七夜の星に手を伸ばせ 番外編
アレクサンドライト ACT 6
「・・っ、れ・・・い?」
麗の凍りつくような視線を受けたファハドが、思わず息を呑む
その絶対的な美貌と波打つ金色の髪、冴え冴えとした震えが走るほどの、冷たい青い・・瞳!
視線で相手を射殺す・・・というのは、こういう瞳を言うのだろう
「確かに駆け引きに私情は禁物ですが、自分が相対している相手がどんな存在かも分からない輩には、身をもって教えておかなれば・・・。俺を怒らせただけの代償を払ってもらうつもりだったんですよ、あなたさえ、邪魔をしなければね」
「・・・・片桐と成田、両方を潰す気で?」
「俺の邪魔をするなら消えてもらうまでです。使い道があるうちは利用しますが、あの程度でぐらつくようなら、利用価値すらない」
言い放つ麗の瞳にも、表情にも、何の迷いも感情もない
「・・・・なるほど」
呟いたファハドが「フフ・・・」と楽しげに笑った
「まさに「ホープ・ダイヤモンド」そのものだな、君は」
「一番最初にその俗称を与えたのはあなただ。そうなる事を望んでいたんじゃないんですか?」
麗が使っているハンドルネーム「ホープ」と「キャッツ」は、かつてファハドが麗に対してつけた俗称だ
麗の内に秘めた危うさを、その逸話になぞらえて「ホープ・ダイヤモンド」に
そして驚くほどの閃きで瞬時に問題を解決する知性を、宝石の上に煌く一筋の光「キャッツ・アイ」に
今になってみれば、それは確実にその本質を見抜いていたといって過言ではない
「・・・・まだまだ甘いな、麗。私が望んでいるのはそんな安っぽい物じゃない」
「・・・・「ホープ・ダイヤ」が安っぽい?」
「あれはただ単に逸話で有名になれただけで、宝石そのものの価値は低い。それに言ったはずだ、私が欲しいものは「表には決して出回らない、希少価値のきわめて高い」ものだとね」
「・・・・?それは、オークションの・・・」
「そう。かつて私が「原石」として手放し、磨かれ、最上に輝くカットを施されていくのを楽しみにしていた・・・この世に二つとない、私だけのオークション出品作だよ」
「・・・・・っ!?」
麗の背筋にザワ・・ッとした何かが駆け上がる
ファハドを見据えていたはずの麗の視線は、いつしかファハドの放つ包み込むような視線に囚われて・・・反らす事が出来なくなっていた
決して忘れていたわけではない
この、目の前にいる人物が、もっとも賢く、もっとも狡猾で・・・もっとも侮れない、一番の危険人物だということを
だが、つい、油断してしまうのだ
それを裏側に押し隠した、優しい瞳と紳士的で上品な物腰、その、思わず聞き入りたくなる優しい声音と会話の妙に・・・!
「君はもう「ホープ・ダイヤ」でも、「キャッツ・アイ」でもない。君は、君の存在意義と自身の持つ「力」の使い方を理解しているはずだ。君にもっとも相応しい、「持ち主」を得てね・・・」
「持ち・・主・・・?」
囚われた瞳の磁力から逃れる事もかなわず、麗が喘ぐように問い返す
「そう・・・君が決して手放せず、だが決して君に溺れる事のない人物・・・。君が持つその才能と能力を闇として活かすことで、輝く事が出来る星・・・だ」
「・・っ!な・・なせ!?」
ハッとした様に目を見開いた麗の元へ近付いたファハドが、ゆっくりとその顔を上向かせた
「麗、君は彼を「持ち主」とすることで初めて私のもっとも望む宝石になれる。この世でもっとも希少価値が高く、日の光と闇の下で全く異なる輝きを放つ・・・「アレクサンドライト」に・・・!」
至近距離で見詰め合ったまま微笑むファハドに、麗が嘆息する
「・・・・なにもかも、あなたの手の平の上ってことですか?」
「そんなことはない。全ては駆け引きだよ、麗。それに本当の意味で「アレクサンドライト」になるには、まだ君には足らない物がある」
「足らないもの・・・?」
「アレクサンドライトの希少価値は、日の光と闇の下で青緑色と深紅色に変化する変色性によって左右される・・・その深紅の色の部分、愛されるという感情だよ、麗」
「・・・っ!?」
麗の瞳が大きく見開かれる
「君はまだ抱かれた事がないね?抱くばかりでは本当の愛される意味は分かりえない」
確かに今まで麗が一夜限りで寝た相手は、その大半が女だったし、男の場合も「タチ」しか経験がない
「・・っ、だ、だからって・・・!」
さすがに経験のない事には、人間誰でも及び腰になる
麗だとて、その例外ではなかった
思わず逃げ腰になった麗を、ファハドがソファーの端に追い詰める
