ACT 39
「え・・・?」
舵と一緒に公園を出てから、ものの数分で舵のマンションに着いた七星が、驚いたようにそのドアの前で立ち止まる
「・・・ん?」
ドアの鍵を開けた舵が、立ち止まったままの七星を振り返った
「・・・ここ・・・って、何で・・・こんな近くに・・・?」
確かに、さっきの公園は二駅ぐらい先だと、麗が言っていた
舵のマンションがあるこの場所も、二駅先・・・だ
・・・・なら、七星は、どこをどう歩いてきたのか分からない・・その無意識の内に、舵の居るこの場所の方角へ向かっていた事になる
「なんで・・って、浅倉は本当に自分の事が分かってないなぁ・・・」
七星の戸惑いを見透かしたように、舵がクスクス・・・と笑い声を立てた
「・・・何が!?」
眉根を寄せた七星の腕を取った舵が、強引にドアの中へ引っ張り込む
「とにかく!お風呂に入ってその濡れた服と冷えた身体を温めることが、最優先!ほら、こっち!」
もう既に一度、風呂を使った後だったのであろう・・・既に浴室には湯が張られている
追い炊き機能のボタンを押した舵が、備え付けの戸棚からバスタオルを取り出して、風呂場のドアに取り付けられたバーに引っ掛けた
「出たらこれ使って。ちゃんと肩まで浸かって、身体温めるんだぞ!?いいな!?」
舵が大真面目に、まるで幼い子供に向かって言い含めるように七星に言う
「・・・俺は幼稚園児か」
あきれたように言った七星に、舵が笑いながら言い放つ
「なんだったら、一緒に入ってやってもいいぞ?100まで一緒に数えて、ついでに身体も洗ってやる!」
「・・っば・・!何考えてる!?なんであんたにそんな事・・・!」
「だって、浅倉そういうの、してやったことはあっても、やってもらった事がなさそうに見えるから」
「・・っ!?」
思わぬ図星に、七星が言葉を失う
「小さい頃は一緒に居てやれなかったけど、これからはずっと一緒に居てやれるから・・だから、何でも言って?何でもしてやるから・・・」
そんな言葉と共に、舵が七星の濡れて額に張り付く前髪をかきあげる
「な・・・に・・・言って・・・っ!?」
七星が後ずさる間もなく間近に顔を寄せた舵が、露わになった七星の額にキスを落とす
「言って・・・浅倉、何でも・・・」
冷えた身体に落とされた温かな唇の感触
さっきの男と同じ感触のはずなのに、今度は勝手にドキン・・ッと心臓が跳ね上がる
間近で自分を見つめる舵の、包み込むような優しい瞳
「う・・・っ」
思い切りうろたえた七星が、赤くなった顔を隠すように俯いて、舵の身体をグイグイと押し返す
「じゃ、とりあえず、ここから出てけ!俺は風呂に入るんだから!」
俯いたまま舵を強引に押し返す七星の耳の先が、真っ赤に染まっている
それに気づいた舵が、クス・・と忍び笑いを洩らしながら廊下へと続くドアに手を掛けた
「はいはい、お姫様のご要望どおりに・・・!」
「・・っ!?誰がお姫様だ!!」
思わず掴んだバスタオルを、七星が絶妙のタイミングで閉じられたドアに虚しく叩きつける
「後で着替えの服持って来てやるからなー!ちゃんとあったまれよ!」
舵の楽しげな声音が、遠ざかっていった
七星が風呂を使い始めた音を確認した舵が、おもむろに携帯を開く
先ほどかかって来た麗の携帯番号に掛けなおし、ワン切りで電話を切った
七星を無事に見つけられたら、そうやって連絡してくれ・・・と頼まれたのだ
「・・・しっかし、麗って言う奴も大概いい性格の持ち主みたいだな・・・」
舵がフラップを閉じた携帯を握り締める
電話が掛かってきた時、麗はこう言ったのだ
・・・『・・・今、七星が家を出て行きました。多分、無意識にあなたの所へ向かうはずです。七星を見つけて下さい。七星は今、究極に無防備になってるはずだから・・・そういう時の七星は、飢えた男に目を付けられやすい。その周辺は発展場も多いから、早く見つけないと七星は心も身体も傷つく事になる』・・・・
と・・・
一体何があったのか?と問いかけた舵に、
・・・『嫌だな・・・気がついていたでしょう?七星の足かせを取り払ってあげたんですよ。あなたには出来ない、俺達にしか出来ない事ですから』・・・・
そう、ほんのわずかだが侮蔑の色合いが滲む言葉を返してきた
その一言で、どんな方法でかは分からないが、七星を縛り付けていたしがらみを、弟達自らの意志で断ち切ったのだと・・・そう感じた
どうしてそれを自分に・・・?
