「七夜の星に手を伸ばせ」番外編
アレクサンドライト ACT 1
部屋に入って明かりを付けると同時に、3台あるパソコンの電源を入れる
まるで企業の区切られたブースのように、機能的でシンプルな机が扇状に配置され、そこに配された無機質な機械から、低く振動する音が室内にこだました
肩に掛けていたテニス道具一式入りのバッグを所定の位置に置き、無造作に黒い詰襟の学生服を脱ぎ捨てた・・・この部屋の主、浅倉麗がギシ・・ッと座り心地の良さそうなキャスターつきの椅子に腰掛けた
「・・・さて・・と、今日はなんか面白い事でも載ってるかな?」
立ち上がったパソコン画面から、その日のトピックスや週刊誌の見出し、株価の変動、気象状況・・・果ては特定の人物のブログまで・・・
「・・・特に収穫なし、か」
呟いた麗が、ようやくメールボックスを開ける
この一台目のパソコンは、主に家族や学校・部活などとの連絡を取る・・・浅倉麗として使用するパソコンだ
今日はスパムメールばかりで、それらを一気に削除した
今度は2台目のパソコンの前に、軽快に椅子を転がして移動する
この2台目のパソコンは、麗が「ホープ」というハンドルネームで株の売買をするのに使っている
その日の株式市場を開くと、狙い目の株の数値に目を通していく
一通り目を通し終わると、メールを開き、大量に送られて来ている売買情報の中から、必要なものだけに素早く返信を打ち込む
次に移動した3台目のパソコンは、麗が「キャッツ」というハンドルネームで企業向けコンサルタントをするのに使っている
ここには企業が管理するサイトや掲示板、商品情報・・・麗が優良と判断した様々な業種が登録されていて、そのメールボックスには毎日のように企業からの相談メールが届けられてくる
どうして麗がこんな事をするようになったかといえば
幼い頃からこういった電子機器に対して興味があり、北斗との連絡が全てメールに頼っていた・・・という事が第一の要因だといえた
必然的にその連絡役を買って出た麗は、幼い頃からずっと電脳世界と関わり、その匿名性と電子マネーの存在から、ほとんどゲーム感覚で株の売買を手がけるようになっていった
もともと天性の資質があったのと、負けず嫌いの性格、勝負師としての勘・・・それらが功を奏して成功し、この業界でその名を知らないものは居ないと言われるまでの存在にのし上がっていった
今では「ホープ」と聞けばあの有名な「ホープ・ダイヤモンド」の逸話になぞらえて、その売買の邪魔をしたり横やりを入れた者は必ず悲惨な憂き目にあう・・・という噂話がまことしやかに囁かれるほどだ
その株の売買を通して麗が行っていた、ある行為・・・
それがいつの間にか噂が噂を呼び、気が付けば企業向けコンサルタントとして位置づけられるようなものにまで、成長してしまったのだ
その行為とは、自分が投資した株の会社に対し、そのサイトの掲示板やメールフォームを利用して自らの意見を書き込む・・・と言う至極一般的なものだった
だが
その鋭い指摘や豊富な情報量、経営上に関する専門知識までを網羅した書き込みに、当時まださほど有名でもなかった企業家が目を付けた
麗が「キャッツ」と名乗って書き込んだ意見を受け、それを実践すべく更に細かい意見をしてもらいたい・・と返信したのだ
その報酬として、実際に売り上げが取れればその10パーセントを提供するかわりに、それに伴う権利は全て会社に譲渡すること・・・という抜け目のない条件をつけて
もともとその会社が伸びるであろうと・・と予測して株を買っていた麗である
その会社の株が上がるのであれば、それ以外の事に特に興味もなかった
すぐさま具体的な方法とその経営方針を、提示した
そして、これがとんでもなく大当たりしたのだ
その企業はこのことをきっかけに一気に大企業の仲間入りを果たし、その周辺から口コミで「キャッツ」という名が、いわゆる裏業界で有名になっていった
「キャッツ」にコンサルタントしてもらえた企業は、必ず株が上場し、莫大な利益を得ることが出来る・・・そんなまことしやかな噂が囁かれるほどに
今では企業ごとにパスワードつきの掲示板を設置し、麗とその企業のトップ、一対一で意見の提示・交換を行っている
けれどその掲示板を企業が手に入れるには、麗が優良と判断し、この先に伸びる可能性があると判断する、麗自身が設けた厳しい条件をクリアしていなければならなかった
それ故に、どんな大企業であろうが、どんなに小さな企業であろうが関係なく、コンサルタント料として破格の値段を提示されようと、成功報酬であろうと、そんな事も関係なかった
その首尾一貫した姿勢と、徹底した的確なコンサルタント
それがまだ若干15歳の少年によってもたらされている物だと、一体誰が想像しうるだろうか
実際、麗は「ホープ」としても「キャッツ」としても、その素性も私生活も、いっさい公開していない
たまに付き合いが長くなってくると、会ってみたいだとか、素性を探るような事を書き込んでくる輩もいる
そういう手合いは、麗は容赦なく切り捨ててきた
それでもストーカーまがいに裏から手を回してくるような、性質の悪い輩には、それこそ社会的に抹殺する事も厭わなかった
なにしろ、ネットを通じて世界中の名だたる企業家達に直に意見できる立場に、麗は立っているのだ
この、何の変哲もない、浅倉家2階の自室で椅子に座りながら・・・
「麗っ!!風呂あいたぞー!」
不意に部屋のドアが開け放たれ、風呂上りに腰巻きバスタオル、半乾きの髪をグシャグシャとかき回しながら、流がドカドカと侵入してくる
