ACT 26
その、桜の花で遮られた枝の上で・・みことがハッと身を強張らせていた。
けれど・・その、かけられた声音に・・その忘れるはずもないその声に!
思わずみことがかつて初めて巽と出会ったときの状況を思い出し、叫んでいた・・!
「た・・巽さん!?」
ザザッとばかりに勢い良く花の間から顔を覗かせたみことと柳の視線が重なり合う・・!
「・・!?」
互いに見開いた瞳が・・その、それぞれの驚きを物語るかのように、瞬きも忘れて相手を凝視する。
「巽さん!!」
込み上げてきた嗚咽と涙を必死にこらえ・・みことが柳に向かって呼びかける。
「たつみ・・?誰だそれは?それに・・私はお前など知らぬ!お前がこの地を騒がせる鬼か・・?」
抑揚のない・・冷たい声と、訝しげに眉根を寄せる冷たい視線・・。
風になびく長い漆黒の髪と、紫色の瞳・・そして見慣れない服装・・どれを取ってもそこに居るのがみことの知る巽ではない事は一目瞭然・・。
けれど・・今のみことにとっては、かつて同じような状況で出会った唯一無二の・・一番大切な人と同じ顔、同じ声。
それに・・ここへ来る直前に感じた、柳と巽が別人ではない!という直感。
それら全てがあいまって・・みことの受けた衝撃は、例えそれが仕方のないものだと・・理屈では分かっていても、それを感情が受け入れられないほどに大きかった・・!
「わ・・忘れちゃったんですか!?巽さんに会いたくて・・必死で逃げて、ようやく会えたのに!!巽さん!!」
身も知らぬ会った事もないみことに、いきなり知らぬ名で呼ばれ・・その上あからさまに責め口調で言い募られた柳が、不機嫌さを露わにして言い返す。
「知らぬと申しておる!お前は何なのだ!?なぜ私をその名で呼ぶ!?」
「なぜ・・って、あなたは、今は柳さんだけど・・巽さんと同じだから!僕にとっては、巽さんだから・・!!」
「・・!?なぜお前は私の名を知っている!?」
自分の名を呼ばれた柳が、更に訝しげな表情になってみことを凝視する。
「それは・・!」
みことが身を乗り出して事情を説明しようとした時・・
「お下がり下さい!柳様!」
鋭い声と共に柳のすぐ側を一陣の風が突き抜ける・・!
ハッと振り返った柳の目の前を、その話し声を聞きつけて駆けつけた検非違使の放った矢がみことに向かって飛んでいく!
「あっ・・!!」
息を呑んだみことの声と同時に、放たれた矢がみことの右肩に深々と突き刺さる!
その衝撃を受けたみことの体がバランスを失って、木の根元に転がり落ちた。
・・が、柳はそんなみことなど無視し、矢を放った検非違使に向かって険しい顔つきで歩み寄っていた。
「柳様・・!ご無事で・・!?」
次の矢を構えたまま問いかける検非違使に、柳が冷たい・・体の芯から凍えるような視線を向ける。
「や・・!?」
その視線に・・検非違使が思わず構えていた矢を落とし、後ずさる。
その背後から現れた他の男達と真魚が、桜の根元に転がって・・苦しげに肩を押さえているみことの姿に釘付けになっていた。
その・・明るい朝の日差しの下、木漏れ日に照らし出されたみことの容貌は、薄汚れて切り傷だらけで・・その上いかにも妖しげに鈍く銀色に輝いている。
その姿は、男達が鬼と呼ぶにふさわしい姿そのもの・・。
「ま・・まだ生きてるぞ!?何をしてるんです!?早くそいつを殺してください!」
「あの崖から落ちて生きてるなんて・・まさに化け物・・!」
「僧正様!早くあの鬼を退治してください!そのためにここへ来られたのでしょう!?」
柳と真魚に向かって口々に責め立てる様に言う男達に・・柳が静かに問いかける。
「そこの者達、この者を鬼と呼ぶはなに故だ・・?」
その・・氷のように冷たい視線に一瞬怯んだ男達であったが、みことの異様な存在の方が柳よりもはるかに脅威を煽る物であった。
「な・・なにを言って・・!?そんな姿の人間が居るはずがない!早く殺さねば村の者が殺される・・!」
「そ、そうだ!それに、あんた方はそいつを殺すためにここへ来たんだろう!?もう何人もその鬼にやられて死んでるんだ!とっとと殺してくださいよ!」
男達の雰囲気が一気に殺気だった物に変わっていく・・。
「・・むっ!?」
その・・男達の背後から、今にも沸きあがろうとする暗い、闇の気配に真魚が後ずさる。
その黒い影を睨みつけるようにして、柳が更に問いかけた。
「人とは、まこと理不尽な事を平気で行う救いようのないバカ共だな。この・・お前たちが鬼と呼ぶ者、私に殺せと・・そう言うのだな?」
「そうだ!そのためにあんた方はここへ来たのだろう!?鬼など、さっさと殺してしまえ・・!」
「そうだ!殺せ!殺せ!」
まるで何かに憑かれた様に、口々に言い募る男達の背後に湧き立つ暗い影が・・ますます大きく、闇色を帯びていく・・。
「柳・・!」
その・・力を蓄えて強大化しようとする影の気配に、真魚が印を切ろうとその意思を伝えるべく呼びかけた!