そんな疑問が湧かなかったわけではない
けれど、とてもじゃないがそんな悠長な事など、考えている暇はなかった
麗が言ったとおり、この界隈はそういう場所が多い
舵がわざわざ二駅も離れたこの場所にマンションを借りたのも、バイである舵が女よりも後腐れのない、手っ取り早い性欲処理相手探しに適していると踏んだからだ
もっとも、越してきて早々に七星に出会い、そんな事をする気分にもならなかったのだが
そんな諸事情もあって、舵は七星が辿ってくるであろう道とかかる時間を推察しつつ、七星の姿を求めて奔走していた
あの公園は、実は2度目だった
もうそろそろ家の近くに来ている筈だ・・・と探し回っていて、感じた胸騒ぎ
ああなると分かっていて、それでも麗は七星を自ら探そうとはしなかった
そうなるであろう事を舵に教え、見つけ出させようとした
恐らくは、誰よりも七星を心配し、必死になって探し出すだろう、最適な人間
そしてもしも、舵が間に合わず七星があのまま・・・・になってしまったとしても・・・
舵はその事で自分を責め、七星と顔を合わすことすら出来なくなっていたはず
そうして傷ついた七星は
他に行ける場所も、頼れる人間も失って、結局は弟達の元へ帰るしか術がなくなる
全ては、計算づくなのだ
どう転んでも、七星を再び自分たちのもとへ帰らざる得なくするための・・・
「・・・究極の天敵・・・」
舵が深いため息を吐く
恐らくは、七星と関わり続ける限り、麗の存在は背後にあり続ける
七星が家族を切り捨てるはずはなく、そして麗もまた七星を離れられなくするために、決して家族以上の一線を越えないだろう
恋人として七星を愛し、七星が愛する人間に、永遠に自分の存在を誇示し続けるために
「・・・怖いねぇ・・・」
ブル・・ッと身を震わせた舵が、その元凶である携帯の電源を落とし、目に入らない隅っこへ押しやっていた
舵から借りたパジャマは七星には少し大きくて、手足の袖を少し折り曲げた状態でリビングに現れた
その、いつもと違う・・・幼さを滲ませた七星の姿に、舵が目を細める
「似合うなぁ・・・浅倉」
「は?何が?」
「いや、そんな風に裾を折り曲げてるとことか・・・凄く、可愛い・・・」
「・・っか、可愛い!?ど、どこがだ!!あんた、絶対眼科行った方がいいぞ!!」
今まで一度として言われたことのない言葉に、七星がどう反応を返していいか分からずに、顔を赤らめて言い募る
そんな仕草が、更に舵の目には可愛くて仕方ない・・と写っている事など、七星に分かるはずもない
「そんな馬鹿なこと言ってる暇があったら、さっさと風呂へ行って来い!あんただってまだ泥だらけだろ!?」
「はいはい。お望みのままに」
そう言いながら、浴室を手で指し示した七星の手を、舵が通り過ぎ際に取ったかと思うと、電光石火の早業でその手の甲に唇で触れていく
「っ!?こ・・のっ!!いい加減に・・・!!」
驚いた七星がその手で舵を引っ叩こうとしたが、それよりわずかに早く舵が浴室へと逃げ込んでいた
ドアを閉める直前、「覗いてもいいぞ〜?」と、笑顔で言い放つ
思わず追いかけようとしていた七星の足が、ピタっと止まる
「だ、誰が覗くか!!」
慌てたような七星の声に、舵の笑い声が重なった
その明るい雰囲気に、舵の気遣いを感じて、七星がうなだれる
どうして一人であんな所にいたのか・・・とか
なんで舵が自分を見つけてくれたのか・・・とか
お互いに聞きたいことはたくさんあるはずなのに・・・
舵はそんな話題にすら触れようとはしない
ハァ・・・ッとため息を吐いた七星が、部屋の中央付近にあったローテーブルに腰を下ろす
クルンッと鮮やかな手つきで七星の手首が空を切ったかと思うと・・・
次の瞬間、その手の中にトランプカードの束が出現していた
そのカードが、七星の手の中で、北斗顔負けの手さばきでシャッフルされる
あの・・・母親を亡くす事故が起こる以前までは、夜ともなれば北斗自らが先生となって、まだ幼すぎた昴以外の子供達・・・七星・麗・流にカードマジックの手ほどきをしていた
血筋もあったのだろうが、その中で七星が一番呑み込みが早く、上達も早かった
先ほど舵を加勢する為に放ったカード投げの技も、子供時代から遊びも兼ねて習得したきたもので、今では立派に身を守る武器の一つになっている
ただ、その技も相手があまりに近くにいては威力が発揮できない
七星が襲われていた時のように、体を密着されていたのでは武器にはならないのだ・・・
その時の事を思い起こした七星の、カードを切る手がピクッと止まる
・・・もしも
もしもあの時、舵が来てくれなかったら・・・あの後自分は・・・!?
そう思った途端、あの男に触れられた首筋が・・胸元が・・再び急速に冷え切っていく
「・・・・っ」
背筋を駆け上がってくる、吐き気にも似た嫌悪感
思えば・・・七星が視線に敏感になったのも、そういう意味合いのこもった視線に曝され続けてきたからだ
北斗自身も七星によく言っていた
・・・『どういうわけか、持って生まれたこの容貌と雰囲気は、良くも悪くも人の関心を惹きつける・・・だから七星も気をつけるんだよ』・・・と
考えてみれば、そんな視線に曝された時、側には決まって麗が居た
まるでそんな視線から七星を守るかのように、その目立つ容貌を誇示して視線を遮断してくれていた
今まで七星が先ほどのような目に合わずに済んでいたのも、そんな風に守られていたから・・・
自分自身が意識もせずに、無自覚に
そして今、守っていたと思い込み、守られていたもの・・・その全てを失った
残されたのは、浅倉 七星という、ただの子供
自分の無力さを・・・一人では己自身の身さえ守ることも叶わない・・・その事を思い知った、ただの世間知らずで性質の悪い子供
「・・・・・っ!」
心底冷え切った身体が小刻みに震え始め、堪らずその身体を押さえつけるように両腕で自分の身体を抱き込んだ七星の手から、カードが乾いた音を立てて床の上に滑り落ちる
人々に夢を与え、興味をそそり、その視線を釘付けにするカードマジックも、種がばれてしまえば、ただの陳腐でつまらない虚構
今の七星は正にそれ・・・だ
守るべき物があったからこそ、自分を自制し感情も意志も押さえつけていられた
だが、それを失ってしまった今、そこに居るのは震える身体を止める術さえ知らぬ、まだ高校生の不安定な子供でしかなかった・・・