ACT 35
学校での一件以来、昴はすっかり元通りになり、林の道場にも再び通うようになった
七星も以前と同じように舵と放課後の一時を過ごしてから、帰宅する・・・その少し遅くなる理由を知ってしまった以上、そんな七星の帰りを待つぐらいなら、うるさく言い寄ってはくるけれど、健一郎と居る方がまだ気がまぎれると言うものだったからだ
舵のケガも順調に回復し、七星に対して「宿題」だと言った事は忘れてしまったかのように、そんな話題を口にすることもなかった
だがその代わり、昴との一件以来、浅倉家の弟たちの事をよく話題にするようになっていた
そんな穏やかな数日が過ぎた頃
いつものように準備室で七星がお茶していると、常連の一人である2年の進路指導担当教師が、出張土産を持って顔を出した
「舵先生、いつもお茶をご馳走になってるお礼です。・・・と、お?浅倉!ちょうど良かった。お前、進路希望もう決めてるのか?今日、進路相談の3者懇談の日程表渡しただろ?どうするんだ?」
「・・・・3者懇談は・・・ちょっと」
七星の顔に苦笑が浮かぶ
懇談の時期には、北斗はラスベガスでの公演が決まっている
懇談はいつものごとく、教師と七星の2者懇談にしてもらうつもりだった
「・・・そうか、無理か。で?進路希望は持ち上がりでいいのか?」
桜ヶ丘学園には同じ系列に大学もあり、高校の成績が高水準であれば面接と小論文だけで進学できる制度がある
1年の時から、七星はその制度で持ち上がりを希望していた
「はい。そのつもりです」
簡潔に答えた七星に、その教師が複雑な表情を浮かべる
「・・・本当にそれでいいのか?」
「・・・え?あ、はい」
「・・・そうか」
何か言いたげな言葉を呑み込み、教師が持ってきた土産の袋を破り始めたのを見計らって、七星がいつものように準備室を後にした
七星が帰った後、お茶を差し出しながら舵が訝しげな表情で教師に問いかける
「浅倉・・・何か進路に問題でも?」
「え?ああ、いや、全然。むしろ何も問題がなくてこちらがすることも口を挟む事もないくらいで・・・ただ・・・・」
「ただ・・?」
差し出されたお茶を一口飲んだ教師が、浅くため息を吐く
「・・・そうなるように・・親がいなくても無難に行ける所に行っているような・・そんな気がしましてね」
「・・・なるほど」
舵の表情も曇る
それはずっと以前から、舵が七星に対して感じ続けていたことと同じだ
七星には自分の意思というものが、ある意味欠如していると言って過言ではない
最近では弟たちの話題にも触れるようになって、更にその事を実感していたのだ
七星が自分で望んでいると思い込んでいるもの
それは全て弟達のためであったり、父親のためであったり、周りに迷惑を掛けないためであったり・・・全ては自分以外の者のためなのだ
その事を実感したからこそ、舵は七星に「宿題」だと言った事に触れなくなった
それを問いただした所で、今の七星では答える事が出来ない
何かが・・七星の中でストッパーになって、自分を大事にするということや、誰かを特別に思うという事が出来ないでいるのだ
そしてそれは、舵の知りえない七星の過去に原因がある
悔しいが、舵ではその原因に触れられない
それに触れられるのは・・・触れていいのは、おそらくはその原因を知っている父親と弟たちだけ
「それにね、もったいない気がするんですよ。浅倉ならもっといい所を狙えるんですがね・・・。何だか、宝の持ち腐れという気がしてならないんですよ・・・」
そう言った教師の言葉は、そのまま舵の心情そのものだった
「麗、流、お前たちも進路調査票と3者懇談の日程表、もらったんじゃないのか?」
キッチンでの家事を終えた七星が、リビングでくつろぐ今年高校受験組の弟達に声をかける
「・・・ああ、もらったよ」
「・・・もらった」
麗は読んでいた本から目を離さずに答えを返し、流はどこか歯切れの悪い答えを返す
「もらったって・・だったら俺に・・・」
「2人とも、もう決まったから」
