ACT 4

 

 

 

「浅倉ぁ〜次、なんだったっけ?」

春休みの余韻が抜け切らない様子で、机の上に突っ伏したまま顔だけ上向けて伊原 猛(いはらたけし)が七星に問う

「次は・・ああ、生物・科学だ。生物・科学室に移動だ」

「げーーー移動かよぉー?かったりーなぁ。しかも生・科!さ・い・あ・くぅー!」

両手を降参ポーズに振り上げたかと思うと、再び顔ごと机の上にバッタリと倒れ伏す

そんな伊原を七星が『またか・・』といった様子で受け流している

自分の大袈裟なリアクションに対して何の反応もないことに痺れを切らしたように、伊原がチラっと顔を横向けて上目使いに七星を睨んだ

「あーさーくーらーく〜〜ん!相変わらずのノーリアクションに涙が出そうだぞー。なんか一言ぐらい哀れみの言葉とか、弟君達みたいに頭撫でて慰めてくれるとか・・なんかやってやろうっていう気は起こらない?」

「・・・あのなぁ、伊原。1限ごとに同じ泣き言を聞かされて、どういう反応を返せっていうんだ?」

「毎回とはいわないけどさぁ・・たまには、こう、よしよし・・くらいやってくれよぉー」

「だから、なんでお前に・・・」

情けない声を上げる伊原におざなりに返事を返す七星に、ぞろぞろと移動を始めた他の同級生の面々が声をかける

「浅倉ー!伊原ー!早く行かねーと遅刻だぞー?」

「へいへーい!あーあー・・去年の生・科の教師ってやな奴だったしなー。行きたくねーー!」

思いきりブスくれた顔つきで叫んだ伊原に、通りすがった白石守(しらいしまもる)が慰めるように肩を叩いて言った

「なんだ?伊原知らないのか?今年の生・科の先生、結構イケてるって話だぞ?」

「ほんとかよー白石ー?」

慰めてくれる相手を得て、弾かれたように顔を上げた伊原が笑顔で聞く

「新聞部の情報網をなめんなよ!昨日授業があったクラスの奴が言ってたんだ。舵っつう先生で、授業も結構面白かったってさ!」

「・・・へぇ」

ほんの少し口元に笑みを浮かべて低く呟いた七星に、伊原が訝しげに聞く

「・・・なに?浅倉、そいつの事なんか知ってんの?」

普段ふざけてばかりいる伊原だが、相手の反応を見て楽しんでいる所があるだけに人の機微には敏感だ

「バーカ、知るかよ。それより早く行ってその噂の真相を確かめたらどーだ?伊原?」

たちまち元の能面のような表情に戻った七星がガタンと立ち上がり、手にした教科書でパンパンと伊原の頭を軽く叩いて歩き出す

「浅倉ー!教科書ってのは冷たくないかー?どーせなら手でやれよなー」

情けない伊原の声音に、移動中の生徒であふれた廊下に笑い声がはじけた

 

 

 

