ACT 13
「・・咲耶姫、お気がお済みになられましたか・・?」
咲耶の華奢な影の映る、白いカーテンのような布の前にゆったりと座した大僧正が、優しい・・いたわる様な声音で聞く。
『・・会えて・・良かった。久しく忘れていた人の温もりを思い出させてくれました・・。私は、みことのために命を落とす・・その星見は違えません。ただ・・』
「ただ・・?」
咲耶の不安げな様子に・・大僧正の顔も一瞬、曇る。
『・・心残りは綜馬の事。綜馬もまた闇星に近づき過ぎているせいで、みことと同じく星の軌道を読む事が出来ない・・。それだけが気がかりで・・』
「あ奴の事ならばお気遣いなく。あれは強い・・!守るべき物をしっかりと見極めております・・。この私が育て、鍛えた男です。闇星に呑まれることもありますまい」
『・・そなたがそう言うのであれば、そうなのでしょう・・。どちらにしても、もう私にはどうする事もできない事。あなた方には感謝しております。私の様なものに、よく尽くしてくれました・・』
フワッ・・と舞い上がった布の向こうで、咲耶が深々と頭を下げる。
「お顔を御上げ下さい、咲耶姫。前にも言いましたが・・我々はその日のために準備を整えて参りました。我々は、最後まであなたの見た星見に抗うつもりです。ですからその言葉、受け取るわけにはゆきませぬ・・」
『私の星見が違うとでも・・!?今まで一度も違えたことのない、この私が!?』
フッ・・と顔を上げた咲耶の表情が少し、強張っている。
「人は・・情が絡むと星の軌道をも覆す事の出来る唯一の存在。そう、おっしゃったのはあなたです・・咲耶姫。我らもそれに賭けてみたい・・」
そう言って、大僧正がゆったりと笑う・・。
『・・人とは、まこと分からぬ生き物・・。どうして、そう笑えるのです・・?』
「唯一つの守るべき物があるからです・・。それ故に人は強くなれる・・」
『唯一つ・・・?』
「そうです・・それが人の情。限りある命だからこそ持ちうる唯一つにして、最大の武器。咲耶姫・・あなたの中にも、それはある」
咲耶がゆっくりと首を振った。
『いいえ・・私には持ちえぬもの。それに・・たとえあったとしても、もう私には時がない・・。少し疲れました・・どうか一人に・・・』
フワッ・・と再び白い布に覆われた咲耶に、深々と頭を下げた大僧正の姿もまた掻き消える。
その・・誰もいない空虚な空間に一人となった咲耶が、震える体を押さえつけるように自分の肩を握り締めていた。
『・・なぜ今更、死を恐れる?ずっと・・ずっと、ここから解放されたいと・・そう願っていたのに!それがようやく叶うというのに・・!なぜ今になって、人の温もりを思い出す・・!?』
いつも冷たい自分の体が、みことと触れ合ったことにより、ほんのりと温かくなっている・・。
その温もりが・・咲耶がみことに告げることをあえてしなかった・・ある事の・・理由・・。
『みこと・・あなたに・・伝えるべきだったのでしょうか?なぜ・・人と精霊の交わりが禁忌とされるのか・・を・・』
呟いた咲耶の体から・・淡い桜色の光と共に大量の桜の花びらが舞い散っていく。
その・・桜の花びらが何処ともなく消え去ると、咲耶の淡く桜色に染まっていた肌の色が、再び透き通るような白さに戻る・・。
再び冷たくなった自分の体に、咲耶が安堵のため息をもらした。
『・・桜の下には死体が埋まっている。人はそう言って桜を愛でる・・。それは真実。もともと白い桜が桜色に染まるのは、人の血を吸い、その血を花びらに変えて散らすため・・。桜は人の心を掻き乱す魔性の花・・心騒がせ戦乱や衝動を呼び寄せてしまう。その花が人の姿をとったなら・・それは人の心を魅了し、抗えぬ独占欲を掻き立てる・・。その相手が強い星の元に生まれたものであったなら、人の世を滅びさせる原因となりうる。それが禁忌と言われる所以・・!』
一瞬、唇を噛み締めた咲耶が、更にその先の言葉を紡ぐ。
『・・そして人でありながら違う時間の中を生きる故に、愛しい者の命をも奪う・・。自分だけが老いさらばえて、醜く変わっていく事に耐えられる人はいない・・そのほとんどが自らその命を絶ってしまう。私はそれに耐えられなかった・・。だから私は精霊として生きる運命を選んだ。人としての情も・・目も耳も口も・・全て捨てて・・』
自ら命を絶つ勇気がなかった自分・・・。
それ故に誰かのために命を落とす・・それは咲耶自身が望んだことでもあった。
その筈が・・その死を目前にして初めて感じた恐れ・・それは何を意味する物なのか?
