七夜の星に手を伸ばせ 番外編
アレクサンドライト ACT 4
「・・・・・・っくそ!」
珍しく声を荒げた麗が、最終の試合が始まったせいで人気のなくなったロビーで不機嫌絶好調そのままに、ソファーに深く沈み込んでいる
あの後すぐに鍵を取り返そうと恭平の後を追ったのだが、既に恭平は試合のためにコート上に立っていて、声を掛けることすらかなわなかった
・・・油断した
そうとしか言いようがない
まさか成田恭平があそこまで真剣に麗自身との試合を望むなど、思ってもいなかったのだ
テニスの腕前では、恐らく玲より恭平の方が上
しかしこのイベントの主旨から言っても、恭平は玲に勝ちを譲るはずで・・・
それと同じ事をする麗に対し、なんだってあんな風に言い募られなければならないのか?
それに、はた目には絶対わざと負けたとは見えなかったはず・・・!
それに気付くあたり、恭平の目もかなりのものだと言わざるを得ない
その上、予想していなかった出来事だったとはいえ、部屋の鍵を奪われるとは・・・!
フロントに掛け合ってみたものの、既に抜け目のない恭平から手が廻され、部屋を開けてもらうことは出来なかった
このままでは恭平の思惑通り、試合をさせられてしまう
それが、何とも言えず、癪に触るのだ
そんな事を悶々と考えていると
「・・・ほな、お気をつけて。おおきに」
ロビーの奥にあるレストラン街の方から、朝の電話の主らしき声が聞こえてきた
「・・・っ!!」
ハッと立ち上がった麗が、バッグを肩に担いでその声のした方に向かう
もうとっくに昼時は過ぎ、専門店の方は夜の営業まで店を閉めるらしく、最後の客を送った後、その声の主らしき若い男が看板などを下げているところだった
「・・・あの」
その男に近寄った麗が、遠慮がちに声を掛けると
「ああ、すんません。もう夜まで休憩・・・・」
電話口で聞いたのと同じニュアンスを響かせて、男が顔を上げた
「・・・っえ!?」
「・・・っぅわっ!!」
2人同時に驚きの声があがる
顔を上げた男の顔・・・!
その男の顔に、麗は確かに見覚えがあった
肌の色の白さや目つきの鋭さは違っているが、その顔立ちはどう見ても・・・・
「・・・な・・りた、きょう・・へい・・・!?」
「へ・・!?」
麗が口にしたその名前と、麗の着ているテニスウェアに、男が「ああ!!」と言わんばかりに納得がいった!という顔つきに変わった
「ああ、びっくりした。こんなベッピンさんが居てはるなんて・・・心臓止まるかと思いましたわ。今日の試合に出てるお人ですか?いつも兄がお世話になっております」
そう言って、男が深々と頭を下げる
「えっ!?兄!?」
「はい。成田恭平は双子の兄でして・・・俺は弟の成田仁(なりたじん)言います。どうぞよろしゅう」
「ふ・・たご!?」
「はい。ま、双子言いましても、ずっと日本と海外で離れ離れやったんですけど」
ニコニコと人好きのする、屈託のない笑顔を浮かべて笑う成田仁は、兄の恭平と顔立ちはそっくりだったが、180度違うと言っても過言ではない物腰の柔らかさと穏やかな瞳
キリリとした眉こそ同じだが、如何にも京都人・・・という「はんなり」とした風情を、日本人離れしたその体躯に漂わせていた
ついさっきまで、ムカついて仕方のなかった同じ顔が、目の前でニコニコと笑いかけてくるのだ
双子なんだから、仕方がないといえばそれまでなのだが・・・
ここまで顔がそっくりで、ここまで雰囲気が全く違うなんて・・・!
