ACT 31











マンションのエレベーターを待つ余裕もなく、七星が一気に階段を駆け下りる

(・・っなにが、宿題だ・・!)

マンション全体の出入り口であるドアを勢いよく押し開き、ハア・・ッと、七星が荒く息をついてようやく足を止めた

顔が熱い

その中でも特に、舵が触れた頬の一部が、まるでそこだけ火傷でもしたかのように熱く火照って、そこに触れた物の存在を主張する

(ちょ・・ッ待て。これぐらい、今まで何度でもあったじゃないか・・!)

七星がその顔の火照りの理由が分からずに、愕然とする

幼い頃からずっと、北斗の公演先である諸外国を共に放浪していた七星である

頬への軽いキスなど挨拶代わりだったし、北斗は当然の事ながら兄弟の間でもその程度のスキンシップは日常茶飯事だったといって過言ではない

流石にこの歳になると兄弟間ではしなくなってきたが、それでも昴だけは今でも時々お休みの挨拶代わり触れてくる

それなのに・・・!

なぜ、舵に触れられた所だけが、こんなにも熱く火照ってくるのか!?

「・・あいつが、変な事言うからだ・・・っ!」

思わず七星の口からそんな呟きが漏れる

・・・・『浅倉は俺を好きになったんだよ』・・・・

そう言われた一言が、七星の中で消化できずにグルグルと廻っている

(好き・・!?俺が?あいつを・・!?)

確かに、舵を切り捨てないで済む・・と思った時、嬉しかったのは真実だ

だがそれは、ただ単に「誰かに裏切られた悲しみ」を味あわなくて済んだから・・・

それだけの理由のはずだ

決して、舵を好きになったわけじゃ・・・

そう心の中で言いかけて、七星の言葉が止まる

今まで・・・

誰かを好きになる・・・などあっただろうか?

いつもいつも猜疑心の塊で、他人に心を許す事をしなかった

好き・・という感情がどういうものなのか、まるで分からない

そんな七星が、初めて、家族以外の他人に触れられた事を嫌だと思わなかったのだ

(・・・どうして、嫌だと思わないんだ?)

考えても考えても、理由が見つからない

グチャグチャでまとまらない思考を抱えながら、七星がマンションの敷地を抜け、表通りへの角を曲がる

曲がった途端、目に飛び込んできたダークスーツにサングラス、後手に一くくりに括られた金色の髪・・・!

「っ!?アル!?」

「・・・乗れ。家まで送る」

寄りかかっていた黒塗りの車のドアを開け放ち、アルがサングラス越しの視線で七星を中へと誘導する

「なんで、あんた・・・っ!?」

聞きたい事が山のようにあって、言葉がでない

「・・・乗れ」

再び放たれた有無を言わせぬ口調が、七星を車のシートへと沈ませた

七星側のドアを閉め、アルが車に乗り込んで走り出すと同時に、七星が堪らず言い募っていた

「どういうことなんだ?!説明しろ・・!」

「・・・仕事だ」

声を荒げる七星の事など歯牙にもかけず、アルがたったの一言で全ての答えを返す

「仕事・・って、あんた今回はハサン王子のボディーガードじゃなかったのか?」

「忘れたのか?別のものを守るほうが目的だと言ったはずだが」

「・・・っ!なんだよ?それ?」

確かに・・・そんな事を聞いた気がする七星が、一瞬詰まりながらも問いかける

「・・・浅倉 宙」

「え・・!?」

思いもかけない名前に、七星が唖然とした表情でアルを見つめ返した

「・・な・・んで?あんたが、母さんを・・・」

「・・・どこかのガキにどうして助けなかったのか・・と、なじられたからな」

「っ!!」

七星が居たたまれずに視線をそらす

あの・・母親を失った事故の時、奇跡的に北斗だけでも炎の中から連れ出してくれたアルを責めた事が、どんなに身勝手で愚かしい事だったか・・・今の七星には充分すぎるほど分かっている

けれど

その当時、まだ5歳だった七星には、他に自分の感情をぶつける術がなかったのだ

「・・・けど、母さんはもう居ないんだぞ?それを守るってどういうことなんだ?」

そう、もう既にアルが守るといったその対象・・・浅倉 宙はもうこの世に居ない

守るべき存在がいないのに、どうやって守るというのか?