「・・・流!ノックぐらいしろって、何度言ったら分かるんだ!?」
「いいじゃん別に。昔は一緒の部屋だったんだし、今更だろ?」
言いながら流が、打ち込みを続けている麗の背後から画面を覗き込む
「最近はどーよ?あのしつこい成り金ストーカー野郎はどうなった?」
「・・・俺が持ってたそいつの株を、全額売りに出してやったよ」
「ッは!まじで?そりゃ気の毒に!そいつの会社の株、大暴落なんじゃねーの?」
「さあね。知らないよそんな事」
「う・・わ、つめてー。ほんと、麗って情け容赦ないな」
「・・・そう?生殺しよりましだと思うけど?」
そう言って、麗がクルッと流に向き直る
「その髪、もう少し整えたら?切ってやろうか?流?」
言われた流が、薄い笑いを浮かべて見据える麗の眼差しに・・・たじろいだように一歩後ず去った
先日、ハサン王子との別れ際にばっさりと長かった髪を切った流は、切り揃えることもせず、ワイルドに毛先を遊ばせたままなのだ
「・・・っ、あ・・・前言撤回!適切かつ、最上な処置だと思います!」
「・・・当然だね。今度の事で美月さんにもばれちゃったんだし、これからは「AROS」とも関わらざる得ない・・・大変なんだよ?」
そう言いつつも、麗の口元にはいかにも楽しげな笑みが浮かんでいる
(・・・どこが大変だ・・ッつー顔だよ?絶対、面白がってるよな、麗って・・・。しかもこいつ、俺が髪切った理由も見透かしてる・・・よな、やっぱ・・・)
流が心の中で呟きながら、嘆息した
実は、麗がこんな事をやっていると知っていたのは、養父である北斗と以前同じ部屋だった流だけだった
パソコン関連の周辺機器を買い足すために、北斗のカードを使わなければならない
その理由を適当に誤魔化せるほど、北斗は甘くなかった
なにしろ麗が関わる企業家達と北斗は、そのほとんどが顔見知りで、客だったのだ
当然「ホープ」と「キャッツ」の名前と存在も、話題に上る
そのネット上の素性を消して明かさない存在が、麗であるということに北斗が気が付かないはずがなかった
北斗の持つ観察眼と洞察力、そしてどんな局面でも切り抜けてきた、柔軟性のある思考・・・それは麗をして、唯一敵わない・・・と言わしめるほどのものなのだから
そして今回、麗は七星の自覚を促し、華山家の正式な後継者としての道を歩ませるべく、七星以外で繋がっている華山家との関わりを切ることを画策した
華山グループの系列である桜ヶ丘学園からの転校
華山の持ち物である、今住んでいるこの家からの離脱
なおかつ、自分達のやりたい事を続ける手段としての、海外留学
そうした計画が、たまたま北斗の目論んだ「AROS」を立ち上げるための計画と、時期を同じくして重なった
それが本当に偶然だったのかどうか・・・
北斗とハサン王子、そしてその背後にいる、ファハド国王・・・どれを取っても油断のならない人物達なのだ
その真相を探ろうとする事など、無為な行為に他ならない
そんな中、同じく油断のならない人種である美月もまた、麗がとった行動と計画、そしてWホテル買収中の華山にとって有利な株の変動・・・それらを動かしていた「ホープ」の存在に疑念を抱いていた
その存在が麗と同一人物だと言う結論に至るのに、そう大した時間はかからなかったのだ
「大変なのは分かったからさ、風呂!俺、フタ開けっぱなしで出て来たから、早く行ってこいよ。飯が遅くなるだろ?」
浅倉家の夕食は、流と麗が風呂を出てから・・・がいつの間にか決まりごとになっているのだ
「・・・はいはい。それはそうと、今度行く片桐インターナショナル・アカデミーへの推薦の条件、いけそうなのか?」
「ああ、それは大丈夫!今度の大会もベストメンバーだし、ベスト3入りは確実だって!そっちの方こそどうなんだよ?」
「早速来週、実力が見たいとかで片桐グループ系列のリゾートテニスホテルオープン記念試合に呼ばれてる」
「あー、あの、万博絡みで建てられた超豪華ホテル?でもそれって公式試合なわけじゃねーだろ?」
「・・・個人的挑戦状だよ」
「挑戦状!?」
「そ。俺、去年の大会で片桐の所の息子にストレート勝ちしちゃってるから」
「・・・あっ!トーナメントでは片桐に負けたけど、個人レベルでは麗が全勝だったっていう・・・あれか!」
「片桐グループと華山グループ、旧華族同士で昔からのライバル同士・・・でもあるからねぇ・・。その辺の兼ね合いから、俺が桜ヶ丘に在籍してる間に屈辱晴らしたいとか・・・そんな陳腐な理由なんじゃない?」
バカバカしい・・!と言わんばかりに麗が肩をそびやかす
「今更だけど、よく美月さんが転校を許したよな?一番条件が合うのが片桐だったっていうのは確かにあるけどさ」
「・・・逆だよ。七星を華山に正式に迎えた場合、その弱みである俺達に対して華山内部から何らかの抑圧が掛かる可能性が大きい。でも、最大のライバルである片桐の中に居れば、そうそう手は出せない・・・」
「っ!なるほど・・・っていうか、華山の内部構造って、そーとーだな・・・」
「・・・おかげでこっちの正体見破られてから、いろいろ条件つけられちゃったよ。相変わらず抜け目がないよ・・・あの人は」
「・・・敵には絶対したくない女だな」
「・・・同感だ」
苦笑を浮かべながら伸びをした麗が、風呂へと向かう
その後に付いて出た流が、階段を降りていく麗の背中を見つめながら呟いていた
「・・・・でも、一番敵に廻したくないのは、麗、だよな」
と・・・。