七夜の星に手を伸ばせ 番外編
アレクサンドライト ACT 7
朝もやも完全に切れ、標高の高い場所ならではの、つき抜けるような青空が目に眩しく広がっている
「・・・っ、・・・ったく、冗談じゃねぇ・・・!」
バシンッ・・!と、跳ね返ってきたボールを足元に向かってバウンドさせ、フワリと高い位置まで跳ね上がったボールを手で受け取った成田恭平が、苦虫を潰したような顔で吐き捨てた
もう試合は終わったはずなのに、なぜこんな早い時間からコートに立って居るかといえば、ファハド国王と共にスィートルームへ消えた麗が気になって、寝付かれなかったせいだ
麗が昨夜、ファハド国王の部屋に泊まったことは明白だ
何しろ恭平のズボンのポケットには、麗から奪い取ったままのカードキーが入っているのだから
「・・・なんなんだ、あのファハドとか言う奴の、あの強さは・・・!」
自分が玲とダブルスを組んで、コンビネーションが取れないであろう事は、分かりきっていた
だが、初めて会ったはずの麗とファハドがあそこまで息のあったコンビネーションを展開できたのは、ファハドが完璧に麗の動きを読み、その動きをサポートするような動きに徹していたからに他ならない
ボロボロな試合になりながらも、恭平はしっかりと相手側の動きは見ていたのだ
とても実年齢には思えない体躯もそうだったが、その熟練したテニスの技術と相手の動きを読んだ頭脳的プレイ・・・
麗のテニスともどこか通じる所のあるそのプレイに、ただただ、恭平は感心させられていた
到底、敵わない・・・!
その悔しさもまた、この場に立った理由の一つでもある
「・・・・ずい分と早起きなんだな」
昨日の朝、恭平自身が言った言葉が背後からかけられる
「っ!?」
振り向いた先にあった、白いテニスウェアと共に朝日の光を受けて煌く金色の髪、物憂げに見つめる青い瞳・・・!
昨日の朝見た、まるで降臨した天使そのものだった麗の姿が恭平の脳裏にありありと甦る
そこにある存在が、声を発してしまうと幻のように消えてしまいそうで、恭平が言葉もなく茫然と麗を見つめた
「・・・・ワンセットマッチ、先に4ポイント先取した方が、勝ち」
不意にそう言い捨てた麗が、立たせたラケットを足元でクル・・ッと廻す
「表と裏、どっち?」
「っえ!?あ、お、表!」
試合開始前のいつもの条件反射で、恭平の口から思わず言葉が滑り出る
カラカラ・・・カラン・・ッ!
乾いた音を立てて倒れたラケットを、麗が拾い上げた
「・・・裏、サーバーは俺だね」
「・・・・え!?」
いまだ訳が分かっていないらしき恭平と、顔を上げた麗の視線がぶつかる
フ・・・ッと一瞬青い瞳を細め、いつもの薄笑いを浮かべた麗が、きびすを返してコートの反対側に向かった
「ちょ、ちょっと待てよ!一体どういう・・・」
「試合、勝ったら鍵は返してもらう」
振り返りもせずに、麗が恭平の言葉を遮って言い放つ
ハッとした様にポケットの中の鍵の存在を確かめた恭平の喉から、ク・・・ッと低い笑い声が零れた
「・・・・俺が勝ったら?」
サーブポイントに立った麗に、レシーブ体勢に腰を落とした恭平が聞く
「昨日の条件。まだ権利が残ってるんでね」
「・・・え!?だってお前、昨夜はあいつと・・・」
半信半疑に・・・しかし途端に恭平の目が輝きを増す
「鍵がなくて部屋に入れなかった俺に、ゲストルームを提供してくれた親切な金持ちの国王様と、なんだって?」
「・・っ!そうなのか!?」
「・・・なにが?」
いかにも興味なさ気な態度と視線で、麗が答えを返す
麗とファハドが顔見知りである事や、寝た事など、いちいち勘繰られていては始末に終えない
ここはシラを切り通して、完全否定しておくのが無難というものだ
「い・・・や、なんでも」
あきらかに、嬉しそうな笑みを見せる恭平に、ふと、仁の顔が重なる
(・・・ほんと、笑うと見分けがつかないな)
心の中で呟きながら、麗がボールを頭上に放り上げ、気迫のこもった掛け声と共にサーブを放つ
放たれたボールは、あわやフォルトか?という手前でクク・・・カーブし、バウンドしたかと思うと不意にスピードを上げ、ラインギリギリに恭平の足元を射抜いていった
「っ!?なっ・・・」
動けなかった
ボールのスピードもカーブの切れ味も、掛けられていた回転も
恭平たちが居る、ジュニアランクの技量を遙かに越えている
それに・・・!
今放たれたサーブも、今目の前に居る麗も、昨日試合をしていた時のものとは雲泥の差・・・!
昨日は完璧に遊んでいたんだろう・・としか思えない
常ににこやかに薄い笑いを口元に浮かべてプレイしていた昨日に対し、今日の麗は完璧な無表情で、その感情の一片すら読み取れない・・・完璧なクールビューティー!
