ACT 22




「・・二年半振りか。それにしても相変わらずだな、この屋敷も・・」

ここは京の都・・平安京の裏鬼門に当たる一角にたたずむ古ぼけた風情漂う屋敷の前。

袈裟衣姿の一人の僧侶らしき男が、閉ざされた門の前でその剃髪した頭をガリガリと掻いて・・所在無さげに門を見上げている。

・・・と、不意に音もなく門がひとりでに開かれた。

 

見た目には古ぼけていて、ギシギシと軋んでもおかしくない佇まいなのだが・・よく見るとしっかりと手入れはされていて、使う分には申し分なさそうである。

「・・相変わらず愛想の無い事で。勝手に入れということか・・?」

フッ・・と口元を緩めたその男の顔に、人懐っこい笑顔が浮かぶ。

「それはあまりな言い分・・この出迎えではご不満で・・?」

一歩門を入った途端、鼻腔をくすぐる芳しい香の匂いとともに・・艶やかな十二単をその身にまとった、この世の者とも思われぬほどに美しい女がかしずいてその男を見上げている。

一瞬、その美しさに見とれた感のあった男が・・ククッと低い笑い声をたてた。

「・・柳!相変わらずのその美しさは賛美に値するが・・いくら女日照りであったとはいえ、お主と分かっておる者を口説きはせぬぞ・・?」

その言葉に・・女がクスッと見るものを引き付けて止まぬ笑みをもらす。

「これは・・高名な僧侶様とも思えぬお言葉・・。それでは、こちらの趣向に切り替えましょうか・・・」

心地よい・・鈴を転がす様な声音が言ったかと思うと、フワ・・ッとその女の衣が中身を失って宙を舞う。

途端にその衣が屋敷全体を覆いつくすかのごとく広がって・・次の瞬間、屋敷内にある全ての木々が満開の桜に変わり、まるで降り注ぐ雪のように桜の花びらが舞い散っていく。 

「・・こ・・れは・・!柳・・お主・・!?」

男の顔に・・驚きと、この上ない静かな笑みが浮かぶ。

「早く中へ入れ・・!せっかくの花見を酒も無く見過ごすつもりか・・?」

どこからともなく聞こえてきた、笑いを含んだような澄んだ声音に・・男が遠慮なくドカドカと屋敷の中に入り込んでいった。

「・・柳!!変わりないか・・!?」

勝手知ったる我が家のように・・野太い声を響かせながら、迷いもなく裏手にある庭に面して開け放たれた部屋に・・その男が現れる。

「・・それはこちらの言う事だ。待ちかねたぞ、真魚(まお)・・!いや、もう今は空海僧正と呼ぶべきか・・?」

庭に面した板張りの廊下の上に酒と肴の載った膳を二組並べ・・ゆったりとその前に座った、狩り衣姿に腰まで伸びた艶やかな黒髪を後ろ手で無造作に束ねた男が・・近づいて来る袈裟衣姿の男に向かって、見惚れるような笑みを浮かべる。

その顔は・・先ほど門のところでかしずいていた絶世の美女そのままの美貌で・・ただ違うのは凛とした人を寄せ付けぬ雰囲気。

「いや、お主には真魚と呼ばれたい・・。私が生まれた時に付けられた名だ。お主以外その名を知る者も・・もう居らぬしな、柳よ・・!」

ドカッと勢いよく膳の前に腰を下ろした真魚が、改めて柳の顔をマジマジと見つめる。

「・・なんだ・・?」

訝しげな顔つきになった柳に、真魚が心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「いや・・すまぬ。嬉しいのだ・・再びお主の笑顔が見られて・・。ひょっとしたら、もう二度と見れぬやもしれぬと心配していたものでな・・」

「なんだ・・?それは?まあ、遣唐使など・・無事に帰れる保障もないものではあるが・・」

「そうではない・・」

静かに柳の言葉を否定した真魚が・・降り注ぐ桜の花びらに目を向ける。

「お主の心が・・二度と溶けぬ氷のように閉ざされてしまっていたら・・とそれだけが気がかりであった。しかし、良かった・・私に季節外れの桜を愛でさせてくれるほどの気遣いを持っていてくれた・・。その心根が・・嬉しいのだ・・」

