ACT 3
「そこ座ってろ、すぐコーヒー入れてやるから」
折りたたんで立てかけてあったパイプ椅子を開いて指差し、舵がインスタント・コーヒーの封を切る
「おっ・・!いい香り!やっぱ開けたてのコーヒーが一番美味いよなぁ」
紙コップにスプーンも使わず、目分量でコーヒーを振りいれている
いい加減なわりにちょうどいい色合いと香しいコーヒーの香りを伴って、熱々のコーヒーがまだ椅子の横で突っ立ったままの七星の前に差し出された
「・・・・・」
受け取るべきか、どうしようか・・という困惑の表情を浮かべる間もなく、舵が強引に七星を椅子に座らせてその手にコーヒーを押し付けた
「あ・・ひょっとして、コーヒー嫌いだったか?」
不安げに七星を覗き込んできた舵に、根負けしたように七星がコーヒーを受け取る
「・・キライじゃ・・ない」
「そっか、良かった!」
まるで無邪気な子供のように満面の笑みを浮かべて、本当に嬉しそうな表情をする舵に、七星の中に在った苛立ちも溶かされるように消えていった
「あんた・・それ、持ち込みか?」
カップめんに電動ポットからお湯を注いでいる舵に、七星があきれたような顔つきで問う
「あんたじゃないって言ってるだろ?舵だ、舵!」
カップめんにきっちり蓋をしながら言う舵に、七星が苦笑を浮かべた
「いいのかよ?先生じゃなくて、舵って呼び捨てで?」
「そう呼ばれるのが好きなんだ。それに、先生って呼ばれるから先生でもないだろう?自分の名前の中にそういう意味を含んで呼んでもらえるようになれば、それが一番の理想なんじゃないかとも思うしな・・・」
屈託のない笑顔でそんな事をいう舵の瞳は、とても静かで真剣だ
七星が意外そうに目を見張り、慌ててその舵の笑顔から手の中のコーヒーに視線を移す
「変な奴・・じゃ、舵、言っておくけど俺は部活してる時間なんてないから、悪いけど・・・」
「でも、ここの魚に餌をやりに来る時間はあったんだろう?」
七星の言葉を遮って、舵がカップめんをすすりながら聞く
「え?あ、そりゃ・・まあ、それくらいは・・・」
舵の言うその”餌やりの時間”の中に、自分が望遠鏡をいじっていた時間も含まれている・・と直感した七星が口ごもる
「良いんだよ、それで。天文部の実質の活動なんて夜になんなきゃ出来ないんだし。それにこうやって茶飲み友達しに来てくれれば、俺の天文部活動を再開する!っていう大義名分も果たされるわけだから」
「は・・?茶飲み友達!?」
それが部活動再開になるのか!?と言いたげに眉根を寄せた七星の前で、あっという間にカップめんを胃袋に収めた舵が、おもむろにポンポン・・と電動ポットの頭を叩く
「安心しろ!そのうちカップも揃えるし、紅茶もいるよなぁ・・。あ、後、カップを洗うスポンジなんかも・・!」
「や、だからそうじゃなくって・・・!」
ぜんぜん的外れな答えを真面目な顔つきで返す舵に、七星が思わず突っ込み返す
「何だ?浅倉はそういうの嫌いか?」
ふざけているのかまじめなのか・・どちらとも取れない笑みを浮かべて聞く舵に、七星が一瞬、唖然とした表情になる
不意に顔をうつむかせた七星の肩が、クックック・・という忍び笑いを伴って小刻みに揺れた
「・・・キライじゃ・・ない。いいよ、餌やり、俺がしに来てやる」
「そっか。助かるな」
素直じゃない強がりとほんの少し照れが混じった七星の言葉、そしてわずかに垣間見えた七星の笑顔を、舵が心底嬉しそうな笑顔で受け止める
「・・じゃ、俺、帰らないといけないから・・。これ、ごちそうさま。美味かった」
残っていたコーヒーを一気に飲み干した七星が、空になった紙コップを椅子の上に置き、舵に背を向ける
「・・あ!おい、浅倉!送って・・・」
慌てて舵がその七星の背中に呼びかけたが、あっという間にその後姿は準備室のドアを出て、暗い廊下を足早に去っていく
舵の掛けた言葉などまるで気にする風でもなく、七星の背中が廊下の角に消えていった
「・・・ったく!昨日もそうだが、急いで家に帰らなきゃいけない理由・・。浅倉家の家事全般をこなし、弟達の面倒見のいい頼れるお兄ちゃん・・ってか?噂どおりだな!」
ハァ・・と暗い廊下に向って深いため息を落とした舵が、振り返って七星の残していった紙コップを手にとり、目の前に掲げ上げる
「成績優秀、運動もそつなくなんでもこなす非の打ち所のない優等生。感情に乏しく表情が読めない・・という一点を除けば、放っておいても何の問題もない教師にとっても扱いやすい生徒・・・か」
昼間の間に情報収集をしておいた、浅倉七星に関する教師間での噂を思い返して舵が呟く
「そういう風には見えないな・・。とてもじゃないが放ってなんておけないタイプだ、あいつは。それに・・・」