恭平の背筋に冷たい汗が流れ落ちる
「・・・・15−0」
何の感情もこもらない、麗の冷たい声音が得点を告げる
「・・・・っ、こ・・の!」
ラケットのグリップををギュッ・・と握り返し、先ほどよりも少し後方で恭平が低く構え直す
次に放たれたサーブは、先ほどよりも手前に落ち、スピードも緩い・・・!
「クッ・・・!」
後退していたため、飛び出した恭平がバウンドして落ちてくるであろう場所を目指して、ダッシュをかける
が、
ボールはバウンドしたと思った瞬間、僅かな時間ではあったがその場で急速回転し、バウンドするタイミングをワンテンポ遅らせた
「な・・・っ!?」
そのほんの僅かな「ずれ」が、ダッシュをかけていた恭平に決定的なタイミングの「ずれ」を生じさせる
振り抜いたはずのラケットは、虚しく虚空を掻き、ボールは点々・・と後方へ転がっていった
「・・・・30−0」
「クソ・・ッ!」
ガッ・・・!とラケットをコートに打ちつけ、恭平が再びレシーバーポイントに立つ
次に放たれたサーブは、クセのある回転が掛かっていたものの、通常範囲内でバウンドし、恭平のラケットがようやくそのボールを捕らえた
「な・・・に!?」
捕らえた途端、まるでボール自体が押し返してくるかのような重力・・・!
思わぬ重圧に耐え、なんとかラケットを振り切るも・・・ボールは虚しくネットを揺らし、恭平の足元へ転がり落ちた
「・・・・40−0」
3度目の、麗の抑揚のない、冷たい声音が響き渡る
もう、後がない
ガ・・・ッ!
今度はネット上にラケットを振り下ろした恭平が眉を吊り上げ、ギリ・・・っと麗を睨み返して最後のレシーバーポイントに立った
「・・・・・駆け引きは、感情を表に出した方が負けなんだよ?」
小さく呟いた麗が、最後のサーブを放つ
最初に放ったのと同じ、急速に落ちて足元を射抜くボール!
「・・・ッ、二度同じ手が通用するかよ・・・っ!!」
叫んだ恭平が、今度こそ、何とかボールを打ち返す
高々と上がったボールが落ちてくる間に、恭平がボレー地点に走り出た
が、不意にその頭上に落ちた影に息を呑む
大した助走もなかったはずなのに、麗が信じられない跳躍力で高々と空に浮いていた
「っ!この返球でスマッシュだと・・・っ!?」
恭平が返したボールは高く上がりすぎていて、普通ならバウンドを待って正確に打ち返すボールだ
それを麗は、タイミングを取るのが最も難しいノーバウンドで落ちてくるボールを、撃ちに来たのだ
しかも
「・・・ッハ!」という気迫のこもった声音と共に打ち込まれたスマッシュボールは、何の迷いもなく恭平の顔面に向かって叩きつけられていた
「ぅわっ!!」
高いポイントから叩きつけられる様に打ち込まれたボールの威力と、感じる恐怖心は並大抵のものではない
顔を庇うようにしてボールを受けたラケットは、受けた途端、ボールと共に弾け飛んでいった
「・・・・ゲームオーバー」
トン・・・と足音も軽やかに地上に降り立った麗の感情のこもらない機械的な声が、恭平の負けを宣告する
いまだ顔を腕で守るようにしてへたり込んで居る恭平に、麗がス・・ッとネット越しにラケットを突き出した
「鍵、返してもらおうか」
その声に、ようやく恭平が顔を上げた
「お・・まえ、何だあれは!?お前が昨日の試合で打ってたボールと全然違うじゃねーか!」
「・・・・だから、なに?」
「なに・・・って・・・・っ!?」
言いかけた恭平が言葉をなくす
恭平に向かって注がれる麗の視線・・・!
明らかに、上に立つ者のみに許された、静かな、言い訳など一切通用しない・・・高みに君臨する者のみが持ちうる澄み切った瞳
まるで煌く宝石のように、恭平を射抜き、映し出す・・・周囲の木々の色合いも取り込んだ・・・青緑色
・・・・テニスの腕も、その存在としての価値自体も・・・まるで格が違うんだと、
ヒシヒシと、その、口では言い表せない違いを見せ付けてくる
「・・・っ、くそっ!!」
悔しげに言い捨てた恭平が、麗が差し出したラケットの上に、取り上げたカードキーを突き返す
それをヒョイッとラケットで宙に浮かせ、麗が振り返り際にパシ・・ッと手で掴み取った
「・・・・じゃ」
言い捨てた麗が、振り返りもせずにコートを後にする
「・・・ちょ、今度はちゃんとした公式試合で勝負しろ!いいな!」
「・・・勝負できればね」
カードキーを持ったまま、麗がバイバイ・・・と言わんばかりに振り返らずに片手を振る
麗の言い放った言葉の意味が、恭平が公式試合で勝ち抜いてこれるのか・・・?
という意味なのか、それとも
麗自身がまともに公式試合に出て、勝ち続ける気があるのか・・・?
という意味なのか・・・
量りかねた恭平が、特大のため息を麗の瞳の色と同じ、澄み切った青空に吐き出していた