桜の花びらを手の平に受けた真魚が・・再び柳を見つめ返す。

その真魚の視線から、フイッ・・と視線をそらした柳が・・うそぶく。

「別に他意はない・・ただ、未だ捕らわれたままなのだろう・・?咲耶とか言う半精霊。その者のためにお前は望みもせぬ地位と身分を手に入れた・・そんなバカな男へのせめてものあてつけだ・・。
この私を二年も大人しく待たせたつけ、これからゆっくりと支払ってもらおう・・覚悟しておけ・・!」

「とっくに出来ておるから安心しろ・・!お主が戦乱も起こさず、帝からの妖し退治にも応じて居ると聞いて、私と交わした口約束・・本気で守ってくれておるのかと心底驚いたほどだからな・・!」

フッ・・と笑った柳が、その・・魅入られずにいられない紫色の瞳を細めて言う。

「・・張り合える者が居らねば何をする気にもならぬ・・。近頃はたぶらかして遊んでやろうと思える者すらおらぬゆえ、戦を仕掛ける事すら面倒であっただけだ・・」

その答えに、真魚がクク・・ッと笑って楽しげな目つきになった。

「それは・・世の安泰は腑抜けな貴族どものおかげ・・と言わねばならぬな・・!では、帝の依頼に応じたは・・!?」

恐らくは・・この柳の魔性の瞳に魅入られず、その奥底にある柳の真意を窺い知ろうとする事の出来る唯一の男・・真魚がジッと柳の瞳を見つめ返す。

「・・・まったく!その可愛げのない性格、唐へ行けば少しはましになるかと思えば・・更に悪くなったようだな・・!」

自分の真意を見透かすような真魚の視線に、柳が堪らず言い募る。

「その言葉、そっくりそのままお返しするぞ!人がせっかく唐の国から帰京一番にお主の顔を見に来てやったというに・・たまには素直に認めたらどうだ・・!?柳!?」

「・・フ・・ン・・ッ」

プイッと横を向いた柳に、真魚がフッとこの上なく優しい眼差しを注ぐ。

「・・いや、もう良い。お主が・・この場所にいてくれて、私のために門を開いてくれた・・。それ以上語るべきことは何も無かろう・・」

横を向いた柳の視線を追うように・・真魚もまた、柳と同じく満開の桜の花をジッ・・と無言で見つめる。

ゆっくりと・・ただそこにいるだけの緩やかな時間が流れていく・・。

その時間を心から愛しむかのように、静かな眼差しで桜を見つめていた柳の瞳がスッ・・と閉じられる。

「・・かなわぬな。私を不老不死の化け物と知ってなお、友として・・人間として約束を交わし、それを心から喜ぶなど・・!永く生き続けてきた私にも初めての・・まこと物好きな人間としか言えぬ・・。
そんなお前の願いだ・・聞いてやるのも一興かと思ったまでのこと・・。それに、口約束と言うが、交わし合った言葉は既に契約・・私と言葉交わすならば気をつけるが良いぞ・・?」

からかうように・・しかしほんのりと目元を赤らめて微笑むその表情は・・魔性の者と言われるのが嘘のように、ただの照れ隠しに強がっているとしか思えない、まるで子供のような青年・・だ。

「・・あれは契約ではない。ただの約束よ・・。私と、私がただ一人、心から友と呼ぶ・・柳、お主との間に交わした約束・・。契約ではなく、約束だからこそ私はお主と言葉を交わしたのだ・・」

おもむろに酒を手にした真魚が、柳の杯に酒を注ぎ、自分にも手酌で杯に注ぐ。

それを無言で同時に飲み干した二人が、まるで挑みあうかの様に視線を合わせた。

「・・分からぬな!互いにそれを誓うなら、契約を結び縛りあう方が確実ではないか・・!」

一転して困惑の表情になった柳が、まるで小さな子を見守るかのような優しい目つきの真魚に聞く。

「約束は・・相手を絶対的に縛らない。互いが互いを信じ合い、相手を思うからこそ守れる物なのだ・・。だから私はお主と約束を交わした。だからこそ、私はその約束のために必死で学び・・こうして帰ってきた・・」

ハッとした表情になった柳が、紫色の瞳を見開いて・・呟く。

「あの時・・お前は、『帰ってくるまで大人しく待っていろ・・必ず生きて帰って来るから、それまでこの人の世を・・都を守って欲しい・・』そう言ったな・・?」

「そうだ・・そして柳、お主は『ならば・・お前が戻らねばこの都・・退屈しのぎに焼き払ってやろう・・。仏の顔も三度まで・・三年が限度だ覚えておけ・・!』そう言った。だから約束通り三年にならぬよう帰ってきたのだ・・」

