ACT 34
「・・・ふわぁぁぁ・・・!」
大きなアクビとともに昴が目を覚ました時、既に時刻は夕方だった
差し込んでくる暖かなオレンジ色の夕日に、一瞬昴が目を瞬かせる
「あ・・・れ?ここ・・・どこだっけ!?」
着せ掛けられていた白衣
見慣れない部屋
そしてざわめく隣の部屋から漏れ聞こえてくる、何かの授業をしているらしき男の声
「・・・あ!そっか、裏門で動けなくなって・・・お腹いっぱいになったら、寝ちゃったんだ・・・!」
あまりに短絡的でお子様な行動に、思い出しただけで昴の顔が羞恥で真っ赤に染まる
「ど・・・どーしよ・・!俺ってサイテー!!」
こんな所に居るのを七星に見つかろうものなら、それこそ恥かしすぎて家にも帰れなくなる
「うわ!見つからない内にここを出なきゃ!・・・・っていうか、あれ?あの人、俺の事起こさずに寝かせてくれてたんだ・・・!?」
普通、どこの誰かも分からない人間に飯を食わせ、あまつさえ寝床まで提供するなど、有り得ないだろうに
ましてや、どうやらあの男は教師で、今も教壇に立って授業をしているらしい
「・・・普通、先生って、もっと嫌な奴だろ・・・?」
もともと勉強嫌いの昴なだけに、先生に対してはあまり良い思い出はない
特に浅倉家は、全員この桜ヶ丘学園を学び舎として過ごしてきている
先生達も成績の良い上の3兄達をよく知っているせいで、いつもいつもその3兄達と比べては、「これがあの兄達の弟なのか?」という目つきで見られ続けてきたのだ
先生なんて・・・!という思いがわだかまっている
だから余計に七星の相手が教師だと聞いて、許せなかった
なのに
今も聞こえてくるその教師の授業は、とても楽しそうな雰囲気に包まれていて、思わず聞き入ってしまうほどだった
「・・・ふう・・ん。こんな先生も居るんだ」
そこまで思って、昴がハタと嫌な予感を感じてその教師のものだろう、机の中の私物をゴソゴソとかき回す
道場で林から聞いた、七星が自分を置いていった原因でもある教師の話
その時聞いたその人物像と、横の教室で授業をする男の実像・・・!
「・・・・っ!やっぱり・・・・」
机の引き出しに入っていた私物に書かれた名前・・・道場で聞いたのと同じ、舵という文字
「・・・っんだよ!俺ってただの間抜けじゃん・・・!」
自分で言い募る言葉に覇気がない
・・・半分は分かっていたのだ
あの七星が、そう簡単に他人に気を許すわけがない
その七星を、我を忘れて飛び出させて行かせたほどの相手・・・
「・・・良い奴なんだろうって・・・分かってたよ・・・」
今までずっと影ながら自分たちを見守り続けてきた、あの林でさえ、「舵先生は七星君に必要な人だと思いますよ」と、そう言い切っていたのだ
「・・でも、必要ってなんだよ!?俺だって、七星にとって必要なんじゃないのかよ?なんで・・どこが違うっていうんだよ!?」
低い声音で昴が呟いた時、授業が終わるチャイムが鳴り響いた
「・・っ!?やば・・・!」
とっさに机の下に昴が身を隠す
ザワザワ・・と生徒達が騒ぎながら教室を後にしていく
どうやらその授業が最終だったらしく、あちこちで別れの挨拶が飛び交っていた
そんな声があっという間に引いていき、人気がなくなった教室から舵が誰かと一緒に喋りながら戻ってきた
「・・・と、いうわけだから先客が・・・・」
言いかけた舵の声が止まる
昴が寝入っていたはずの机の上には、白衣の膨らみだけがその名残を残していた
「あれ?目が覚めて帰っちゃったのか・・・お昼も食べずに眠ってたのになぁ・・・大丈夫かな?」
「・・・あんたな、そんなわけわかんない奴を簡単に校内に引き入れんなよ」
聞こえてきたその聞き覚えのある声に、机の下の昴が硬直する
(っ!!な、七星だ!うわ・・やばい・・・やばいよ・・・どうしよ!!)
「だって、お腹減らしてたんだぞ?見捨てるわけにはいかないだろう?」
「犬や猫じゃあるまいし・・・。それより、あのパパラッチにやられたケガの方は?大丈夫なのか?」
ケガの話題に触れた途端、七星の声のトーンが変わる
他人に対する声のトーンではなく、自分たち兄弟に接する時と同じトーン
「本当に心配症だなぁ・・・浅倉は。今朝、事後経過で診てもらったけど特に異常はないし、何日かしたら痣も消えるよ。ああ、でも・・・!」
フ・・ッと舵の笑う気配
「そんなに浅倉が心配してくれるんなら、一生残ってもいいけどなぁ・・?」
「・・っばっか!何言って・・・」
怒ったように言いかけた七星の声がハッとした様に止まり、笑っていたはずの舵の声音が急に真剣なものに変わる
「・・・ごめん。今のは冗談。でも、浅倉を守るためなら、これから先何があっても、絶対に後悔はしないよ」
「な・・・・」
七星の戸惑った声音
「たとえ浅倉にとって、ほんの一瞬すれ違っただけの他人だったとしても、浅倉が笑って居られるなら・・・俺はそのためにこの先ずっと浅倉を守りたい。これは本当。だからこれだけは信じて・・・?」
柔らかく空気の動く気配
「・・ちょ・・離せって・・・!」
「ヤダ。返事聞くまで離さない」
「ヤダ・・って、あんた、子供か・・!?」
「浅倉、返事・・・」
七星がはぐらかそうとするのを許さずに、舵が静かに問い直す
訪れた沈黙・・・
机の下でそのやり取りをジッと聞いていた昴が、堪らずソ・・ッと机の横から2人の様子を覗き見る
窓から注がれる淡いオレンジ色の夕日が、舵の腕に首筋を捕らえられてその胸元に頭を預けた七星のシルエットを照らし出していた
「・・・・この先ずっとなんて・・信じられるわけ・・ない」
舵の胸元から落とされる、くぐもった低い・・硬い声音
「信じて・・・?」
そんな七星の声音に隠れた不安や恐れを見透かしたような、舵の柔らかい優しい声音
それを目の当たりにした昴が、床に着いていた拳を握り締める
(・・・っんだよ!こんなの・・・ありかよ!?全然・・・違いすぎじゃん・・・!!)