七星の言葉を封じるように、麗が簡潔に答えを返す
「決まった・・?2人とも・・・って?」
眉間のシワを寄せた七星が、麗と流を交互に見比べる
麗は顔も上げずに本に視線を落としたまま
流は慌てたように七星の視線から逃れ、床で自主筋トレを始めてしまう
「・・・どういうことだ?・・・・麗?」
昔からたいていこういう事は、麗の方が仕切り役だ
「・・・うん?そのまんま。決まってるから七星は気にしなくていいよ。俺達より自分の進路の事を気にしないといけないんじゃないの?七星?3年から理系・文系の進路に合わせたクラス編成になるんだろ?」
「・・・俺は、もう決まってるから・・・」
「なら、俺達と一緒だ。お互い様だろ?」
「・・・っ」
麗の含みのある言い方に、七星が一瞬、言葉に詰まる
「・・・っだけど、今までは懇談だって俺が行ってだろう?」
それが浅倉家の暗黙の了解的決まりごと
七星が北斗の代わりに親権者の役を担い、代理として学校関係の事に関わる
今までずっと、そうやって来たのに・・・
七星の戸惑った声音に、ようやく麗が顔を上げ、七星と視線を合わせる
「・・・七星は、俺達の・・・なに?」
「なに・・・って?」
「七星は、北斗じゃないだろう?七星だって、北斗の親権下にある。俺達と同じ立場のはずだ」
「そりゃ・・・」
言いかけた七星の声を遮り、進路などという話題にはまだまだついていけない昴が、そんな会話など意にもかけずに見入っていたテレビ画面を指差して、叫んだ
「七星!ちょっと、これ!このニュース見て!!」
昴の嬉々とした声音に、七星がテレビ画面に視線を走らせる
「ニュース・・・?」
その昴の声に、七星を見上げていた麗と、床で腹筋をしていた流もテレビ画面へと視線を向けた
「ほら!美月おばちゃん!」
知っている人間がテレビに映った事を、昴が無邪気に指し示す
「・・・・Wホテルの買収、成功したんだね」
静かな声で言った麗が、興味津々、画面を見据える
流も起き上がり、昴が座っているソファーの背もたれにもたれかかって画面を見つめた
4人の視線の先にあった、テレビ画面
そこに、華山 美月の臨戦モード体勢の華やかな笑みが映し出されていた
Wホテルのロビーで開かれた記者会見を映し出した画面では、大勢の記者に囲まれて、美月と見覚えの無い若い男が握手を交わしている
・・・『・・では、以前から話題になっていた多国籍企業が今回を機に名前を「AROS(アロス)」に統一、その東洋進出に華山グループが核となって参入、経営手腕を発揮される事になったわけですね。美月社長?』・・・
・・・『ええ。「AROS」はまだ東洋基盤が形成されていません。Wホテルだけでなく様々な業種展開によってその基盤を作り上げていくつもりです』・・・
・・・『では「AROS」代表代理・アリー氏にお聞きします。「AROS]の代表者はその素性全てを明かさない方針だそうですが、その理由は?』・・・
・・・『「AROS」は様々な国と地域を結ぶ要となる企業を目指しています。これからも今回のように皆様を驚かせるような提携を結ぶ事が多くなると思われます。その活動を円滑に行うための手段の一つに過ぎません。ですが、大変魅力的な人物だという事だけはお伝えしておきます』・・・
わずかに額に落ちかかった赤茶色の髪をかきあげながら、鋭い目元を一瞬緩め、アリーが記者達にその人物を誇るかのような笑顔を見せる
まだ20台前半にしか見えないのに、その雰囲気は取り囲む百戦錬磨の記者達に決して気力で負けていない
テレビ画面を見入っていた七星が、ふと視線を流に移した
「・・・流、あのアリーっていう奴、何となくお前に雰囲気が似てないか?」
「・・・っ!」
途端に流がムッとした表情になって、七星を軽くにらみ返す
「あ、やっぱ七星もそう思った?俺も見た瞬間そう思ったんだよね」
流の対角線上にあるソファーに腰掛けていた麗が、頬ずえをつきながら意味ありげな笑みを流に投げる
(・・・・っのやろう!ほんとに性格悪いなっ!)
