ACT 18
「あれ?綜馬さん?何買ったんですか?」
アジサイの咲き誇る境内の一角・・参拝客相手の茶店で一服していた巽たちからちょっと離れた綜馬が、小さな紙袋を抱えて戻ってきた。
みことがそれを目ざとく見つけ、問いかけている。
「残念ながらみことのやないで。ちょっとしたお駄賃や」
「お駄賃・・?」
「ま、いろいろとな・・」
意味ありげに笑った綜馬がソッ・・と聖治を盗み見る。
聖治はそんな綜馬の視線などどこ吹く風・・というように、隣に座った老婦人と楽しげに何か語らっていた。
「・・・ほんま、何を考えとんのやら・・」
ハア・・とため息をついた綜馬を、みことが訝しげに眺めて言った。
「綜馬さん・・?」
「うん?ああ、すまん、なんでもない。それより、せっかく来たんや座禅でも組むか?」
「ざ・・座禅・・ですか!?」
みことの顔があからさまに強張っている。
「・・オレは別にやってもいいぞ?せっかく来たんだしな。ここでしか出来ないことをするのも悪くない・・」
巽がみことのあせった顔を楽しむように呟き返す。
「うー・・巽さん・・まだ根にもってる・・」
小さく呟いたみことが上目遣いに巽を盗み見る。
今日の巽は、なんだかいつもより絡むというか・・少し・・しつこい。
さっきにしても・・綜馬と聖治の気配が感じ取れる直前まで、みことを決して離そうとはしなかった。
それに・・気のせいか、いつもの巽より手が冷たい気がした。
朱雀を体に宿す巽は・・半精霊であるみことが触れると、その朱雀の放つ聖炎の波動を感じ取って暖かく感じる。
それが・・ほんの少しだが、いつもより冷たい気がしてならなかった。
「・・なんでだろ・・?気のせい・・かな?」
結局、一般客に混じって座禅を組む事になった一行が、ツアー客に混じって歩いていく。
綜馬と並んで雑談しながら歩く巽は、サングラスをきっちりと掛け、そのせいであまりその端整な顔立ちが目立たない・・。
・・とはいえ、違うタイプで男前の綜馬が一緒にいることもあって、十分周囲の視線を集めていた。
「・・綜馬君も大変だろうね。巽と同じくらいいろんな意味で周囲のやっかみをかってそうだし・・」
「み・・御影先生!?」
突然声を掛けられたみことが驚いて振り返る。
クスクス・・と笑った聖治が柔和な笑顔のままで言った。
「その・・先生っていうのやめてくれる?何だか他人行儀だし、今は医者じゃないしね・・」
「あ・・ごめんなさい。え・・と、なんて・・呼んだら・・?」
「巽と同じく下の名前がいいかな・・。それより、知ってる?あっちの奥の方・・山の中に少し入った所に凄く綺麗な滝があるんだって。
そこには人が一生に一度見られるかどうか・・って言う珍しい物が出るそうだよ?」
「一生に一度・・?なんですか?それ・・?」
みことが興味をそそられたように聞く。
「さあ・・それが何かまで知らないけど・・なんでも、それを見た人間はその時願った願いが叶う・・って言われてるらしいね。ま、よくある迷信の類だろうとは思うけど」
「願いが・・叶う・・?」
「そ、あ・・ほら、お待ちかねの座禅だよ?」
「え!?」
広々とした畳の広間に等間隔を空けて・・一人一人座り込んでいっている。
「うえ・・ほんとにやるの・・?」
情けなく呟いたみことに・・聖治が笑って言った。
「こういうのはね、さっき言った願い事とか考えてるとあっという間だよ?特に・・絶対に叶わない願い事をね・・」
「絶対に・・叶わない・・?」
「そう。例えば・・変えようのない過去の出来事。それをどうやって償い、どうすれば清算できるのか・・ってね・・」
「え・・!?」
ハッとした表情になったみことを置いて、聖治がさっさと座り込んで座禅を組む。
「ほら!何しとんねん?今更逃げようだなんて考えてないやろうな・・?」
ニヤニヤ・・と笑った綜馬がみことを巽の横に引っ張っていく。
そのまま有無を言わせず座禅を組まされたみことが・・その間ずっと、聖治の言った言葉について考え続けていた事はいうまでもない・・・。
宿坊に帰ったみこと達を出迎えた小坊主に、綜馬が一人残ってその肩を叩いて振り向かせる。
「ちょい、ごめんな・・」
呟いた綜馬がその額に指を当てる・・と、途端にその口から大僧正の声が流れ出た。
『お前に任せる。後の事は気にするでない・・』
パンッと一つ綜馬が柏手を打った途端、小坊主がキョトンとした表情になって言った。
「あ・・あれ・・?僕は・・何を・・?」
「すまんかったな、オレの使いに行ってもらっとってん。ほれ、お駄賃や。皆に見つからんように食べや・・!」
「え・・?あ、ど、どうも、ありがとうがざいます・・」
何が何だか・・?といった顔つきだった小坊主が、手渡された袋を覗き込んで・・満面の笑みを浮かべて走り去る。
それは・・買い食いなど出来ない小坊主達がいつも横目で羨ましそうに眺めている・・茶店のお団子だった。
「今も昔も考えてる事に・・そう違いはない・・か」
感慨深げに昔の自分を思い返した綜馬がフウッ・・とため息をつく。
「・・それにしても!任せる・・か。・・ったく!それが一番気ぃ使うっちゅうねん!後の事は気にするな・・?
