ACT 17
「あっ!見つけた!御影!一人で勝手にウロウロすんな!もめごとでも起こされたらこっちの身がもたん!」
金剛峰寺の境内の方へ向かって歩いてきた聖治に気づいた綜馬が、バタバタと走り寄る。
「おや、これはこれは・・時期大僧正候補ナンバー・1の辻 綜馬君じきじきのお出迎えとは痛み入りますね・・」
ニコニコと・・いつもの観音像のような柔和な笑顔を浮かべた聖治が、さりがなく綜馬の神経を逆なでする。
「・・はいはい。相変わらずの毒舌ぶりもご健在のようで、安心したわ」
「安心・・?」
一瞬、眉根を寄せた聖治がニコニコと『どういう意味だ・・?』とばかりに綜馬を見つめ返す。
「なーに、てっきり巽をみことに取られてショゲ返っとるんやないかと・・心配しとってん」
「いやだな・・ただ単に依存しあって傷を嘗め合ってるような、そんな関係に何で僕が・・?」
笑顔を浮かべたまま言う聖治の眼鏡の奥で・・笑わない、冷たい瞳の輝きが、一瞬、綜馬の体を突き抜ける。
「・・相変わらずやな。ま、お前の思う通りにはいかへんと思うから、とっとと帰りや!」
聖治の挑発を受け流した綜馬が、ついて来い・・!とばかりにきびすを返す。
その綜馬の背中に・・聖治が笑って、こう言った。
「残念ながら・・ここに一泊させてもらいますよ?もう宿坊の方の部屋も予約してあるし。一般人として泊まるぶんには何の問題もないでしょう・・?」
「なに・・っ!?」
思わず振り向いた綜馬の顔が、微妙に歪む。
「・・今日はいい天気で、夜もきっと晴れ渡って綺麗な星空が見れるでしょうね?こういう日は、めったにない・・珍しい物が出そうな気がする・・」
意味ありげに呟く聖治に・・綜馬がプイッと再びきびすを返す。
「んなもん出るかい・・!まあええわ、オレも一緒に宿坊の方に泊まらせてもらう。巽やみことと一緒の部屋に泊まんのも、こんな事でもないとないやろうし・・もちろん、お前ともな!一般人らしくてええやろ?」
有無を言わせぬ綜馬の声音に・・聖治がクスクスと笑い返す。
「いいですね・・。滅多にない機会ですから、あなたのありがたい説法でも聞かせてもらいましょうか・・?」
「・・謹んで遠慮させてもらうわ。お前の毒舌にかかったら、どんなに高名な僧侶の説法もただの戯言になってまう・・」
「あれ?ひどいなあ・・これでも一応礼儀はわきまえてるつもりなんですけど・・?」
「お前の礼儀の範囲っちゅうんに当てはまる奴がおったら、見てみたいもんや・・!」
あきれたように言い返した綜馬の背中に、聖治が低く呟く。
「あなただったら・・逆に僕の戯言を打ち砕けるかもしれないのに。残念ですね・・」
その声は・・あまりに密やか過ぎて綜馬の耳にも届かなかった・・。
宿坊の玄関先で先に聖治を部屋に行かせた綜馬が、宿坊の世話係をこなす小坊主を呼び止めた。
「おーい!ちょっとええか?」
「あ、はい!」
パタパタと駆け寄ってきた小坊主に気づかれぬように素早く印をきった綜馬が、その指先を小坊主の額にあてる。
途端に硬直したように固まった小坊主が、綜馬の指が離れると同時に・・慌てたように玄関を飛び出していった。
「いけない!大僧正様のとこへいかなくちゃ・・!」
そんな言葉を呟きながら走り去る小さな背中に・・綜馬がすまなさそうに片手を掲げて謝りのポーズをとった。
「悪いが、伝言頼むわな・・!」
小坊主を見送って巽達と合流した綜馬は、その後ずっと巽たちに付き添い・・一般客に混ざって高野山巡りの観光フルコースを案内して周ったのだ。
パタパタパタ・・・軽やかな足音が境内の奥の方を駆け抜ける。
「おいっ!坊主!何の用だ?そこから先は大僧正さまのお部屋になるのを知ってるのか?」
「・・あ・・っ!」
声をかけられた小坊主が慌てたように立ち止まる。
・・と、突然小坊主の瞳が焦点を失い・・その口から子供の物とは思えぬ声が流れ出る。
『大僧正様に急ぎの報告がございます・・どうかお取次ぎを・・』
その、聞き覚えのある声に・・ハッとした僧侶がきびすを返す。