掲げ上げた紙コップをピシッと指で弾いた舵の目元が微妙に細まる
「どうやら・・こいつは本気で一目ぼれらしい。まいったな」
言葉とは裏腹に、舵の顔には満面の笑顔が浮かんでいた
「・・ただいま」
学校から小走りで家まで帰ってきた七星が、家の直前でスピードを落として呼吸を整え、何事も無かったかのように玄関のドアを引き開けて小さく呟く
その玄関の開く音を聞きつけたらしき元気な声が、バタバタと廊下を走る足音と共に近づいてきたかと思うと、背中を向けて靴を脱いでいた七星の背中に飛びついてきた
「おかえりっ!!七星!ずい分遅かったね、忘れ物あった?」
七星の首に両腕を廻し、屈託ない笑顔で七星の顔を覗き込んでいるのは・・・
クリッとした大きな黒い瞳と黒い髪をもつ少年、浅倉家4男・浅倉昴(あさくらすばる)だ
「ああ、あったよ。何だ?昴?お前もう風呂に入ったのか?」
頬に触れる湿った感触とシャンプーの匂いに、七星がすぐ横にある大きな黒い瞳と視線を合わせる
「あ、うん。ほんとは七星帰って来るまで待ってよーと思ったんだけど・・麗の奴が中学生になったんだから、もういい加減一人で入れよ!って言うからさ・・・」
少しムッとした表情で言う昴の横顔は本当に幼くて、つい、いつまでも手のかかる小学生と思いがちだった七星が苦笑を浮かべる
「そうだったな。昴ももう中学生なんだし、風呂にも一人で入らなきゃな」
「う〜〜〜〜〜〜・・やっぱしーーー!?」
いかにも不満そうに呟きつつも、仕方ないか・・というようにため息をついた昴の頭をポンポンと慰めるように撫でつけた七星が、昴を首からぶら下げたまま立ち上がる
「おーおー、ちっちゃい子猿がまた張り付いてやがる!」
昴をぶら下げた状態のままリビングに入ってきた七星と昴に、ソファーで寝っ転がってテレビを見ていた浅倉家3男・・・
よく日に焼けたラテン系の顔立ちに赤茶の髪と赤茶色の明るい瞳を持つ少年、浅倉流(あさくらるい)がからかうように声をかける
「あーーーッ!また子猿って言った!流なんてくりくり赤毛のただのサッカーバカじゃないか!」
「へへーんだ!なーんの芸もないチビ猿に言われたかないねー!」
テレビに映し出されたサッカー中継から視線を外しもせず、いかにもバカにした口調で受け流す流に、昴がガシッと七星の背中にかじり付き言い放つ
「七星!流の奴、一発ぶん殴ってよ!」
「なんで俺が・・・」
「あ、てめぇ!卑怯だぞ!ケンカ売るなら七星から離れて一人できやがれ!」
「やーだよ!身長と体格差あるんだから、これぐらいハンディつけなきゃ!」
ギャーギャーと七星を挟んでやり合う二人の騒ぎに、
あきれかえった静かな声が、七星の背中に張り付いていた昴の体をヒョイッと引き剥がす
「いい加減にしろよ、二人とも!七星も七星だ!黙ってないで止めればいいものを・・!」
目の覚めるような金髪に青い瞳を持つ少年、浅倉家次男・浅倉麗(あさくられい)が昴のパジャマの首根っこを掴み上げて、床の上にポテン・・と降ろす
「いや・・あんまりにもいつものパターンで、つい止める気力もな・・」
軽くなった両肩をホッとした様に上下させた七星が、あきれ返った表情の麗に苦笑を返す
「・・ったく!七星はあまいんだから。たまには本気で怒らないと、つけ上がるばっかりだぞ?特に昴は・・!」
「あーー!言いがかりだぞ、麗!七星は誰にだって優しくて、怒ってるとこなんか見たことないじゃんかー!」
「そーゆー安直なとこが子猿たる所以だよなー?す・ば・る君?」
一瞬納まった火種を再び蒸し返した流に、今度は一人で昴が突進した
そのまま狭いソファーの上でじゃれあう子猫のように騒ぎ始める
その二人をハァ・・っとため息をつきつつ一瞥した七星が、きびすを返した
やれやれ・・といった表情で二人の様子を眺める麗の横をすり抜けようとした時、麗がその七星の腕を掴んで問いかけた
「で?こんな時間にわざわざ学校へ取りに行く忘れ物って、何だったの?」
「ん?ああ、ちょっと・・な。別に大したもんじゃないんだよ・・」
答えた七星の顔に、一瞬、思い出し笑いのような笑みが口元に浮かぶ
「なに・・?なんか、嬉しそうだね?」
それに目ざとく気がついた麗が、少し意外そうに目を見張る
「別に・・。忘れ物がちゃんとあったせいだろ?」
すぐにいつもの感情の読み取りにくい表情に戻った七星が、あの二人頼むぞ・・!といった目つきを残してリビングを出て行った
「・・・フウ・・ン?」
少し眉根を寄せた麗が、訝しげに七星の後姿を見送っていた
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