ACT 36
「・・・七星が本当の意味で守らなきゃいけないのは、俺達じゃない。美月さんだよ」
「麗のバカ!なに言っ・・・!?」
何を急に言い出すのかと、叫びかけた昴の口を、流がソファーの後から手を回して塞ぎ、羽交い絞めする
「・・○△□×!!!」
その流に向かって昴が声に出せない抗議の声を上げたが、そこにあった流の真剣な瞳に目を瞬かせた
「・・・いいから、黙ってみてろ!」
昴の耳元で囁くように鋭く言い放った流が、麗と七星に視線を注ぐ
その流の真剣な声音と真剣な瞳
釣られて昴が視線を向けて見つめた麗もまた、何かの強い意志を秘めた、真剣な表情になっていた
「・・・麗?一体どうしたって・・・・」
麗の真剣な表情をはぐらかすように、七星が無理やりに笑みを浮かべてその言葉をなかった事にしようとする
けれど、麗が容赦なくその七星の言葉を遮った
「いつまで俺達をここに縛り付けておけば気が済むの?」
「しば・・る?」
「そうだよ。いつまでこんな家族ゴッコを続けさせる気?いつまで七星と北斗の罪滅ぼしに付き合わせれば気が済むの?」
その麗から放たれた言葉に、七星が言葉を失う
罪滅ぼし・・・
その言葉を七星はすぐに否定できない
宙を失ったあの事故の時、麗、流、昴の親達と共に北斗の仲間であった者達もまた、失ったのだ
唯一残されたのが、当時まだ幼い子供だったために公演準備の邪魔にならないように、会場から外に出されていた七星たちと、アルによって奇跡的に助けられた北斗のみ
つまり、七星だけは片親を失わずに済んだのだ
失ってしまった者達への呵責の想い
その想いがあったからこそ、北斗は遺された子供達を家族にした
そして七星もまた、自分だけに遺され与えられた物への呵責の想い
その想いがあったからこそ、弟たちの面倒を見ることを無条件に受け入れていたのだから
「・・・俺は・・・そんなつもりは・・・・」
「ないはずないよ。七星、俺達が気がついていないとでも思ってた?七星はね、俺達に対して一度も怒った事も、手を上げた事もないんだから・・!」
「・・・っ!?」
七星が瞳を見開く
確かに・・・七星の記憶の中でも、一度としてそんな事をした記憶がない
「・・・確かに・・・確かに、そうだけど・・・!だけど、それはそんな必要がなかっただけで・・・」
「必要がなかった?本気でそう思ってるの?だから家族ゴッコだって言うんだよ。七星はね、俺達を本当の意味で家族と思ってやしない。だから怖がってる・・・怒ったり手を上げたりしたら、自分が居るこの場所を失うかもしれないってね!」
「そんな事・・・!」
「ないって言うの?だったら証明してあげるよ。俺と流は桜ヶ丘学園高等部には行かない。学園を出て別の学校に特待生で入って、1年後には留学してこの家も出る!」
「え・・!?」
思わず七星が流に視線を投げる
昴も知らなかったようで、驚いたように目を見開いて羽交い絞めにしている流を凝視していた
「本当だ。麗はテニスで、俺はサッカーで。もう北斗の承諾も学校の推薦も取り付けてある」
今度は流も視線を反らさずに、明確な言葉を七星に返す
七星の驚愕の表情の中に、傷ついた瞳の色が揺れる
「父さんも!?そんな事一言も・・・!」
「それは七星が北斗に会わなかったからだろう?美月さんに呼ばれた時、七星は北斗に会えたはずだ。なのに会わなかった・・・どうして会いに行かなかった?」
麗の問いかけに、七星が答えに詰まる
皆の居ない所で一人で北斗に会うのは、抜け駆けのような・・・そんな負い目を感じたから
でも
そんな事を思う時点で、それは既に自分と弟達を本当の家族として扱っていない事と同じだ
家族なら、そんな負い目を感じる必要もないはずなのに
「そうやって七星は自分を殺してる。俺達に気を使い、北斗にも親らしい事をする機会さえ与えようとしない。そんな事をして・・それで俺達が喜ぶとでも思ってるのか?