「承知した・・。こちらへ・・」
僧侶に案内された小坊主が、大僧正の前で居住まいを正して深々と頭を垂れた。
その額に浮かぶ印を見た大僧正が、付き添ってきた僧侶に下がるように無言で手を振る。
スッ・・と引き下がった僧侶が、去り際に人払いを指示していく。
その部屋の周囲に誰の気配も無くなったことを確認した大僧正が、にこやかに小坊主に話かけた。
「・・さて・・綜馬よ、私以外に聞かれてはならぬ印を使うとは・・何事か?」
問われた小坊主がおもむろに頭を挙げ、その口から綜馬の声が流れ出た・・。
『御影 聖治と鳳 巽、桜杜 みこと・・今夜ここに留まります。気になるのは御影・・どうやら龍脈に絡んだ気象状況と月齢を把握している気配がございます。まだそれが今夜起きるとは限りませんが、どのような対処を・・?』
ゆっくりと瞳を閉じた大僧正が・・眉根を寄せて呟く。
「・・・確かに、それが起きるかどうか・・咲耶姫にも分かるまい。何しろ相手は時間と空間を自由に行き来するもの・・さて、問題はそれを口にしたが鳳ではなく、御影だというところ・・。
変に騒ぎ立ててどうこうするほど危険な物だとも思えぬし・・。ここは一つ、綜馬に任せて様子を見るが得策かの・・?」
フッと目を開けた大僧正の目が、優しい眼差しに変わった。
「・・・鳳 巽。鳳の本家といわれる側の青年であったな・・。鳳に対してライバル心の強い高野にあって、周り中の反感を買うのを承知でその者と親交を深めるとは・・綜馬よ、まことそなたは良くも悪くも人の目を引きつける者よの・・」
シュル・・ッと衣擦れの音をたてて大僧正が小坊主に近づき、額の印を付け換える。
途端に弾かれたように小坊主が立ち上がり、パタパタともと来た道を帰っていった。
その小坊主と入れ替わりに、先ほど小坊主を案内した僧侶が現れ・・一礼を大僧正に返す。
「・・綜馬の本日の寺での勤め、私が代わって果たしておきます。大僧正様にはお心安らかに・・・」
「すまぬな。綜馬には後で皆が納得のいく罰でも与えておかねばなるまいて・・。いくら不穏な言動を吐く者の監視とはいえ、はたから見れば遊んでおるようにしかみえぬであろうからな・・」
「心中お察し申し上げます・・。ですが、我々はなにもしなくてよろしいので・・?すでに皆、鳳の者がこの場にいる事を察しているはず。何かあってからでは鳳との関係にも影響があるのでは・・?」
その問いに、大僧正が笑みを返す。
「その心配はない。あの者は鳳は鳳でも、本家の者・・。分家の者のように尊大な態度をとる者ではない。それよりむしろ心配は御影のほう・・あの者、何を思うてここへ来たのか・・」
「御影・・でございますか?しかし御影は我らも良く知る者です。特に注意するような事はなにもないかと・・。それに本家の者となれば、我らの中でも会った事のある者はそうは居ないはず・・。その者、本当に心配のない者なので・・?」
フッ・・と遠い目になった大僧正が、爽やかに晴れ渡った空を見上げて言った。
「・・昔、私はあの者に会うた事がある。まだ幼い子供の頃に・・。人を引き付けずにはいられない・・強い何かを持っておった。あの時に・・私もまた綜馬と同じくあの者の背負う運命の輪に取り込まれたのであろうな・・」
「大僧正・・様・・?」
「・・いや、すまぬ。ただの戯言よ・・気にするな。あの者達には私が責任を持って対処する。他の者にもそう伝えてくれ・・全ての責は私が負うと・・な」
「・・大僧正様がそうおっしゃるなら、我らに異存はございません。他のものにもそう伝えておきます・・」
一礼を返した僧侶がきびすを返し、廊下の角に消えていく・・。
その姿を見送った大僧正が再び澄み切った青い空を見上げ・・呟いた。
「・・綜馬が桜杜を連れてきたも抗えぬ星の軌道ゆえ。かつて・・綜馬がまだ鳳 巽にで会う前に咲耶姫の見た星見の通り・・。闇星によって見えなくなった己の運命・・自らの手で選び取るが良い、綜馬よ。かつて見た咲耶姫の星見に抗えるはお前だけなのだから・・!」