七夜の星に手を伸ばせ 番外編

アレクサンドライト  ACT 5














仁から受け取ったメモ用紙をバッグのポケットにしまいこみ、麗がロビーの端の壁際にもたれかかって、ごった返す客の間で飛び交う会話に耳を澄ましている

どうやら

接戦の末、玲が優勝したらしい

恭平も土壇場で、自分の立場というものを思い出したのだろう

「・・・なーんだ。成田が勝ったらどんな事になるか・・・ちょっと楽しみだったのに。つまらない」

もうこの場に居る必要のない麗を、待たせているのだ

それくらいの楽しみがあったのなら、少しは麗の不機嫌さも改善されていただろうに

三々五々に客が引いた頃

ようやく片桐玲と成田恭平がロビーに入って来た

目ざとく麗に気が付いた恭平が、駆け寄ってくる

「ほんとに待ってたな。早速試合やろうぜ!」

勝ち誇ったように言う恭平を、麗がジロリ・・・と上目遣いに睨み返す

「・・・何が「何でわざと負けたりした?」だ。結局自分だって同じ事をやってるじゃないか!そんな奴と試合する必要はないと思うんだが?」

「・・・・へぇ」

「・・・・?」

「あんたって、怒った顔も魅力的だ」

「っ!」

如何にも面白そうに麗の顔を覗き込む恭平に、麗がいつもの薄笑いを口元に浮かべる

「・・・それはどーも」

何の感情もこもらない冷え切った声音を伴って、麗が真っ直ぐに恭平を見つめ返す

この時点で麗の怒りが頂点に達していた事など、恭平は知る由もない

「・・・おい、お前達、そこでなにやってるんだ?」

ロビーの端で睨み合うようにして立っている麗と恭平に気が付いた玲が、まるで二人の間に割ってはいるかのように恭平の腕を取って引っ張り、麗との間に入り込む

「・・・成田さんに試合の申し込みをされてたんですよ。俺が負けたら朝まで付き合う・・・っていう条件付きで」

薄い笑みを浮かべたまま、麗が事も無げに言い放つ

「な・・・っ!?」

「ッ、恭平!?」

恭平が驚愕の声を上げ、玲が恭平に詰め寄った

「ま、待ってください、玲さん!俺はそんな事一言も・・・・!」

詰め寄られた恭平が、慌てたように弁解する

「あれ?ご不満ですか?だったら別に・・・」

肩をそびやかした麗が、如何にも興ざめしました・・・という表情でその場を立ち去ろうとするかのように、バッグに手を掛けた

「・・・待てよ!」

その麗の手を、玲が掴んで引き寄せた

「そういうことなら、俺にその権利があるだろう?俺はさっきお前に勝ってるんだから」

「・・・だ、そうですが?」

麗が玲の背後に立っている恭平に、見つめられただけでゾクリとするような、意味ありげな視線を投げる

「・・っ、じょう・・だんじゃない!わざと負けた試合に権利も何もあるもんか!それに俺がいつ・・・」

「そりゃどういう意味だ!?恭平!?」

恭平が言った「わざと負けた試合」という言葉に、玲が気色ばむ

「そ・・・れは・・・っ」

思わず本当の事を言ってしまいそうになった恭平が、唇を噛み締める

言ってみた所で、麗がそれを否定すれば、それはただの玲に対する侮辱以外の何ものでもない

せっかく先ほどの最終試合でも、勝ちを玲に譲ったと言うのに、こんなことで片桐との関係が悪くなるのもごめん被りたい

だが

このままでは、麗は玲と朝まで付き合うことになってしまう

何だって麗が急にそんな事を言い出したのかは分からないが、恭平だってせっかくのその条件を玲に譲る気はサラサラなかった

「そんな事はどうでもいい!とにかく、俺と試合しろ!その条件付きでな!」

麗に向かって言い募った恭平に、玲がまださっきの事が終わってない・・と言わんばかりに、掴んでいた麗の腕を解き放つと、恭平の胸倉を掴み上げた

「おい待て、どうでもいいとはどういうことだ!?」

そんな2人の様子を、麗が面白そうに目を細め、薄い笑みを口元に浮かべながら見つめている

・・・と、

「ずい分と揉めておられるようだが・・・私にも一つ、その魅力的な条件とやらに参戦させては頂けないかな?お若い方々?」

不意に、一発触発な雰囲気でにらみ合っている2人の背後から、重々しい重量感のある声音が浴びせられた

「・・・・え!?」

玲と恭平が同時にその声の主を振り返る

そこに立っていた人物を見た途端、玲の顔から血の気が引いた

「・・っあ!あ・・なたは・・・!」

数人のSPらしき付き人を従えて、笑みを浮かべて立っていたのは、一目見て上流階級の人間だと知れる雰囲気と、どこか人を圧倒する迫力と威厳を兼ね備えた・・・褐色の肌に漆黒の瞳、口元に立派な口髭を蓄えた、異国の男・・・!