「駆け引きに私情は禁物だといったはずだよ?麗?交わした条件を忘れたわけではないだろうね?」
「あ・・・・っ」
確かに、麗は先ほどの試合で勝ったペア側・・・つまりはファハドと朝まで付き合う・・・という条件を提示している
「契約不履行で済まされるほど、世の中甘くはないんだよ、麗?その事も身を持って知っておかなければね」
「・・・・・っう」
抗うように突っぱねていた麗の両腕から力が抜ける
ファハドの言い分は最もだったし、なにより、麗を見つめるその瞳に少しもぎらついた物がない
あくまで優しく、包み込むような眼差しが注がれていた
「・・・・まいったな。本当にあなたには何をやっても敵わない・・・ああ、でも・・・」
「・・・?なんだね?」
麗がフ・・・と笑ってファハドの口元に手を伸ばした
「口髭って初めてなんですが、痛くないのかな?」
翌朝
麗が目を覚ますと、既にファハドはいつもの白い民族衣装に身を包み、麗の寝顔を見つめていた
「・・・・やあ、目を覚ましたね。私はこれから帰国するが、まだ時間は早い・・・君はゆっくり寝ておいで」
「・・・・・相変わらずお忙しいんですね」
「なに・・・これから君たちが私を暇にしてくれるだろう?」
そう言ったファハドが、麗の額に軽くキスを落とす
それをくすぐったそうに受けた麗が、クス・・・と笑った
「・・・口髭、いいもんですね」
「気に入ってもらえて光栄だね」
見惚れるような紳士的な笑顔で一礼を返したファハドが、「では、いずれまた・・・」と言い残し部屋を後にする
ホテルの屋上から飛行場へ向かったのだろう・・・ヘリの離脱音が遠ざかって行った頃、麗がようやく気だるげに身体を起こしていた
「・・・・・まったく・・・昔からそうだけど、化け物としか言いようがないな・・・あの人は」
思わず麗がそう呟いてしまうほど、昨夜のファハドは絶倫で・・・麗は初めて絶頂というものを経験したと言っていい
何しろ百戦錬磨といっていい経験に裏打ちされたファハドの技巧は、刺激的・・・というよりも麻薬に近い
一度経験したら、恐らくどんな相手であったとしても、まず間違いなく理性を手放す
際限なく、与えられる快感を追い、求めてしまう
実際、昨夜の麗がそうだったのだ
その麗が意識を飛ばしてし身動きできなくなるまで、その欲望に応えたファハドの体力と精力は並大抵のものではない
その上あくまで紳士的に、あくまで麗の身体を気遣っていた
今までセックスに対して持っていた認識と考え方を、根底から覆されたといっていい
互いに求め合うという感情の高ぶりや
誰もが心の奥底に淫乱な性を隠し持っているという事実
相手を気遣う事の大切さ
それを身を持って教えられた
恐らく・・・ファハドに抱かれなければ、麗には一生分かり得なかったはずのものだ
何しろ麗は、一番手に入れたい人間を手に入れることが出来ない
「持ち主」として以外、側に居る事が出来ないのだから
「・・・・・いったい、俺をどうしたいんだか・・・あの人は」
シャワーに立った麗が、自嘲気味に呟きを洩らす
確かに言えるのは、これから先も麗は「タチ」であり続け、唯一抱かれる事を許すのはファハドだけだろう・・・ということ
麗がその意志で、相手が誰であろうと自分に夢中にさせる事が出来るだろう・・・ということだ
それだけの技巧と性を、ファハドは麗に学ばせたと言って過言ではない
たったの一晩で
「う・・・わ、いい天気・・!」
シャワーを終えたバスローブ姿の麗が、最上階にあるスィートルームのバルコニーからホテルを見下ろす
ちょうど真正面に、昨日試合を行っていたテニスコートが見下ろせた
「・・・・なるほど。ギャラリーを見渡しても視線の主が見当たらなかったわけだ」
恐らくは、ファハドはここから昨日の試合を観戦していたのだろう
まだ日が昇ってそんなに時間がたっていないせいで、コートには朝もやがまだ名残を残している
そのコートの端
朝もやの中で、誰かが一人で壁打ちの練習を行っていた
「・・・・・なんだ、意外に真面目なんだな。俺と試合がしたいって言ったのも、本当にただ試合がしたかった・・・ってことか?」
遠目からでもよく分かる、その日本人離れした手足の長さ
成田恭平だ
「・・・・っていうか、鍵、まだ返してもらってなかったな。そういえば」
呟いた麗の口元に、いつもの薄い笑みが浮かぶ
「・・・・アレクサンドライト・・・か。青緑色に相応しい応対を心がけないと・・・ね」
細められた青い瞳に、朝日に輝く木々の緑が映り込んでいた