麗に対して心の中で悪態をつきながら、流が不機嫌そうに声を荒げる
「・・・似てねえよ!!」
押し殺した声音で言い捨てた流が、キッと麗を・・・そして画面にアップで映し出されたアリーを睨みつけた
そんな不機嫌全開の流と、どこか楽しげな麗の様子を訝しげに見つめていた七星が、ポツリ・・と言った
「・・・なんでハサン王子が表に出てこないんだ?」
誰に問いかけるでもなく七星の口から漏れた疑問に、麗が答えを返す
「あっちはあっちでいろいろあるんじゃない?それより・・さ、七星、気がついてる?」
「・・・なにを?」
「あの企業の名前」
「名前・・・?「AROS」か?それがどうしたんだよ?」
「そのスペル、よく見てごらんよ」
「スペル・・・?」
画面の端に小さく映し出された<「AROS」がWホテルを買収!>の文字をマジマジと見つめた七星の瞳がハッとしたように大きく見開かれた
「・・ッ!!A・R・O・S・・!逆に読むとS・O・R・A・・・『そら』!?」
「・・・そ。「浅倉 宙」・・・美月さんにとっては「華山 宙」なんだろうけど」
「なんで・・・!?」
「残したかったんだろう?華山家の関わる仕事の中に、宙さんの存在を。美月さんにとってはたった一人の姉だもんね・・無理やりその存在を消された上、語ることも出来ないなんて・・ほんとはきっと嫌だったんじゃないのかな?」
「そんな!だって美月さんが俺に言ったんだぞ?母さんの事は誰にも言うな・・って」
「それは七星を守るためだよ」
「俺を!?守る!?」
その言葉に七星の中で、先ほどの麗の含みのある言い方の時と同じ、ざらついた何かが駆け巡った
・・・『・・・だから自分が守られている事にも気がつかない、性質の悪いガキのままなんだ』・・・
以前、アルに言われた言葉が脳裏に甦ってくる
「だって、考えてごらんよ。あの頃北斗はまだ無名に近かったんだ、北斗絡みで宙さんの存在を隠す必然性はなかったはずだろ?
なのに美月さんがそう言ったのなら、七星が華山家の正式な後継者だって事を隠す必要があったからだと・・・そう思わない?」
「・・・え・・・?」
「精神的に壊れかけた父親を支え、俺たちの面倒まで見なきゃならなかった七星を、華山家のドロドロした遺産相続やら後継者争いの渦に巻き込みたくなかったんじゃない?
何しろあの頃、まだ七星は小学生に上がったばかりの子供だったし」
「・・・・あ」
七星の顔から血の気が引いていく
そうなのだ
例えどんなに巧妙に一般的には誤魔化せたとしても、遺産相続など正式な手続きや後継者絡みの事となれば、当然戸籍を元に七星の存在は一族に知られる事となる
七星の意思に関係なく、それは七星の上に降りかかることになるのだ
今までその事を思わなかったわけではない
ただ、それは美月によって秘され続け、自分には関係のない世界で終わるのだと、そう、思い込んでいた
その美月の本心など、考えもしないで・・・
「見てごらんよ、美月さんのこの顔。この人は七星と宙さんを守るために「AROS」に参画し、華山グループの旧体制自体を壊す気だよ。きっと周りの他の旧体制前とした役員達は今頃、美月さんの勢いを削ぐ為に奔走してるだろうね」
ハッと見つめた画面の中で、艶然と微笑みながら湧き上がる闘志そのままの光を宿した美月の強い意志のこもった瞳が、画面のこちら側にいる七星を見つめてくる
「・・・七星、俺達、もう子供じゃないんだよ?」
もう何度となく七星の前で告げられてきた麗の言葉が、いきなり現実味を帯びて七星の心に突き刺さる
ずっと、子供じゃない振りをして、自分達の事は自分達でやってきたつもりだった
だけど、はたして現実はそうだっただろうか?
北斗という親権者が不在の間、兄弟達だけで何とかやっていけるように、公的な手続きやその他諸々・・・大人でなければ通用しない全ての事を、誰かが・・・美月がやってくれていたからこそ、だ
そして、もう、本当の意味で子供じゃない年齢に達しつつある
その、逃れられない現実
「だから、もう、七星も北斗の代わりを・・・俺達の面倒を見る必要も、ないんだよ」
「・・・え?」
続けられた麗の言葉に、七星の思考が一瞬、停止した