「ファ・・ハド国王・・陛下・・!」

玲が慌てて居ずまいを正し、隣の恭平の頭を押さえつけながら素早くファハドの素性を耳打ちして居ずまいを正させると、2人で一礼を返す

中近東の中でも並ぶ者のない、大富豪の王族の国王

片桐と成田にとっても、最重要顧客の一人だ

ゆっくりと視線を移動させたファハド国王が、その瞳に麗の姿を写し取る

思わず「ファ・・・・」と、その名前を呼びそうになって慌てて口をつぐんだ麗と、一瞬、視線が交錯した

途端に感じた・・・朝から幾度となく注がれていた、あの、包み込むような視線・・!

どうりで、どこか懐かしい・・・という感じがするはずだ

(・・・・かなわないなぁ・・まったく)

表面上は初対面を装いながら、麗が心の中で呟きつつ、深く、深く、嘆息していた

そして、麗と同じく初対面を装うファハド国王が、玲と恭平に視線を戻す

「こんな公の場所でお若い2人が揉めているのは如何なものかな?それよりもここは一つ、平和的にダブルスで試合をするというのはどうだろう?お二方対、こちらの青年と私のペアで。そちらが勝てばお二人平等にその権利を・・・こちらが勝てば、私がその権利を譲り受ける。承諾いただけるかな?」

どうやら2人の場所をわきまえない争いにあきれ果て、仲介に入るつもりらしい・・・ファハド国王がにこやかに玲に提言する

「っ、お見苦しい所をお見せして申し訳ありません!こちらに異存はありませんが・・・」

言いかけた玲の言葉を遮って、既にいつもの薄い笑みを浮かべた麗が言い放つ

「いいですよ。面白そうだ」

「え・・っ!?」

驚きの声を上げた玲と恭平の横をすり抜けて、ファハド国王の前に立った麗がス・・・ッと片手を差し出した

「はじめまして。浅倉麗といいます。どうぞお手柔らかに」

「こちらこそ。君のように若くて美しい方とペアが組めるとは、光栄だな」

軽く握手と挨拶を交わしたこの2人が、実は古くからの知り合いだなどと、その場に居た誰が、予想しえただろうか






試合が始まった途端、玲と恭平に驚きの表情が浮かぶ

スーツ姿から一転、テニスウェアになったファハド国王の体つきは、とても50を過ぎた年齢とは思えないほどの、しなやかな筋肉を誇っていた

その上

そのテニスの腕前は、その辺のプロでも太刀打ちできないのではないか・・・?

と思わせるほどの、圧倒的な強さを見せ付けたのだ

もちろん、ダブルスだけに、個々の技量が優れていれば勝てるというものではない

ペアを組んだ相手との連携

相手の動きを見て、すかさずフォローができる、阿吽(あうん)の呼吸・・・

普通、即席に組んだペア同士の場合、それが出来なくてボロボロになるのが常だ

玲と恭平、麗とファハド国王・・・お互いに初めてダブルスを組んだはずなのだが、玲・恭平組に比べ、麗・ファハド国王組みはまるで互いの動きを知り尽くしているかのように、フォローしあっていた