・・・が
「良かろう・・!弓貸せ!」
真魚の意思を全く無視した柳が、柳の眼力に当てられて硬直したままの検非違使の手から弓を奪い取る。
「や、柳!?」
真魚の更なる呼びかけに、柳が凛とした声音で言い放つ!
「黙って見ていろ!!お前たちの望み通りにしてやるのだ!!」
途端にそこに居る者たち全てが金縛りになった様にその動きを封じられる。
真魚ですらその自由を奪われて・・身動きが取れない・・!
ただ・・ようやく桜の木に寄りかかるようにして立ち上がったみこと一人を除いて。
キリキリ・・と、矢もつがえることなく弓を引いた柳が、その矢のない弓をみことに向ける。
「・・!?た・・巽さ・・ん!?」
自分の方に向かって引かれた弓を目の当たりにしたみことの顔に、驚愕の色が浮かぶ・・!
「お前と真魚になら・・この矢、見えておろう?これは不浄の物を祓う普通の者には見えぬ‘破魔の矢’・・もう一度言っておく!私は巽などという名の者ではない!二度とその名で私を呼ぶこと許さぬ・・!」
みことと真魚の目に映る破魔の矢が・・力いっぱい引かれた柳の弓の中で、その白い鮮烈な輝きを増す。
普通ならば人には見えぬはずのその矢の姿が・・あまりに強く輝きを放つせいで、金縛り状態の検非違使と男達の目にまで映った!
「う・・そ・・巽さん!そ・・んな!」
柳の冷たい眼差しに、みことの体が凍りつく・・!
その紫色の瞳は、魅入られるほどに美しく・・冷たくみことを映し出していた。
「・・その名で呼ぶこと・・許さぬと言ったはず・・!」
そう言い放った柳の手から輝く破魔の矢が放たれて、真っ直ぐにみことの心臓めがけて飛んでいく・・!
「巽さんっ!!」
最後の願いとばかりにその名を呼んだみことの願いも虚しく・・放たれた矢は、過たず、みことの心の臓を貫く!!
「・・っ!!」
桜の木の幹にその体ごと射抜かれたみことの姿が、その体に吸い込まれるようにして消えた矢と共に、スウッ・・と掻き消えた!
フッ・・と、不敵な笑みを浮かべた柳が真魚を振り返る。
「その影の始末、お前に任せる・・!生まれたての闇の妖しだ、扱いに注意しろ!」
柳が言った途端、金縛りが嘘のように解け・・男達の背後に居た暗い影が、ザアッ・・と男達から解き放たれたようにもの凄いスピードで飛び退る・・!
「なっ!?待て!!」
真魚が慌てて護法童子を放ったが、時すでに遅く・・その影は跡形もなくどこかへ消えてしまっていた。
「・・困ったものだな。桜が絡むとその程度の物すら取り逃がす・・高名な空海僧正の名が泣くぞ?」
あきれたような口調で言う柳に、真魚が食って掛かる。
「なにを言う!お主が邪魔をしなければ・・!いや、あのような物の事などどうでも良い!柳!お主なぜ!?」
その真魚の気勢を削ぐように、柳が検非違使と男達に言い放つ。
「鬼の始末はついた・・!後はこの地を鬼の穢れから清めるゆえ、その儀式執り行う。お前たちの役目はもうすんだ!これより先は人が居ては精神集中の邪魔になる!速やかに立ち去れ!」
柳の有無を言わせぬ鋭い眼差しに、検非違使と男達が弾かれたようにその場を後にする。
その者達を見送った真魚が、先ほどの続きとばかりに柳につかつかと歩み寄った。
「どういうことだ・・!?清めだと?そのような事する必要もない!あの者は・・!」
「・・分かっている。あれは鬼などではない、ただの人間。いや、正確には桜の半精霊・・咲耶と同じ・・」
「柳!?分かっていてなぜ!?」
怒りの表情を浮かべた真魚を、柳が静かに見つめ返す・・。
「なぜ・・?では聞こう・・あの者たちに憑いていた闇の妖し、あれを引き剥がすにはその妖しを引き付けた感情の源を断たねばならぬ・・。あの場合、ああするより他手立てはなかろう・・?違うか?真魚?」