要は自分がオレの責を負うっちゅうことやろ?あのバカダヌキ!オレかてもう子供やないんやで・・!?かなわんなあ・・まったく・・!」
巽達の居る部屋へ向かいかけた綜馬が、廊下の窓から空を見上げた。
もう暮れかけた夜空に・・大きな十五夜の月が顔を出し始めていた。
「・・あれが出たところで何がどうなるかなんて誰にも分からん・・。何百年に一度出るかどうか・・その条件を満たす日が今夜・・か。御影の奴、いったいどこからそれを・・?なんにしても、得体の知れん奴だけに・・用心せんとな!」
思わず眉間に寄ったシワを元に戻すように、パンッと頬を叩いた綜馬が、いつもの笑顔を湛えて部屋へ入って行った。
「あー!おいしかった!ほんとにこれ、綜馬さんが作ったんですよねー・・」
すっかり空っぽになった膳を前にして、みことが満足げな笑みを浮かべて感心している。
「何を今更・・!みこと、お前、人が作っとるとこつまみ食いしながら見とったやんけ!」
「ああ!それは言わない約束だって・・・!」
つまみ食いをばらされたみことが、真っ赤になって抗議する。
宿坊に泊まる客が自分達だけだったことから、綜馬は世話係の小坊主や僧侶達を帰し、夕飯の支度から全て一人でやることにしたのだ。
その手伝いを買って出たみことが・・つい、つまみ食いをしてしまった・・というわけだ。
「言わなくてもバレバレだったぞ・・?食べる前からこれは・・って、いちいち味の説明をしてたじゃないか」
巽が追い討ちをかけるようにからかう。
「う。だ・・だって、あんまりおいしそうだったから、つい・・」
更に真っ赤になってうなだれたみことに、巽が立ち上がりながら言った。
「余分に食べた分は働いて返すのが道理だな。みこと!後片付けするぞ!手伝え!」
「え!?あ、はい!!」
弾かれたように立ち上がったみことと共に、巽がテキパキと膳を片付けていく。
「お、おい!巽!?それはオレが・・」
慌てたように立ち上がりかけた綜馬を、巽がその肩を?んで座らせる。
「いい。お前に迷惑かけっぱなしじゃ、次にこの借りを返すのが大変だからな。これぐらいさせてくれてもいいだろう・・?」
「い、いや、しかし一般客として金も払ってるのに・・」
「それなら気にするな。金を払った張本人はそこで何もしてないから・・」
そう言って、巽が聖治を指差す。
「あ、いいねー!んじゃ、僕は何にもしないで座ってればいいんだ・・?」
聖治がニコニコと笑って、座椅子に深々ともたれかかる。
「・・・なるほどな。せやったらオレは、その客に茶でも出して相手しとくわ・・」
おどけたように両手を挙げて降参ポーズをとった綜馬が、部屋の隅に置いてあった急須セットを取りに立ち上がる。
みことと巽も重ねたお膳を持って、宿坊の厨房へと歩いて行った。
みこと達の足音が充分遠のいたのを見計らって、綜馬が聖治に茶を出しながら問う。
「・・お前、なんでここへ来たんや・・?」
その綜馬の問いに、聖治がクスクス・・と笑いながら答える。
「いやだな・・久々に懐かしいあなたの顔が見たくなったからに決まってるじゃないですか・・!」
「ハッ・・!よく言うな!誰がそんな言葉信用するかい!」
苦みばしった顔つきで吐き捨てるように言い切る綜馬に、聖治が頬づえをついて面白そうに問い返す。
「・・へえ、そう言い切るからには・・それ相応の心当たりでも・・?」
「・・・別に!お前の方こそなんや・・また良からぬ事でも企んどるんとちゃうやろな!?」
クッ・・・と顔を伏せて低く笑った聖治が押し殺した声音で言う。
「本当に・・あなたは厄介な人だ。常に冷静に的確な状況判断を下し、いつも僕の邪魔ばかりしようとする・・」
「なんや・・それ・・?どういう意味や?」
訝しげな表情になった綜馬に・・おもむろに顔を上げた聖治の冷たい視線が突き刺さる。
「前に・・言いましたよね?覚えてます?『巽の体に傷をつけたおとしまえはきっちりつけてもらうから、そのつもりで・・』って。それを・・は果たしに来たって言ったら、どうします・・?」
「な・・に!?」
「残ってますよ・・?本来なら、傷など残るはずのないあの体に、あなたを庇って受けたあの傷がくっきりと・・!契約を代わって受けた刻印としてね!」
燃えるような憎悪の瞳を隠そうともせず、聖治が言い募る。
「け・・いやく?刻印・・!?そりゃ一体どういうことや!?」
「それが知りたいなら、高野の大僧正に聞いてみる事です。どこまで正確に伝えられているか知りませんがね・・何しろ、千年以上も前の話だから・・」
不敵な笑みを浮かべて言う聖治の瞳の奥に・・いつもと違う、赤い輝きが宿っている。
「・・お・・まえ・・?誰や・・!?御影とちゃうやろ・・!」
その瞳にいつもの聖治と違う・・何かの影を感じ取った綜馬が聖治の襟首を?み上げた。