唖然とする・・・のを通り越して、笑いが込み上げてきた
「・・・クッ、あはははは・・・・っ」
「・・・・ぇ・・・っ!」
麗が人前で声を上げて笑うなど、天然記念物ものだと言って良い
その笑顔を間近に見られた仁は、正に幸運の持ち主だ
滅多に見られないその笑顔を、仁が呆けたように見惚れている
「クククク・・・ッ!ああ、ご、ごめん。顔はそっくりなのに、あんまりにも雰囲気が違うもんだから・・・!」
「・・・っえ!?あ、ああ、もう、ビックリさせんといてください。そない綺麗な笑顔見せられたら、なんや・・もう・・・目ぇが離されへんようになって・・・。いや、ええもん見せてもらいましたわ。ほんまに、おおきに・・・!」
本気で感動したらしき仁が、顔を赤らめながらペコペコと恐縮したように何度も頭を下げてくる
「え・・・?あ、ちょ・・ちょっと、止めて下さい。礼を言わないといけないのはこちらの方で・・・。朝、無理を言っておにぎりを作ってもらったの、俺なんです。おかげでいい試合が出来ました。ありがとうございます」
「え!?朝のあの電話、あんたはん!?そうでしたか・・・あ、味の方はどないでしたか?お口に合いましたでしょうか?」
「ええ、凄く美味しかったです。俺、結構味にはうるさくて・・・いつも外で食べる時に困ってて・・・」
言いかけた麗を遮って、仁が慌てたように言い募った
「あ・・っ!こないな所で立ち話させてもうてすんません。どうぞ中に入って座ってください。すぐにおぶうでもだしますよって」
「・・・え?」
「あ、おぶう言うたら茶のことですわ。せや、お腹へってませんか?あれでしたら、まかないでもお出ししましょか?」
「え・・いや、でも、もう休憩なんじゃ・・・?」
「休憩やから言うてるんやないですか。もう皆上がってもうたし、残ってるの俺だけなんで、余計な気ぃ使わんといて下さい。俺の作ったもん、美味い・・いうて言うてもらえたお礼させてください」
さあ、どうぞどうぞ・・・と、麗のバッグをもぎ取ってさっさと行ってしまうあたり、その強引さは血筋のようだ
「・・・双子は離れてると余計に似る・・・って言うけど、どうやら本当みたいだな」
フ・・・ッと、口元にいつもの笑みを浮かべた麗が、店の奥へと入って行った
「・・・う、わ・・!これ、もの凄く美味しい・・・!」
まかないで申し訳ないですけど・・・と、出されたお茶漬けは、刻み水菜の上に炒めたタマネギと出汁で甘辛く炊いたお麩、たっぷりの海苔と少量のワサビ・・・が乗った変り種だった
「ほんまですか?良かった・・・!実はそれ、新作なんですわ。あ、そういえば、お名前まだ聞いてませんでしたよね?」
麗に出すまかないを手早く作り上げた仁は、その手を休めることなく厨房の片付けに勤しんでいる
「あ、本当だ・・・。浅倉麗と言います。成田家の双子なら同い年ですね」
「えっ!?ほんまに!?こないなベッピンさんと同い年やなんて・・・なんや嬉しいなぁ。それで・・・浅倉さんは兄と親しいんですか?」
「いえ、残念ながらお兄さんとは今日会ったばかりなので・・・」
「・・・え!?そうなんですか?実を言うと、俺も兄に会うのは3年振りで・・・この店に居てるのも、無理言って2日間だけバイトさせてもらってるんです。おかげで昨夜、本当に久しぶりに兄とも話できましたし」
「・・・3年振り!?」
おかしな話でしょ?兄弟やのに・・・と力なく笑う仁の言葉の裏には、老舗ならではのしがらみや内部事情が絡んでいるようで、麗がさりげなく違う話題に話を振った
「そういえば・・・この店って、成田の系列でしたっけ?」
「え?あ・・はい、地元の有名店がホテルに入るのを機に、傘下に入ったんですけどね・・・」
言葉を濁すあたり、どうやらこちらも何事か厄介ごとが絡んでいるようだ
そういえば今朝の電話でも『・・・あの専門店の和食が口に合わんのやて?あんた、ええセンスしてはるな』・・・とか言っていたはずだ
「・・・・なるほど、成田の味じゃないわけだ。でも、このお茶漬けも、成田の味じゃない・・・」
意味深に、いつもの薄い笑みを浮かべた麗が、仁をジ・・ッと見つめ返す
その視線を受けた仁の手が、ピタリ・・・と止まった
「・・・・浅倉さん・・・て、普通のお人やありませんね?」
「んー、毛色は確かに違うかな?金髪碧眼でも日本語ペラペラだし?」
麗のその言葉に、仁が苦笑を返す
「いややな、そないな意味やのうて・・・」
「そうだね、そういう意味なら、あなたもずい分な役者だ。さすが老舗成田の後継者の片割れだけのことはある」
仁の顔からスウ・・ッと笑みが消えた
「・・・・浅倉さん、それは・・・!」