ザワザワ・・・とざわめく生物・科学室に始業を告げるチャイムが鳴り響く

チラチラ・・と、教師が入ってくるであろう教室前方のドアを全員が意識しながら、好き勝手に新しく赴任してきたその教師の噂話に花が咲いている

と、突然、予想していたドアとは逆の・・準備室へと続くドアが、ガチャンと勢いよく開け放たれる

その意外な方向のドアから現れた、背の高い実験用の白衣姿の男に一斉にクラス中の視線が集まり、シ・・ンと静まり返った

すぐ横の窓から差し込む日差しに透ける茶色がかった栗色の髪

一斉に注がれた視線に物怖じするわけでも気負った風でもなく、ただあるがままに受け止めている栗色の静かな瞳

そこから続く鼻筋の通った彫の深い顔立ちは、かなり人目を引く整った容貌だ

白衣の襟から覗くザックリとしたブルー・グレーのスプリングセーターに淡いブルーのカラーシャツが、気障でもなんでもなくよく似合っている

一見すると、教師というより遊びなれたホスト系な雰囲気さえ漂う男、舵貴也(かじたかや)が教壇の上に両手をついて全員を見渡した

「ヤッ!おはよう、2年B組の諸君!なんだ?なんだ?さっきまでの噂話の勢いはどこへいった?それとも、あんまりかっこいいんで見とれてるのかー?」

端整な顔立ちを破願させ、無邪気な子供のような屈託のない笑顔を浮かべた舵が陽気に言い放つ

「それ、うぬぼれすぎだろ!?」

クラス一のお調子者、伊原がここぞとばかりに突っ込んでくる

途端に弾けた笑い声が教室中に充満し、一瞬にして和やかな雰囲気に一変した

その笑いで包まれた生徒達の面々に視線を落としていく舵の瞳と七星の瞳が一瞬重なって、ほんの少しだけ舵の口元の口角が上がり、その瞳に優しさがこもる

「・・!?」

そのほんの一瞬の気配に気がついた七星が、一瞬、昨夜の事を何か言ってくるんじゃ・・?と身構えた

けれどその気配を送ったはずの当の本人、舵は、もう既に黒板の方へ向き直り自分の名前を大きく書き連ねている所だった

「静粛にー!俺の自己紹介しとくぞー。名前は舵 貴也、精神年齢18歳、とーぜん独身。生物・化学専任で天文部の顧問もやってる!よろしくな!」

「精神年齢18ってありえないー」とか、「独身だってー」という、女生徒の黄色い歓声と「天文部ー?」という耳慣れない部名に対する興味本位の歓声が上がる

「一階の渡り廊下のとこに天文部勧誘ポスターも貼っておいたから、入部希望者は放課後準備室へ来ることー!じゃ、出欠取るから、呼ばれたら返事しろー!」

そう言って、舵はなぜか名簿を下から順に読み上げながら一人ずつの顔を確認し、科学公式や生物学の基礎的事柄を面白おかしく質問形式で聞いていく

大抵こういう名簿はあいうえお順になっていて、七星は一番最後にその名前を呼ばれた

「浅倉 七星ー!お!あの浅倉家4兄弟の兄ちゃんか?んじゃ、その名前に由来して・・北斗七星の和名、知ってるか?」

と、まるで昨夜の事などなかったかのような口ぶりで、他の生徒と同じ笑顔で聞いてくる

昨夜の事を忘れたかのような態度、知っているくせに知らない風な口ぶり・・は七星にしても同じことなのに、なぜか七星の中で苛立ちが募る

(こいつ・・!わざとらしい・・!)

七星が昨夜覗いた望遠鏡の照準も、最初から北斗七星だった

初対面のような態度を取っているくせに、その質問はどう考えても昨夜の事を含んだ内容で・・まるで七星を試しているようにも感じられる

「・・ひしゃく星、ます星、さかます、しゃくの柄・・・」

ムッとした感情を無表情の下に押し隠し、七星が感情のこもらない声音でたんたんと機械的に答えていく

「よく知ってるな!でも、もう一つあるんだがなー?」

ニコニコと嫌味の欠片もない舵の笑顔が、七星の無表情に注がれる

「もう一つ・・?」

眉間にシワを寄せて考え込んだ七星の表情に、舵がクラス全員に向って聞く

「この中で、北斗七星に相対する星座の名前、知ってる奴居るかー?」

「えー?」「知らないよねー」「聞いたことねー」と、隣近所で顔を突き合わせた生徒たちがざわつく中・・七星が挑戦的な瞳で舵を見返して、答えを返す

「いて座の南斗六星・・・」

「さっすがー!」「浅倉もの知りー!」と、からかい半分、感心半分なクラスメートの歓声が上がる

ちょうどその歓声と、終業を告げるチャイムが重なった

「お・・っと!じゃ、浅倉には一つ宿題だな。北斗七星と南斗六星に共通してつけられた和名を調べてごらん、面白いぞ?」

一瞬七星に落とされた舵の視線は意味ありげで、挑戦的だった

(し、調べてやろーじゃん・・!)

七星の中で、放課後の図書館行きが決定された

結局その日の授業は、こんな感じで出席を取るだけで終わってしまっていた

だが・・・

自教室へと帰る他のクラスメート達の話に、思わず七星が聞き耳を立てていた

「舵先生って面白いよなー。お前が聞かれてたの化学式だっけ?覚えちゃったよ!」

「あ!俺も!なんか普通に授業するより覚えるよなー!」

口々に聞かれた質問を言い合っている内容は、思えばどれも重点的基礎知識で。

ほとんどバカ騒ぎのような状態で終わったはずなのに・・しっかりとその内容が頭に残っていた

(ふざけてるようにしか思えなかったけど、あれでしっかり考えてやってんのか?あいつ・・!)

思わず振り返った七星の瞳に、職員室にいったん戻るらしき舵の、頭一つ抜き出た白衣の後姿が焼きついていた

 

 

 

トップ

モドル

ススム