ACT 10
『く〜くるくる・・・』
みことのお腹の虫が情けなく悲鳴を上げる。
「・・ぶっ!悪いな、もうちょい辛抱してや・・?」
みことと並んで正座した綜馬が、肩をひくつかせて笑いを堪えている。
「わ・・分かってますよ!止めたくても止めらんないでしょ?お腹の虫は・・!」
可哀想なくらい真っ赤になったみことが、うつむいて・・恨めしそうに綜馬を上目遣いに見上げている。
二人が今いるのは、五十畳はあろうかというだだっ広い和室・・。
大僧正との謁見・・という名目のもと、案内された部屋だった。
部屋のすぐ横にある、板張りの廊下に面して配置された純和風庭園・・その池にある獅子おどしの音だけが、シ・・ンと静まり返ったその部屋にこだましている。
「・・来んで!」
小さく、鋭く呟いた綜馬の言葉通り・・不意に衣擦れの音が聞こえたかと思うと、あっという間に二人の両脇に袈裟衣を身につけた僧侶達が居住まいを正して整然と正座する。
「・・う・・わ・・!」
小さく叫んだみことが慌てて姿勢を正す。
さすがに大僧正の側近ともいえる高位僧侶達だけあって、その迫力たるや・・並ではない・・!
ただ座っているだけで・・その漂う気迫に押され、全身の毛がチリチリと総毛だってくる。
・・・と、その僧侶達が一斉にふかぶかと頭を垂れた。
「え・・?」
横に座っている綜馬も同じように頭を垂れ、みことの頭に手をあてがって頭を垂れさせる。
「お出ましやで・・」
ニッ・・と笑った綜馬が頭を下げたままみことに囁いた。
シュル・・という衣擦れの音とともに、ふわん・・っと、その場の空気が何かにくるまれたかのような・・心地よい気配が漂った。
「・・まあ、そう堅苦しいのは抜きにせんか・・?この年寄りのわがままを聞いてくれた礼が言いたかっただけじゃよ・・?」
胸の奥にじんわりと響く優しい声音・・・。
恐る恐る顔を上げたみことの正面・・上座に設けられたその場所に、ニコニコと笑う好好爺・・杉ジイにも似た雰囲気の漂う老人がゆったりと座っていた。
(よかった・・あんまり怖い人じゃなさそう・・・)
ホッ・・と安堵のため息をついたみことが、ニコッ・・と老人の笑顔に笑い返した。
「先だっての妖し封じは、とどこうりなく終わりました。後のフォローも必要ないかと思われます・・。」
いつものふざけた口調とは打って変わって、真面目な・・貫禄ある声音で綜馬が告げる。
「・・そうか、遠路ご苦労であったな・・。さて、そこの少年・・名前はなんと申したかの?」
「あっ・・ハ、ハイ!さ、桜杜みことです!」
緊張しまくったみことが弾かれたように返事を返す。
目の前の大僧正をまともに見つめたみことが・・一瞬、その・・細められた老人の瞳の奥に・・なんともいえない違和感を感じて、まじまじとその顔を見つめる。
「ほう・・?私の顔に何かついておるかの・・?」
相変わらずニコニコと笑うその表情に・・何か・・違う、もう一つの目・・というより、視線・・をみことが感じていた。
「え・・あ、あの・・そういうわけじゃ・・その、僕は・・そんなに・・変・・でしょうか・・?」
感じるその視線は・・いたたまれなくなるほど強くて、みことが口ごもる。
そのみことの答えに、一瞬、その場の空気がピンッと張り詰めた・・!
フッ・・と笑った大僧正が、ツッ・・と片手を軽く振る。
途端に整然と居並んでいた僧侶達が一斉に立ち上がり、音もなく部屋を後にする。
最後の一人がパタン・・と部屋の障子をきっちりと閉ざしていった。
「え・・?あ・・・あの・・・?」
いきなりの出来事に・・みことが唖然とした困惑の顔つきで横に座ったままの綜馬を見つめた。
「やっぱ・・気づいたか?」
ニヤ・・と、意味ありげに笑った綜馬が正座していた足を崩して、胡坐を組む。
「これこれ・・客の前でそうあからさまに態度をかえるでない・・!綜馬よ!」
あきれたように・・でも、にこやかに言う大僧正に、綜馬が砕けた口調で言った。
「ええやん。誰も見てへんし!堅苦しいのは抜き・・言うたんは爺さんのほうやで?」
「全く・・!相変わらずじゃな、お前という奴は・・!」
まるで・・気のおけない師弟のような二人の会話に、みことが目を丸くする。
「あ・・あの・・?いったい・・なにがどうなって・・?」
困惑しきりのみことに、大僧正が微笑み返す。
「桜杜みこと・・半精霊という過酷な生まれながら、よく真っ直ぐな心を持ち続けましたね・・。真に・・みことと言う名にふさわしい」
先ほどよりもより一層優しい声音で言うと、スッと老人とは思えぬ素早い動きで立ち上がる。
「こちらへ・・この襖の向こうで真の高野の主がお待ちです・・」
「え・・?真の高野の主・・?」
ポカンとしたままのみことの腕を取った綜馬が、みことごと立ち上がり襖の前に立つ。
「・・ほな、いこか。爺さん、入り口開けてんか?」
「これ、あのお方にそのような口・・決してきくでないぞ!?」
ガツンッと綜馬の頭を殴りつけた大僧正に、綜馬が涙目になって講義する。
「相変わらず手加減っちゅうのをせえへんなー!」
「お前に手加減などしていたらこちらがもたぬわ!」
「へいへ・・・・うわああ・・!?」
綜馬の返答など聞く耳持たぬ・・!とばかりに大僧正が綜馬の背中をドンッと押す。
途端に・・まるで水の中に落ち込むように襖が波打ち、綜馬とみことの体を飲み込んでしまった・・!
