ACT 24
「・・良いのか?あれもお主を心から慕って、心配しておるのだぞ?」
聖の姿が完全に見えなくなってから、真魚が柳に問う。
「・・だからこそだ。私など慕ってどうする?お前のように他に大切な者があり、力もある者ならどうとでもなるが・・あれは普通の人間だ。私を一番に思うのであれば背負う物があまりに重かろう・・?」
表情を曇らせて・・痛々しそうに言う柳の言葉に、真魚がため息をつく。
「お主という奴は・・時に冷たく非情になるかと思えば・・そうやって、人を思いやり悲しげな表情をする。一体どちらが本当のお主なのか・・時々分からなくなるな・・」
「当たり前だ・・私自身判らぬもの、他の者などに分かるはずもなかろう・・?」
吐き捨てるように言った柳が、スッと音もなく立ち上がる。
「桜も見納めだ・・咲き誇るはほんの一瞬、その後は見る影もなく散る花だな・・?真魚よ?」
いつに間にか桜は全て散り、葉も落ちて、剥き出しの木の枝が残されるのみ・・。
「それで良い。そうでなければならぬのだ・・桜は人にとって特別な物・・。その花がずっと咲き誇る花であり続ける事は人の心を狂わせる。花が在ったことすら思い出せぬほどに変化するはそのためよ・・」
「・・まこと人とはよく分からぬもの。それを知っていながらなぜ、その禁忌とされるを犯すのだ・・?」
眉根を寄せて真魚を見下ろす柳に、真魚が自嘲気味な笑みを返す・・。
「なぜ・・か。まことなぜなのだろうな・・?ただ止められなかったのだ・・その桜手折ることを。禁忌と分かっていてもそれを我が手にしたいと思う気持ちを。
柳・・お主にもいつか、何をおいても手に入れたいと思う者が出来るやも知れぬ・・その時、その問いの答え得ることになるであろう・・」
フッ・・と鼻先でそれを笑った柳が、パチリッと、指を鳴らす。
途端に桜の剥き出しの枝ばかりであった庭の木々が、風情ある庭の木立へと変化する。
「手に入れたいものなど何も無い!手に入れたところで零れ落ちる砂の様にいつか・・なくなるのだからな・・!」
「・・柳!?」
一瞬、この上ない悲しげな・・戦慄さえ覚える冷たい光が柳の瞳の奥を駆け抜ける・・。
それを見逃すはずもない真魚が、やり切れぬ思いをその顔に浮かべ・・柳を仰ぎ見る。
「・・そんな顔をするな。されたところで迷惑なだけだ・・。それより、さっさとその鬼退治とやらに行くとするか?・・紫水!」
庭の一角にある引き込まれた小川の方へ向かって柳が鋭く呼びかける。
途端にその川面がざわめいて・・ザアッと水が持ち上がったかと思うと、それがあっという間に一人の若者の姿に変わる。
「・・お呼びでございますか・・?柳様・・」
低く・・腹の底に響くような声音。
顔を上げたその顔は、声のわりに若々しく凛々しい顔立ち。
ただ・・その瞳が、瞬きをしない魚のような灰色の目をしている。
「鬼が出たという紀伊の国の場所・・察しはつくか?」
「騒いでおります場所が二箇所・・海側と山側、どちらも青龍の眷属ではないようです・・」
その紫水の言葉に、柳の顔が不可思議に曇る・・。
「青龍の眷属ではない・・?しかも二箇所だと・・?書状には二つも鬼が出たとはかかれていなかったぞ・・?」
「ですが・・間違いなく二つ。どちらも強い波動を放っており、正体もつかめません・・如何致しましょう・・?」
「お前でも正体つかめぬとは・・おもしろそうではないか・・」
二ヤッ・・と笑った柳が真魚を振り返る。
その視線を同じく不敵な笑みで笑み返した真魚が紫水に向かって問う。
「久しぶりだな、紫水。しかし・・青龍の眷属でないとなれば柳が行く必要もなくなる・・まこと正体が分からぬか・・?」
「真魚様にもお変わりなく、唐よりのご無事のご帰国なによりでございます。残念ながら今回のこの鬼騒動・・ただの妖しではない様子。実際に対峙して見なければどのような物なのか見当も付きませぬ・・申しわけありません・・」
恐縮したように頭を垂れた紫水に、真魚が慌てて言い繕う。
「いや、別にお主を責めたつもりは・・!だが、紫水にも見当が付かぬとなると・・どうしたものか・・」
