ACT 30
「・・・浅倉」
舵の指先が七星の頬に触れる
「え・・・?」
「この状況を他人が見たらどう思うか・・・分かってるのかな?」
「どう・・・って」
一瞬眉根を寄せた七星だったが、頬をなぞった舵の指先が耳元を掠めてうなじに差し込まれ、自分の体勢が、舵の体の上をまたがるようにしている事に気が付いて、カッと顔を朱に染めた
「浅倉に押し倒されるとは思ってもみなかったなぁ」
「な・・っだ、誰が!」
慌てて起き上がろうとした七星だったが、差し込まれた舵の指先に力が込められ、あっさりとバランスを崩される
「ぅわ・・っちょ・・・っ!」
起き上がろうとした反動を利用され、横倒しになった七星の上に、今度は舵がのしかかる
「形勢逆転・・!」
どこか嬉しげに言った舵に、
「じょ・・冗談・・!」
叫んで舵の身体を押しのけようとするも・・・
「先生はケガ人ですよー?」
そんな呑気な声と共に聞こえた笑い声に、七星が抵抗する気力と緊張感を奪われていった
ケガ人相手に手荒な事はどうかとも思うし、こんなケガ人相手にどうにかされるほど七星だって弱くはない
そんな七星の肩越しに顔を埋め、舵が躊躇なく全体重を七星に預けてくる
「ちょ・・っ重い・・って!」
「んー・・浅倉って、やっぱいい匂いする・・・」
そう言って、舵が堪能するかのように深呼吸する
その吐息が首筋にかかって、七星がくすぐったそうに身をよじらせた
「ば・・っやめろって!それに、さっき一汗かいてきたばっかなのに、いい匂いなわけないだろ!」
「いーや、いい匂いだ」
「・・・変態」
「浅倉限定のな」
「・・・やめろ、セクハラ教師、訴えるぞ」
「あ、いいね。被告人、浅倉限定セクハラ教師・・!」
「・・・あのな!」
あきれたように言い放った七星の上でクスクス・・と笑っていた舵が、フ・・ッと埋めていた顔を上げ、笑顔の余韻を残したまま七星を真上から見下ろした
「・・・やっぱり、全然似てないな」
「え?」
「北斗と浅倉。顔立ちは確かに似てるけど・・・あ、この目元とか、唇のラインとか、雰囲気とかが、全然違う」
舵の指先が再び七星の頬に触れ、その顎から唇のラインをゆっくりと辿る
その感触に、七星の背筋にゾクッと痺れにも似た感覚が駆け上がり、それが決して嫌なものではない・・という事に気がついて愕然とした
舵のあたたかい、大きな手がまるで小さな子供をあやす様に、何度も七星の髪を撫で付ける
見上げる視線の先に、目を細め、嬉しげな笑みを浮かべた舵が居る
今まで誰にもされた事のない、仕草
舵が注ぐその視線と同じ物を、かつて北斗も七星に向けたことがあった
だがそれは、七星の受け継いだ宙の面影に対して向けられていたもの・・・
常に七星に注がれる視線は、誰かの代わりでしかなかったのに・・!
舵は、はっきりと七星そのものを見つめ、その上、北斗と全然似ていない・・などと言う
「・・・母さんに似てるんだ」
撫で付ける舵の手に身を任せるように脱力した七星が、一瞬、目を閉じてそう言った
「・・・そうか。きっとお母さんも浅倉に似て美人だったんだろうな」
「それ、普通逆だろ?」
「んー・・でも、俺は浅倉以外興味ないし・・・誰を見ても浅倉の顔しか浮かばないからなぁ・・・だから、退職願いを出すのも止めた」
「な・・っ!?退職願い!?なんでそんなもん・・!?」
驚いて目を見開いた七星の目元を、舵がソッと指先でなぞる
「・・・どうしようもないくらい、痛かったんだ。浅倉に・・・まるっきり知らない他人を見る目で見られたことが」
「・・っ!!」
七星が息を呑んで舵を見つめ返す
それが嘘でない証に、舵の瞳にその時の痛々しい記憶の色が浮かんでいる
「だから・・・今こうして浅倉が、俺をちゃんと舵として見てくれてる事が、何より嬉しい・・・。頼むから、もう二度とあんな目で俺を見ないでくれ」
切なげな表情で、舵が七星に懇願する
「・・・やめろ・・あんた、卑怯だ・・!そんな風に言われたら・・・っ」
・・・・切り捨てられなくなる・・・!・・・・
言葉に出来ずに心の中で叫んだ七星の言葉を見透かすように、舵が続ける
「俺を守ろう何て思うなよ、浅倉。言っただろう?俺を巻き込めって。俺に、お前を守らせてくれ・・・って」
「だ・・って、そのケガも、この部屋だって・・・!」
「無傷で人一人守れるわけないだろう?それに・・こんなケガの痛み、浅倉にあんな目で見られた時の痛みに較べたら、屁でもないぞ?」
そう言って、舵が再び笑顔になる
その笑顔に、七星が思い知っていた
自分だけに注がれるこの笑みを、切り捨てられるわけがないのだ・・・と
あの時
舵に切り捨てられたのだと思った・・・あの時感じた、あの痛み
舵もあの時、自分と同じ痛みを感じていたのだ
もう、二度と味わいたくないと思った、あの痛みを
「・・・なんなんだ・・あんた・・・ただのセクハラ教師のくせに・・!」
苦しげに・・・困惑しきった表情で問う七星に、舵の笑みが一層深くなる
「ただのセクハラ教師じゃないからだろ・・・?」
「だったら、なんなんだ・・・!?」
「仕方ないなぁ・・先生が教えてあげましょうか?浅倉くん?」
ふざけているようにしか聞こえない舵の笑いを含んだ声音に、七星がふざけるな・・!とばかりに睨み返す
そんな七星を、舵が一層目を細めながら・・・その憤慨した瞳を覗き込んで言った
「浅倉は、俺を好きになったんだよ」
「な・・っ!?なに言って・・!?」
「そうでなきゃ、浅倉はどうして困惑してるんだ?」
「困惑なんて・・してない・・っ!」
「・・・してるよ」
「・・・・っ」
静かに・・自信たっぷりに笑み返しながら言う舵に、七星が返す言葉を失う
実際、そうなのだ・・・自分で自分の気持ちが分からない
「浅倉・・・宿題だな」
「・・・は?」
更に困惑顔になった七星の上から降り、その身体を舵が引き起こす
「浅倉が俺を好きじゃないって言うのなら、その理由をおれに納得させる事!」
「な・・ん・・!?」
目を見開いて立ちつくす七星の頭を、舵がクシャリと撫で付ける
「・・・出来なかったら、次はもう遠慮しないから・・・」
七星の顔を覗き込みながら、舵がその耳元に囁くように艶めいた声音を落とし、その頬に触れるだけの軽いキスを落とす
「ちょ・・・っ」
七星の体温が一気に上がり、髪に触れる舵の手を振り払って慌てて後ずさる
「・・・次はそんな可愛いもんじゃないぞ?」
舵が笑顔で言い放つ
「し、知るか・・!!そんなバカ言ってる暇があったら、さっさとそのケガ治せ!このエロ教師!!」
耳朶を染めたまま叫んだ七星が、きびすを返して玄関を出て行った