「・・さて、運命の輪は回り始めた・・。その輪を・・断ち切れるかの・・?綜馬・・?」
低く呟いた大僧正のにこやかな顔が一転し、年輪を深く刻み込んだ・・厳しい顔つきへと変わっていた。
「いたた・・ほんまに・・油断もすきもあらへんな・・!」
思いきりしりもちをついた綜馬が腰をさすりながら立ち上がる。
「そ・・綜馬さーん・・一体どうなってるんですか?」
同じくしたたかに打ち付けた腰をさすりながら・・みことも立ち上がった。
まるで水面に落ちるがごとく吸い込まれた襖の中は・・先ほどの部屋よりもさらに広い空間が広がっていた。
ちり一つない清涼な空間・・足元にあるのは確かに畳の感触・・のはずなのだが、なぜかそれが心もとない・・。
まるで・・少し気を抜けばどこ果てるともなく落ちていってしまいそうな・・そんな奇妙な空間だ・・。
「綜馬さん・・ここって・・ひょっとして・・?」
「その通り・・現実の世界とはちゃう、異空間ってとこやな」
フワ・・ッと二人の周りに何かが舞い落ちる。
それを手に取ったみことが、驚愕の声をあげた。
「こ・・れ!桜!桜の花びら・・!?」
「・・言うたやろ?桜杜と高野・・繋がりがある・・てな。みこと・・自分をしっかりもっときや!オレを後悔させんといてくれよ・・!」
「え・・?」
綜馬の真剣な声音に振り向いたみことの視線の先に・・幾重にも重ねられた白いカーテンのような物があった。
その、白い布がフワ・・ッと舞い上がる。
「お久しぶりです・・咲耶姫・・」
綜馬が肩膝を立ててひざまずく。
『案内ご苦労様です・・本当に久しぶりですね、綜馬・・』
頭の中に直に響いてくる・・透き通るような声・・。
舞い上がった布の中から現れたのは・・長い透き通るような白い髪、この上なく白い肌に薄い桜色の唇、この世の物とは思われぬほどに美しい・・少女が・・いた。
「・・ぼ・・くと・・同じ・・・!?」
そう、みことと同じ髪の色、肌の白さ・・ただ違うのは、動かぬ唇・・閉じられたままの瞳・・。
『桜杜みこと・・あなたと私は違うもの。私はより精霊に近い・・人の世で、人とはともに暮らせぬもの・・。目も見えず、耳も聞こえず、口もきけぬ・・。ここの者達のように私の存在に気づく者にしか、触れられぬ・・』
悲しげな声がみことの胸に突き刺さる。
この世に自分と同じ存在などいないと思っていた。
その・・自分と同じこの儚げな少女は、人とともに暮らせない・・?
自分だったら・・とても耐えられない・・。
「あ・・の・・ずっと・・一人で・・?」
『一人ではない・・。綜馬のように私の存在に気づく者たちがいる。私はその者達を守り、導くもの・・。そのためにここにいる。それ以外私の存在する意味などないのだから・・』
「それはちゃうで!お姫さん!」
綜馬がつい、いつもの口調で反論する。
「あ・・いや、それは違います、咲耶姫・・」
思わず言い直した綜馬に、咲耶がくすくすと笑い返す。
閉じられたままの瞳に言葉の紡がれぬ唇・・それでもその笑顔は見る者の目を釘付けにする。
『かまいません・・。今日は大僧正も他の者もいない・・いつもの綜馬の方が私は気に入っている』
その咲耶の言葉に・・綜馬が真っ赤になって口ごもる。
「あ・・その・・高野の者は皆あなたの事を必要としています。あなたがここにいてくれるから、高野は存在していると言っていい」
綜馬の微塵の嘘もない言葉に、咲耶がフ・・ッと顔を伏せる。
『私はこの地を守るもの・・遙かな昔から星の軌道を読みとるもの・・。かねてよりこの地は桜によって守られてきた。私はその桜と人との間に生み落とされしもの。この地を守り、星の軌道を伝えるが役目・・。私はみことと話がしたい・・!』
その途端、綜馬の姿が掻き消えた。