それに対して玲・恭平組は、表面上は仲が良くてもそれは見せ掛けだ・・・という事をあからさまに露呈した動きしか取れなかった・・・といっていい

結果は麗・ファハド国王ペアの、ストレート勝ち

まさか、麗とファハド国王が顔見知り・・・だなどと考えも及ばない玲と恭平は、ただ唖然としてコートから出て行く麗とファハドを、見つめる事しか出来なかったのだ

「・・・おい、恭平・・・あいつ、マジでファハド国王と・・・?」

「・・っ!?ま・・さか。だってあの国王、結局は俺達のいさかいを止めるためにあんな事言い出したんでしょ?」

「・・・でも、ほら・・・」

玲が視線で促した先で、麗がファハドと共にファハドの部屋である最上階のスィートルームに直行する、専用認識カード式のエレベーターに乗り込もうとしていた

「・・っえ?うそ・・・!?」

「・・・ま、確かに若い・・・ていう点以外で、俺達があの国王に勝てる所なんて、ありそうにないけど・・・くそっ!結局は権力と金のある奴がいい思いすんのか?!」

「そ・・んな・・・!」

エレベーターの中に笑みを浮かべながら乗り込んでいく麗の姿に、恭平が麗から取り上げたカードキーを、ポケットの中で握り締めていた








「・・・・なんのつもりです?」

エレベーターを降り、SP達に重々しい造りの豪華な扉を引き開けられて室内に入った途端、笑みの消え去った顔に困惑の表情を浮かべた麗が、ファハドに問いかける

「久々の再会だというのに、一言目がそんな言葉とは・・・!いかにも君らしいな、麗?」

ゆったりとした豪華な造りのソファーに腰掛けたファハドが、その横にあるソファーに視線で麗を座らせる

「そう言いたくもなるでしょう?だいたい、どうしてあなたが日本に居るんです!?」

「おや?大筋で予想は付いているだろう?万博だよ、麗」

その答えに、やっぱり・・!といった顔つきになった麗が、更に問いを重ねる

「ですが、今回の万博に一体何の・・・?」

「万博自体が重要ではない。そこに集まる様々な人種、情報と知識、新たなパイプを作るための人脈、裏で行われる闇取引やオークション・・・といったところだ」

「・・・・「AROS」絡みですか?」

その麗の問いに、ファハドが意味深な笑みを浮かべる

「・・・・それはハサンの領域だ。私が口を出すべき事ではない。それに今回はオークション目的だった・・・といった方が正確だな」

その笑みからして、麗の問いかけが的を得ているのは確かだ

だがそれは聞くべき事ではない・・・とファハドの瞳が告げていた

「・・・・何のオークションだったんです?」

「宝石だよ、麗。表には決して出回らない、希少価値のきわめて高い・・・ね」

「良い品物は手に入ったんですか?」

「・・・・さあ、どうだろう?」

ファハドが再び意味深な笑みを麗に向ける

「・・・・?」

訝しげな表情になった麗に、今度はファハドが問いかけた

「ところで麗、さっきのは君らしくないな。駆け引きに私情は禁物だと、そう教えたはずだが?」

「・・・っ、」

たちまち麗の眉間にシワが寄る

5年前、北斗に呼ばれて家族でこのファハドの私邸に招待された時、麗はファハド自らの手ほどきでテニスを教わった

先ほどの試合でも露呈されたとおり、ファハドは若い頃からテニスをたしなみ、その腕前はプロでも充分通用するほどだ

そして麗がファハドから手ほどきを受けた内容は、ただ単なる技術取得に留まらなかった

テニスは頭脳プレイとも言われるように、その相手との精神的駆け引きが大きく勝敗を左右する

ひとつの事に惑わされず、様々な情報を収集し、私情に流される事なく常に冷静に駆け引きを展開する・・・

そのプレイリングの舞台として、ネット上での株取引の手ほどきを受けたのだ

そう

いくら電子マネーという実体のない金で動く電脳世界であっても、口座や名義、現金といった現実世界で通用する物がなくては話にならない

麗が「ホープ」としての存在を作り上げるために要した元手・・・

まさかそれを、当時まだ10歳だった麗が持ちうるはずもない

全てはファハドが用意し、麗に投資したのだ

そしてファハドが見込んだとおり・・・いや、それ以上の才能を開花させた麗は、投資された金額をとっくに返済し、今ではファハドの手を離れて一人でその資産の運用・投資を行っている

「まるで自暴自棄になっているようにも見えたがね・・・?」

そのファハドの言葉に、麗が「ク・・・ッ」と、低い笑い声をもらしながらソファーに深くもたれかかった

「・・・・誰が、自暴自棄ですって・・・?」

一瞬閉じた瞳を半眼に開き、ファハドを見据えた麗の青い瞳には、それまで見せた事のない、絶対零度の冷たさが滲んでいた



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