林が、舵は七星に必要だ・・・と言い切った理由
無理やり背伸びをして身につけた、七星の大人びた擬態
それを本人にそれと知られずに包み込んで、剥がしてやれるだけの、本当の意味で成熟した大人の態度
ただ七星が自分の側から離れてどこかへ行ってしまう事を恐れ、自分を一番に見てくれなくなることを恐れている、自分勝手な考えとは全然違う
ただ、七星が笑っていられる事を
何よりも七星が傷つくことがないように、守っていけることを
そんな事を・・・今まで一体誰が七星に求めただろうか
(・・・勝てるわけ、ねーじゃん・・・)
昴には絶対に出来ない
七星は、昴にとって常に前に居て導いて行ってくれる存在だ
肩を並べる事も、ましてや守るために一歩前を行くことなど・・・不可能なのだ
七星の中で昴は永遠に弟なのだから
昴がガックリと肩を落として机の下でうなだれる
そんな昴の耳に、長い沈黙を破って七星の声が聞こえてきた
「・・・ストーカー」
舵の胸の中で、硬さも不安もすっかり削ぎ落とされた柔らかな七星の声音
「・・・他に言い方あるだろう?」
「・・・じゃ、変質者」
「・・・大して変わってないって・・・!」
クスクス・・と舵が笑う
七星の素直じゃない返事を舵が嬉しそうに受け止め、七星がその舵の解釈を否定せずに受け入れているのが伝わってくる
ハァ・・・ッとため息をついた昴が、ムッとしたように唇を引き締めた
例え敵わないと分かっても
それならそれで、余計にムカついてくるこの気持ちを止める術はない
(・・・気にいらねー!分かってても、ムカつくものはムカつくんだよ・・!)
キッと瞳を見開いた昴が、意を決したように立ち上がりその名前を呼んだ
「・・・っ七星!腹減った!!」
「えっ!?」
突然、しかもそこに居るはずのない人間に名前を呼ばれた七星が、弾かれたように舵から身体を離し、驚愕の表情で昴を見つめた
「ッ!?す、昴!?何でお前・・っ!?」
その七星の表情と、その少年を呼んだ名前に、同じくビックリ顔で振り返った舵だったが、一瞬にしてその状況を把握した表情に変わった
その舵の、いかにも大人な場馴れした雰囲気と静かに見つめ返してくる視線に、昴のイライラが更に増す
「・・・なんだ、浅倉の弟君だったのか」
余裕の笑みすら浮かべて微笑んでくる舵に、昴がまるで棒読みのように礼の言葉を言い募る
「ご迷惑をおかけしました!ご飯と寝床、ありがとうございました・・!」
ペコリと頭を下げたかと思うと、ツカツカ・・と七星に歩み寄りその腕を取って引っ張った
「ちょ・・・昴!?」
まだ状況が把握できずに困惑顔したままの七星を無視して、昴がその腕を引っ張って行き、準備室のドアを引き開ける
「お腹減ったんだってば!言っとくけど、俺、昨夜七星に放って行かれて晩御飯だって食べてないんだからね!」
ドアの手前で振り返って七星に向かって言い放ちつつも、その半分は舵に対しての牽制だ
「・・・う、そ、それは悪かったって・・・」
「とにかく、お腹減ったの!今日は昨日の分も作ってくれないと許さないからね!」
暗に昨夜の事はもういいんだと言ったのと同じ言葉に、七星が目を見開く
「昴・・!?お前・・・・」
何か言いたげな七星を強引に舵の視界から奪い去るように、ドアの外へと押し出した昴が
「お騒がせしました!!」
と言った途端、七星からは見えない位置で舵に対してアッカンベーをしたかと思うと、ピシャリッと、ドアを叩き閉めてしまった
「・・・なかなかどうして!」
その昴にクック・・と笑って呟いた舵が、閉められたドアを開け、廊下の角を曲がろうとしている昴の後姿に声を掛けた
「昴君!また遊びにおいで!待ってるよ!」
「っ!?」
一瞬、キッと舵を睨み返した昴だったが、返事を返すことなく廊下を曲がって姿を消した
その昴に引っ張られるようにして廊下を曲がった七星は、あっけにとられた表情のまま、ただ2人を見比べていたのだった