七星は俺達のせいで自分のやりたい事も、自分の時間も、感情も、全部犠牲にしてる。
それに気がついていないとでも思ってた?昴だって気がついてたのに・・!」
「・・・・昴・・も?」
昴に注がれた七星の視線に、流が抑えていた口元の手を外す
「・・・・あ・・・え・・と・・・・」
戸惑ったように口ごもった昴だったが、流と麗の視線に促され七星をしっかりと見つめ返した
「・・・俺、ずっと・・ずっと七星の役に立ちたかった。でも、七星は俺にそんな事望んでなくって・・・子ども扱いされて、やりたいこととか何にも言ってくれなくって・・・!
凄く、悔しくて・・・嫌だった。俺が合気道必死にやったのだって、いつか、七星を守ってあげれるようになりたかったからなんだ・・・!」
「す・・ばる、お前・・・!」
いつまでも手のかかる幼い末っ子
そう見えていたのは、七星がそうさせていたから
父親をアルに奪われて、その虚脱感と取り残される寂しさを紛らわすために、昴を溺愛した
その反動が先日の告白騒動
けれどそれだって、昴の感じていた悔しさの裏返しだったのだと、改めて七星にその剥き出しの感情を突きつける
「・・・俺は、お前たちにとって、負担・・・なのか?」
「有り体に言えば、そうだね」
麗の現実を突きつける冷たい声音
「麗!そんな言い方・・・」
抗議の声を上げた昴に、麗が絶対零度の冷たい視線を投げつける
「昴は黙ってろ!今お前が言ったことと同じ事なんだぞ!」
「うっ・・・・!」
一言で昴を黙らせた麗が立ち上がり、立ち尽くす七星に歩み寄る
「・・・ほらね?ここまで言われても七星は俺達に怒れない」
歩み寄る麗に、七星がジリジリと後退する
「・・・悪いのは、俺の方・・だし・・・」
喘ぐように言った七星に、麗が噛み付くように言い募った
「・・・っどこまで保護者顔すれば気が済む!?一体何様のつもりだよ?!言っておくけどね、これ以上七星の偽善振りに付き合わされるのはごめんだからね!
そんな風に怒る気力もまともに取り合う気にもなれないくらい見下せて、さぞかし満足だろう?
そんな自己満足のためになんかに、これ以上付き合ってられないんだよ!!」
「麗・・っ!!」
堪らず七星が麗の肩口を掴みあげる
「なに?本当の事を言われて怒る気になった?」
苦渋に歪んだ七星の表情に、麗が冷ややかな視線を注ぐ
「どうして・・・なんでだよ!?俺は・・そんな風に思ってない。ただ、お前たちを守りたかっただけなのに!」
「俺達を守る・・・?お笑い種だよ!いったい俺達の何を守ってる気だったの?俺達には守られるべき事なんて何にもない!全ては、七星を守るためじゃないか!」
「俺を・・守る?」
「そうだよ。よく考えてごらんよ、宙さんが亡くなって、精神的に壊れかけた北斗と俺達を日本へ連れてきてくれたのは誰だった?あの状態の北斗が、この家や俺達の学校や生活全般の事の準備なんて出来たはずがないだろう!?」
「・・・・え」
七星が当時の記憶を遡ろうとして・・・眉根を寄せる
あの時、七星は北斗を支える事に罹りきりで、その時の印象が強すぎて、それ以外の記憶が・・・ほとんどない
「七星は覚えてないだろう?北斗に罹りきりで、他の事なんて覚えてられる状態じゃなかったからね。人一倍家族を大事にする北斗が、どうしてまだ幼い俺達を置いて仕事に復帰したと思う?そういった全ての準備で使われたお金や、その手続き全般を全て行った華山家に・・・華山 泰三に、七星を取り上げられないようにするためじゃないか!」
「あ・・・・・」
掴んでいた麗の肩口から七星の手が離れ、ガタン・・っと開け放たれていたリビングドアに背をぶつける
あの時
微かに、遠い記憶の中に、北斗以外の誰かが・・・母親の名前を呼びながら自分を抱きしめて泣いていたような・・・気がする
白髪で、大きな体で、怖いくらい威厳のあった老人
でも、注がれた眼差しはそんなイメージとは裏腹に優しくて・・・抱きしめられた胸の中は母親のそれと同じ感じがした
「あ・・・あの人・・・が・・・!?」
記憶が混濁している
あの時の七星は、北斗と同じくショック状態で、混乱していた
周りの大人たちの言動や、麗・流・昴がどこでどうしていたかとか・・・そんな事など気にする余裕が無かった
ただ、背中に大火傷を負った北斗に付き添い、生き延びてくれる事を・・・