長い船旅でよく日に焼けた真魚の顔は・・異国での厳しい生活を物語るかのように、二年半前に比べて引き締まり、精悍でたくましい顔つきに変わっている・・。

「・・ただ単に、都を焼き払われては困るからであろう?そうなったら、咲耶を帝の下から取り返すどころの話ではなくなるからな・・!」

真魚の言わんとすることが分かっていても・・それを素直に認められない柳が、天邪鬼な返事を返す。

その答えに・・真魚がさもおかしそうに笑い声を立てた。

「わははは・・!そのような事、考えもしなかったぞ?例えこの都がそうなったとしても、私は一向に気にかけはせぬ・・!」

「なんだ?それは!?それではお前の言った意味が通らぬではないか!?」

真魚の思わぬ言動に、柳が眉根を寄せる。

クックッ・・と、ひとしきり笑って、ようやく笑いをおさめた真魚の顔つきが、僧侶の物とも思えぬ人を食ったような表情に変わっていた。

「・・柳。お主まだ私の本心が見抜けぬか・・?私があの時ああ言ったは、都を心配したのではない・・。ただ、お主が無益に人の心をたぶらかし、それに乗せられたバカどもがお主の心を傷つけていかぬかと・・それだけが心配だったからだ。
ああいう風に言っておけば・・お主の事だ、私が本当に生きて帰ってくるかどうか見定めるまで大人しく様子を見るやもしれぬ・・と、多少うぬぼれてみたまでの事・・」

「な・・に!?」

カッ・・と顔を赤らめた柳が思わず言い募る。

「お前と言う奴は・・!それでも国の安泰を祈る役目を請け負った人間か!?一体何のために唐にまで出向き、仏の秘事を学んで帰ったのだ!?」

「決まっておるではないか!私が大切に思う、守るべき物のためよ・・!」

あまりにも確信に満ちた、静かな答えに・・柳が気勢を削がれた様にため息をもらす。

「・・・なんなのだ・・?それは・・?」

ニッ・・と不敵に笑った真魚が、柳の表情を何一つ見落とすまい・・とするかのようにジッと見つめ返す。

「お主と咲耶、それが私の守るべきものだ・・」

「な・・!?」

一瞬、心底驚いたように唖然とした表情になった柳が・・もう次の瞬間、薄笑いを浮かべて憎まれ口をたたく。

「私を守るだと・・!?お前などに守られるいわれも道理もない・・!人間ごときに何が出来ると言うのだ!?」

そんな反応も・・先ほどの唖然とした表情を見過ごさなかった真魚には、ただの強がりとしか聞こえてこない・・。

「ならば答えよ・・なぜに人をたぶらかし、その情を弄び(もてあそび)して世を渡る・・?そんなに人が疎ましく嫌いな物ならば、一思いに滅ぼしてしまえばよい。お主がその気になればいとも容易い事・・そう言ったではないか?」

ニヤニヤと、いかにも楽しげな笑みを浮かべて言う真魚を・・柳がそれには答えずに、ただ不機嫌そうにその笑みを睨みつけて言い放つ。

「この生臭坊主めが・・!酒や女だけでなく、欲まで深いと見える・・!二つも守りたいものがあって、守りきれるものか・・!」

「欲が深くて何が悪い?それが人たる所以(ゆえん)・・。酒や女の味を知らずして人の悩みを聞けはせぬ・・。
その痛み、喜び、悲しみ、怒り・・その感情を知らぬ者に人の人たる在るべき道理を語る資格はなかろう・・?」

その悪びれた風でもなく、涼しげに言い返す真魚の態度に・・今度は柳が笑い声を上げる。

「あははは・・・っ!まったく!お前と言う奴は食えぬ奴だ・・。欲深いかと思えば、反面誰よりも仏の道を信仰する・・。唐まで行って何を学んで帰ったのだ?」

「・・己の身の小ささよ。世の中は想像も出来ぬほど広い・・神や仏とて例外ではない。それぞれの国にそれぞれの神がいて、その力もさまざま・・。
だが結局その神々とて、人が居らねばその存在理由を失う・・人もそう。人も人がいなくては生きては生けぬ・・それを学んだ・・」

「・・!?」

絶句して・・ただ真魚を見つめる柳に、真魚が微笑み返した。




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