない

ただ・・相手はマジックの種を絶対に見破らせない、あのスーパーマジシャン北斗なのだ

その思惑を・・その種を解き明かそうとする事自体、無駄な行為のように思えてならない

クス・・と微かに笑った舵の手が、困惑したままの七星の頬に伸ばされた



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