真魚の眉間に深いシワが刻まれる。
この紫水と呼ばれた若者・・遙かな昔・・この地に存在していたという青龍の一族に仕えていた妖魔・・虎鮫(ここう)の仮の姿である。
かつて起きた・・天空を支配していた朱雀の一族と、地上と海を支配していた青龍の一族との戦乱。
そして朱雀と人との間で交わされた・・地上での支配権を与える代わりに青龍を滅ぼすための密約・・。
そのために青龍の一族は朱雀によって打ち滅ぼされ、わずかに生き残ったその眷族達も散りじりとなって身を隠した。
その青龍の長であった葵と、朱雀と人との間にもうけられた牡丹の間に産み落とされたのが・・柳。
青龍と朱雀の二つの神の力と人としての情・・それを受け継いでしまったのが柳なのだ。
その柳を守るように葵と契約を交わした紫水は、妖魔の中でも特に力が強く、またその知識も比類なきほどに深い・・。
その紫水が分からない・・と口にしたことなどかつて無かった事であった。
それ故の真魚のこの杞憂である。
「何だ・・?お前らしくもないな、真魚。己の身の小ささを学んで帰ったのではなかったのか?この世は広い・・分からぬ事が在って当然。そうでなければおもしろくなかろう?その鬼、会うてみるのが楽しみではないか・・!」
「柳!?お主・・青龍の眷属のためにしか動かぬと、そう言っていたではないか!?」
柳のかつてない楽しげな口ぶりに、真魚が弾かれたように顔を上げる。
フン・・と、その顔を楽しげに見つめ返した柳が言った。
「もう忘れたのか・・?お前は?先ほど交わした約束を。お前が私の側に居るという事は私もお前の側に居るという事だ・・後悔しても知らぬと・・そう言っておいたであろう?」
「・・!?」
唖然とした表情になった真魚に柳がからかうように言い放つ。
「お前のその顔が見れただけでも、先ほどの約束・・交わしたかいがあったというものだな?真魚よ!?」
まるでさっきの仕返しとばかりにニヤリ・・と不敵に笑み返した柳が、思わず悔しげな顔つきになった真魚を尻目に庭の塀の向こうに向かって呼びかける。
「聖!そこに居るのであろう?鳳の者に伝えよ。今より紀伊の国に向かうゆえ、あちらでの我らの滞在の準備直ちに整えよ・・とな。整い次第赴くゆえ・・留守中の屋敷の管理、怠るでないぞ・・?」
「・・!?は、はい!」
弾かれたように返ってきた返事と共に、バタバタと走り去る足音が遠ざかっていった。
「・・まだ居たのか。よほど私がお気に召さぬと見えるな、気の重い事よ・・」
フウッ・・とため息をついた真魚に、まるでそんな事など気にもかけぬ面持ちで柳が再び座りなおす。
「紫水・・!先に行って状況を確かめておけ!二つに鬼のうちより面白そうな方を選んで知らせよ・・!」
「かしこまりました・・では・・!」
言った途端、紫水の姿が掻き消えた。
「柳・・?選んで知らせよとは、お主まさか・・?」
柳の言動に・・ハッとした真魚があきらめ顔で聞く。
「お前は話が分かるから良い・・。書状には一つの鬼についてしか書かれていなかった。それ以上の事などする必要もなかろう?」
「・・相変わらずよな。まあ、青龍の眷属でないとなれば・・本来ならお主は動いては居らぬであろうからな。それくらい構わぬだろう・・」
互いに顔を見合わせた二人が、どちらからというわけでもなく杯に酒を満たしあう・・。
「・・面倒な事は早々に終わらせよう・・と思ったのだが、おもしろそうな事は少しでも引き伸ばす方が良いのでな。こうして酒を飲める時間も出来た・・」
まるで・・見つけた獲物を狩る直前の獣のような目つきの柳に、真魚が再びため息をもらす。
「・・お主のその目を見ていると、その鬼の方を助けてやりたくなるぞ・・?柳?」
「フム・・それも良いかも知れぬ・・たまには本気でお前とやりあってみるも一興・・・どうだ?真魚?」
更に楽しげな表情になった柳に真魚が苦笑いを返す。
「・・それだけはごめん被る。お主に傷の一つも付けようものなら、聖に殺されかねんからな・・」
「それは残念だな・・?」
フッ・・と視線を交えて笑いあった二人の姿は・・互いを信頼し、友として認め合った者同士そのものだった・・。