「・・・居たはずの人間の事を語らない事、その名前さえ口にしようとしない事・・・。それはつまり、その人間を本当の意味で殺す事と変わりない」

「な・・っ」

思わず七星がアルの方へ向き直る

だがアルは、その冷たい横顔を七星に見せ付けたまま更に続ける

「自分を生んだ母親の存在を否定するということは、お前自身の存在を否定しているのと同じだ。お前は自分がどれほど多くの物に守られているか、気づきもしない」

「俺は、否定なんか・・っ」

「していないでも言うのか?お前が母親の存在を語ろうとしない事が、身近な人間にどんな影響を及ぼしているか・・考えた事があるのか?」

「え・・・?」

「お前は守るという意味合いを履き違えている。だから自分が守られている事にも気がつかない、性質の悪いガキのままなんだ」

「・・・どういう意味だよ?」

眉間にシワを寄せ、七星がいつになく饒舌なアルの横顔を睨み返す

「・・・そのうち分かる」

またか・・!と、七星が唇を噛み締めた

いつもいつも、この男は肝心なところで口を閉ざして何も言わない

その上アルの言った言葉が、七星の心に何とも言えないざわめきを沸き立たせて締め上げてくる・・性質が悪いというならば、それはアルの方だ

母親の存在を語ろうとしないこと・・・

それは浅倉家ではお互いの暗黙の了解・・・のようなものだった

お互いに血の繋がり等一切ない者同士、同じ家の下、家族として生活しているのだ・・・父親・・というより親権者が北斗である・・ということ以外語る必要のないことだったといえる

特に

唯一、親権者である北斗と血の繋がりのある七星は、ただそれだけで、もう他の3人との間に決定的な違いがある

その溝を

その壁を

埋めることが出来る唯一の選択・・・それが『父親は北斗でも母親は全員バラバラ』という、個々としての母親を認識しない方法だった

それに

母親の死に方と、その後の北斗と七星のまるで逆転したかのような親子関係・・・

当時の北斗の壊れかけた精神が、他の誰にも奪われないように・・・と、母親である宙の存在を証明する物全てを七星の目の前で消去してしまった

写真も思い出の品も・・・宙に繋がる物全てを

それを目の当たりにした七星は、以来、母親の名前もその思い出も・・・北斗以外に語り合えるべき相手を失ったのだ

そして自分の顔の中に潜む宙の面影を見ては泣き続け、今にも崩壊しそうだった北斗の精神を繋ぎとめておくために、自分自身が泣ける場所をも失った

宙の死から立ち直り、マジシャンとして復帰したその後も、七星の中の宙の面影を見るたびに泣き続ける父親に、その泣ける場所になってやるために・・・

そんな思い出にふけっていた七星が、ふと、アルの横顔を盗み見る

5年前

そんな抜け出したくても抜け出せない・・泥沼化していた親子関係に終止符を打たせたのが、この男だった

・・・・『俺はお前から北斗を奪うぞ』・・・・

あの時、そう言ったアルの言葉に・・・七星は、誰がお前なんかに・・!という怒りの想いと共に、ホッと安堵している自分に気がついていた

誰も知らない・・・誰も気づかない・・・北斗と七星だけの苦しみを、この男は知っていた

あの、母親を失った事故の時、父親を助け出してやったにも関わらず、助け出せなかった母親の事でなじり、責め続けて、泣き続けた子供の・・・その後の苦しみを、この男は知っていたのだ

・・・・得体が知れない

眉をひそめて七星が思う

その出自もその私生活も・・そして自分の存在さえ、この男はその全てを覆い隠して生きている

唯一、北斗にだけその心を許して・・・

だから北斗が守りたいと思うものを、この男も守るのだ

「・・・あんたがハサンや俺のボディーガードなんてやってるのは、結局父さんのためなんだろう?」

「あたりまえだ」

アルが一瞬の迷いも揺らぎも見せずに、即答する

そのあまりの潔さに、七星が苦笑を浮かべた

「舵を助けたのも?」

「・・・あれは、賭け、だ」

「賭け?」

「お前が気づくかどうか・・・のな」

「俺が・・?気づく?」

「そうだ。北斗がお前に背負わせてしまったものに。お前が気づかないと北斗は一生その事で素直になれない・・俺にとって迷惑この上ない」

そう言って、アルがいかにも恨めしげに、七星を一瞬睨みつける

「ちょ・・待てよ!わけ分かんねぇ!しかも賭けだと?せっかく人が礼の一言でも言おうと思ってたのに・・!」

「やめておけ。後で後悔する事になるぞ」

「・・っ!?後悔?」

答えの不可思議さに七星が眉根を寄せたと同時に、車が静かに停車して目的地に到着した事を七星に知らしめる

答えを待つように睨みつけてくる七星に、アルがス・・ッとサングラスを取り払って言った

「・・・お前がどう足掻こうと、血の繋がりは消えはしない。例えそれが自分の望まない物を招き寄せるとしてもだ。その事だけは覚えておけ」

向けられたアルの冷たいアイスブルーの瞳が、七星にそれ以上問うことを許さず、家に入れと無言の圧力をかけてくる

「・・っ!性質が悪いって言葉、そっくりそのままお返しする・・!」

その無言の圧力に負けた七星が、腹いせのように乱暴に車のドアを叩き閉めて家に入っていった



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