「知ってたでしょ?俺の名前と顔。だから最初に会った時、あんなに驚いてた・・・」
「・・・な・・んで?」
「一応この容姿でしょ?ほんとになんにも知らない人が、のっけから普通に日本語で話しかけて来るなんて、ありえない」
そう・・・麗はどこからどう見ても、思わず見惚れるほどの完璧な金髪碧眼
麗の事を何も知らず、初めて麗を見て話しかけてくる人間は、英語で話しかけてくるのが常だ
それは必然的に、英語を自由に使いこなせるだけの知的水準と、それなりの社会的地位と余裕・・・のある上質な人間である事を限定させることにも繋がっていたのだが
「・・・すいません・・・その通りです。あ、でも、朝食の事はほんまに浅倉さんやて、知らずに受けたんです・・・これだけは信じてください」
一気に意気消沈した風な仁が、深々と頭を下げたまま頭を上げる気配がない
その様子に、麗がハァ・・・と嘆息しながら砕けた口調で言った
「朝ご飯もこのお茶漬けも、役者だった分を割り引いても充分お釣りが来るほど美味しかったから、もういいよ。でも、理由ぐらいは聞かせてもらいたいもんだね」
「ほんまですか!?」
その言葉に、バ・・ッと顔を上げた仁が、満面の笑みを咲かせている
「うん、料理は本当に美味しかった。君は成田の老舗の味を変えるべきだと思うよ?その斬新なアイデアと、しっかりとした下積みの基礎をもってね」
「・・・・・っ!?」
まるで何もかも見透かしたような麗の言葉に、仁が目を見開いて絶句している
老舗初のハーフの双子の後継者、双子が離れ離れで暮らす理由、後継者であるはずの人間がこんなところでバイトをする理由、しっかりと基本をふまえた味、成田の味とは全く違う斬新な味付け・・・
理由までは分からなくても、これだけ情報が得られれば、大筋で状況判断が付くというものだ
「・・・ん?」と言わんばかりに小首を傾げている麗に、仁がもう一度ペコリ・・と頭を下げた
「かなわんお人やなぁ・・・ほんまに。・・・俺、和也が玲さんに浅倉さんの写真見せてるの見てたもんやから、つい、どんなお人か見てみたくて・・・」
「・・・なるほど。片桐兄弟が興味を持ってるものに対する情報収集ってとこ?」
「・・・っ、そないなわけでは・・・」
「ふ・・・うん・・」
どうやら、成田と片桐は仲が良いわけではないらしい
提携はしたものの・・・どちらかと言えば片桐の方が勢力的には上だ
成田としても、どこかでそれを削いで逆転したいのだろう
何が弱みになるか分からない世界のこと・・・相手の個人レベルに関する情報収集も、企業間では重要な役割を果たす
「・・・ま、いいや。どっちにしたって俺には関係ないことだから。それより問題は、俺が仁の作る料理を気に入ったって事なんだけど・・・?」
「・・・え?」
麗にいきなり呼び捨てで名前を呼ばれた仁が、驚いたように麗を見返す
「言っただろう?俺、料理にはうるさいって。俺が気に入る物を作れる料理人って、なかなか居ないんだよね。それを見つけちゃったわけだから・・・どうしてくれる?仁?」
カウンターに両肘を付き、組んだ手の上に顎を置いて上目使いに見上げてくる麗の眼差しは、正に魔性そのものだ
そんな麗の眼差しに曝されて・・・落ちない人間は、まず、居ない
「・・・っ、ど・・どう・・・って」
一気に顔を赤らめた仁が、麗の意味ありげな眼差しに見据えられて、視線を外すことも出来ずに狼狽している
「携帯、部屋に置いてきちゃってるから、何か紙に携帯番号とメアド書いてよ。後で登録しとくから」
「え!?・・・お、俺の!?」
目の前で言われても信じられないらしく、仁が驚愕の表情で聞き返す
「そ。だって食べたくなった時近くに居たら、食べに行けるだろ?あ、それとも、迷惑?それだったら別に・・・・」
「め、迷惑やなんて・・・!とんでもない!ちょっと待っててください、書いてきますんで・・・!」
バタバタと厨房の裏の従業員用の部屋に、仁が駆け込んでいく
それを見送った麗が、クスクス・・と忍び笑いを洩らした
「うわ・・・なんか新鮮・・!でも、ま、これで片桐と成田情報は確実だな。美月さんとの条件もクリアした上、美味い料理にもありつける・・・と」
シレ・・・と言い切るあたり、罪悪感の欠片もない
麗とっては、もともと自分を利用しようとした者を、利用し返すだけの事なのだ
それに、仁の作る料理が気に入った事も本当だ
嘘は言っていない
「・・・さて、残る問題は・・・」
呟いた麗の背後で、ロビーの方が急に騒がしくなった
どうやら最後の試合が終わったようだ
「・・・成田の双子兄、成田恭平・・・か」
麗の眉間に一瞬、深いシワが刻まれていた