咲耶の星見でも、それは見えなかった・・。
『みこと・・どうか人として、強く生きて・・!そして、どうか幸せに・・!今の私に出来るのは・・そう、心から願うことだけ・・』
一人祈り続ける咲耶だった・・・。
「朝やでー!みこと!起きやー!」
まだ薄暗い部屋の中、綜馬のハツラツとした声が響き渡る。
「・・え!?そ・・うま・・さん・・?」
一瞬、自分のいる場所がどこだったのか・・?失念していたみことが目を覚ます。
「・・あ、そ・・か。ここ、高野山の宿坊・・だっけ・・」
一般の人間も宿泊できる、旅館並に設備の整った宿坊だ。
六月とはいえ、標高の高い位置にある宿の朝は・・ひんやりとして少し肌寒さを感じる。
思わず布団にくるみ直ったみことの布団を、綜馬が無情にも引き剥がした。
「こら!一宿一飯の恩義は働いて変えすんが礼儀っちゅうもんや!ほら!行くで!」
「ええ!?は、働く・・って?」
一瞬にして目が覚めたみことが飛び起きて、綜馬の屈託のない笑顔を見上げる。
「とーぜんやろ!?世の中を甘く見たあかんで?ただほど怖いもんはないっちゅうやろ?廊下の拭き掃除と境内の掃き掃除、どっちがええ?」
「う・・そ!?・・うう、は・・掃き掃除・・かな・・」
「よーし!そうと決まればさっさと着替えて、顔洗ってき!」
「・・はあーい・・」
情けない返事を返したみことではあったが、身支度を整えて外に出た途端、シ・・ン・・ッとした神域独特の・・身の引き締まるような清冽さを感じて立ちすくむ。
「う・・わ!さすが高野山・・!山の霊気が凄い・・!」
人の出入りの激しい昼間はそんなに感じられないが・・朝一番の人のまだ触れ得ぬ空気は、みことの精霊としての感性にも強く働きかけてくる。
「あ・・初めまして!桜杜 みことっていいます。あの・・よ、よろしく・・!」
聞き取ろうとしなくても・・自然と耳に入ってくる、周り中いたるところに居る木や草、花の精霊たちの声があからさまに聞こえてくる。
(おや、珍しい・・人の子だよ・・しかもまだ幼い・・)
(人の世に留まるとは・・世間知らずな不憫な子・・)
(挨拶などされても・・半精霊は半精霊・・我らとは相容れぬものと知れ・・幼子よ・・)
囁かれる内容は・・決して好意的なものではない・・。
ここにいるもの達は、皆概して古く・・神域であるが故に精霊としてのプライドも高い。
みことのように、人の血の混ざった物など・・ただの珍しい興味本位な存在でしかないといえた。
咲耶が一人で異界にいるのも・・半精霊という存在が、人の世にも精霊の世にも相容れぬ物であるが故・・。
「あ・・あの、お邪魔はしません。お掃除だけ・・させて下さい・・!」
こんな事も・・みことにとっては慣れっこで。
ペコンッと頭を下げた後、なるべく掃除に全神経を集中させて、囁かれる言葉を聞き流す。
(・・小さいの・・気にするな。たまに珍しいものが来るとこれだ。あれらもまだまだ若いでな・・)
「え!?」
突然聞こえてきた・・胸の奥にズン・・ッと響く重々しい声・・。
しめ縄の巻かれた・・他のどの木よりも巨大な樫の木・・だった。
(・・まったく!あんまりうるさくて目が覚めてしまった。口さがない連中じゃて・・)
「ご、ごめんなさい・・!あの・・ぼくのせいで・・!」
慌てて深々と頭を下げて謝るみことに、樫の木が低く笑う。
(・・ほっほっ・・幼子よ、お主のせいではない・・。ほう、お主・・桜の子か?桜の子に会うたのはこれで三度目じゃな・・)
「三度・・!?」
みことが目を見開いて聴きなおす。
咲耶と自分・・あと一人・・いる!?
「あ・・あの、それって・・三人いるってことですか?」
(さて・・昔の事で、よく覚えてはおらぬが・・一人目はここの咲耶・・二人目は・・)
考え込むように言葉を切った樫の木が、みことに聞く。
(・・時に幼子よ、名前はなんという・・?)
「・・え?あ、はい、みこと・・桜杜 みことです」
(・・やはり・・な。お主、その生まれを辛いとは思わぬか?何のために存在するのかと・・疑問に思いはせぬか?)
その問いに・・みことが笑顔で答える。
ほんの少し前なら・・問われただけで胸が苦しくなっていたであろうその問いに・・。
「いいえ、今は・・辛くありません。守りたい物が何か、分かったから・・」
(そうか・・ならば良い。我らと桜は人にとって同じなようで・・同じではない。桜は人にとって特別な物・・ゆえに背負う物もまた重い・・。心して生きるが良い・・)
そう言って・・再び眠りにつくようにその気配を消そうとする樫の木に、みことが慌てて問いかける。
「あ・・!待って!あの、二人目って!?」
(・・勘違いじゃ。わしが会うたは二人だけ・・咲耶とお主。時は違えてもその名は忘れぬ・・みこと、時の彼方でまた会おうぞ・・・)
「え・・?」
それっきり気配を消し去った樫の木に、みことがソッと手を当てる。
「あの・・もう一つあります・・辛くない理由。あなたみたいに・・優しくしてくれる精霊も、人も居るから、だから僕はここに居られるんです・・。ありがとう・・」
呟いたみことが・・満面の笑みを浮かべて掃除を再開する。
もう、他の心無い精霊たちの囁きなど・・みことの耳に届きはしなかった・・。