『誰でもいい、何でもするから、だから父さんを助けて・・・!』と
あの時抱きしめてくれたその老人に、そう言い募っていなかったか
途切れ途切れに甦ってくる記憶
その記憶の断片に、七星の顔から血の気がなくなっていく
「・・・・流、麗を止めてよ。なんでだよ?何で今更・・七星にそんな事・・・!」
とてもじゃないが止める事などできそうもない、麗の底冷えのするような冷たい眼差しに、昴が振り返って流に懇願する
「・・・・タイムリミット。美月さんが動き出した以上、誰かが七星に言わなきゃいけない。その役を、麗が他の奴に譲るわけないだろう・・・?」
「タイムリミット・・・?」
「そ、華山 泰三が今いくつか・・考えてみろ」
「あ・・・!」
昴が大きな瞳をめいいっぱいに見開く
数年前から第一線を退き、その姿をテレビなどで見ることもなくなったが、その絶大なる存在感と権威は財界、政界でその名を知らぬものが居ないほどだ
だがその人物も既にかなりの高齢
第一線を退いて姿を見せなくなったのも、病気療養でそろそろ死期が近いからではないのか?と噂されていたのだから
「そうだよ、七星。その人が華山 泰三・・・すぐにでも七星を華山の家に引き取ろうとしたのを、美月さんが止めたんだ。そんな事を七星に押し付ける事を、宙さんは望んでないってね。
本来なら、否応なく華山家の後継者のなるはずだった七星を、美月さんはそんな物に束縛される事なく、宙さんのように自由に生きて欲しくて・・・!
だから自分が社長になってその後継者制度も、親族経営気質も全てを変えようとしてる。七星を守るために・・・!」
「・・・・っ!」
七星の見開いた瞳の中に、テレビで繰り返し流される美月の不敵な微笑みが写っている
・・・・『お前は守るという意味合いを履き違えている。だから自分が守られている事にも気がつかない、性質の悪いガキのままなんだ」』・・・・
アルが自分に向かって言い放った言葉が、重く七星の脳裏に甦る
気がついていなかった
気づこうともしなかった
自分が今まで必死になって守ろうとしていた物は、自分のエゴ
麗や流や昴をこの場所に縛りつけ、自分の居場所を作り上げていたに過ぎない
気がついてしまった現実
その居たたまれなさに、七星がうなだれる
「俺達には、もう七星は必要ないし、七星の居場所になってやる気もない!」
言い渡された決別の言葉
「・・・っ!!」
唇を噛み締めた七星が、どうしていいか分からずに玄関を飛び出していく
気がついてしまった以上、知ってしまった以上、ここに七星が居られる場所はないのだから
「っ!七星・・!!」
思わずその後を追いかけようとした昴を、流が引き戻す
「バカ・・ッ!!追ってどうする!?」
「どうする・・って、だって、七星が・・・!!」
「また同じ事を繰り返させる気か?!俺達から七星を突き放してやらなきゃ、七星はどこにも行けないんだよ!俺達は、これ以上七星の足かせになっちゃいけない!」
「でも・・!だからって・・・!麗も麗だ!!何もあんな言い方しなくったって・・・!!」
憤って麗に言い募った昴だったが、麗はその昴に背中を向けたまま振り向こうともしない
「麗っ!!」
苛立った様に叫んだ昴を、流が押さえ込む
「この・・バカ猿!誰が一番辛い思いをしてると思ってる!?一番辛いのは・・・」
言いかけた流の言葉を、麗が遮った
「流!一番辛いのは、七星だろ?・・・・それに、七星だけ傷つける気はないよ。傷つけただけの痛みを、俺も受けるから・・・」
ついさっきまで声を荒げて七星を責め立てていた人物とは思えないほどの、静かな、悲しい麗の声音
「え・・・?」
麗のその声音と言葉の意味に、昴が眉根を寄せる
背中を向けたまま、麗がポケットから携帯を取り出した
「・・・・心配しなくてもいいよ、昴。七星は、必ずここへ・・・俺達のところへ帰ってくるから・・・」
麗が携帯を開き、登録してあったらしき番号に電話を掛けた
「・・麗?なに・・・?こんな時に誰に電話してんの?」
訝しげな昴の問いかけに答えずに、麗がジ・・ッと相手が出るのを待っている
しばらくの沈黙の後、麗の携帯を持つ手に力がこもった
「・・・・はじめまして。浅倉 麗です。ええ、浅倉4兄弟の2番目の・・・。あなたに、お願いがあるんです・・・舵先生・・」
「・・・っ!?」
昴と流が、驚愕の表情で顔を見合わせていた