ACT 29




「み・・御崎さん!?」

「・・は?」

訝しげにみことの顔を見返すその顔は・・髪が長く後ろに引き結ばれている点を除いて、間違いなく巽の祖母のお守り役・・御崎 海人その人だった!

・・が、

思わず大きい声を出したせいで、カラカラに乾ききっていた喉が悲鳴を上げて・・それ以上言葉が出ない・・!

「・・ああ、無理をなさらないで・・高熱が続いたせいで体が弱りきっています。柳様がみこと様に『気』を分け与えて下さらなかったら・・今頃どうなっていたことか・・」

紫水が慣れた手つきでみことの体を抱き起こし、先ほどまで柳の手を握り締めていた左手に白湯らしきものが入った碗を手渡す。

それをゆっくりと飲み干したみことが、その・・薬も混ざっていたらしき苦さに顔をしかめた。

「傷の化膿止めと痛み止めの薬です。お腹の具合はいかがですか?まずは重湯からの食事になりますが・・召し上がれるようなら・・」

食事・・と聞いた途端にみことのお腹がクルクルと情けなく鳴き始める。

「あ・・!あの・・召し上がれるみたい・・です・・」

火が噴くように真っ赤になったみことが、喉が潤ったおかげで・・ようやく喋れるようになった掠れ声で言う。

その・・みことの様子に、紫水がクスクスと忍び笑いをもらしながら重湯の入った大き目の碗に取り替える。

慣れない左手一本で・・何とかそれをお腹に収めたみことが一息つくと、紫水がおもむろに傷に巻かれた布や塗り薬の交換を始めた。

その様子は・・本当に御崎の仕草とそっくりで、みことの緊張感もほぐれていく・・。

「・・あ、あの・・巽さ・・じゃないや、柳さんは・・どこへ・・?」

「恐らくは・・失った妖力を補充するために妖し狩りに行かれたのでしょう。この五日あまり柳様御自身も何もお召し上がりにならず、その上みこと様に『気』を分け与えておいででしたから・・」

「え・・!?五日も・・!?まさか・・ずっと・・僕に・・?」

「はい・・ずっと手を握っておいででした。よほど・・お気に召されたのでしょうね。こんな事は私も初めてで、とても驚いています」

「気に入る・・?え・・と、紫水・・さん?あの、柳さんって・・いったい・・?」

「紫水・・で結構です。柳様は人とも妖魔ともいえぬ存在・・人の言う神の力をその身に受け継いでおられるお方です。そしてあなたもそれに近い存在・・半精霊であるが故に柳様の『気』を与えられることも可能でした」

「『気』・・って?それに・・妖しを狩る・・?」

「『気』とは、この世の全ての基礎ともいうべき物。生きるための力の源・・それが純粋に寄せ集まった物が我々妖しともいえます。人が食物を食べてその命を繋ぐように、我々妖しはお互いの体を食い合う事でその命を繋ぎます。普通の人ではその『気』を効率よく消化できませんが、半精霊なら消化できます・・そのために柳様は自分の『気』をあなたに与え、御自分が消耗なさった・・それを補うために他の妖しを体に取り込みに行かれたのです」

そう言われて、みことがハッと思い当たっていた。

巽の祖母・・鳳 美園が自分の歌った鎮魂歌によって浄化され、その反動で白虎に噛み付き・・その妖力・・つまりは『気』を吸い取っていた事を・・!

けれど・・巽はそんな事など一度もしたことはなかったはず・・。

それとも・・ただみことが知らないだけの事なのだろうか・・?

悲しげな表情になったみことの様子に・・紫水が別の話題を振る。

「柳様のことは柳様にお聞きになった方がよろしいかと・・。それよりも・・先ほど私の事を・・「みさき」と、呼んでおられましたね?あれは・・?」

「あ、え・・と、僕・・月虹龍に乗って月虹を渡って、ここへ来ました・・。多分・・千年くらい先の世界から・・」

そういった途端、紫水の顔つきが厳しい物に変わる。

「みこと様・・!もしそれが本当なら、それ以上言ってはなりません!我々妖魔も時として時空を超える事があります。もっとも・・妖力の消耗が激しいのでそんなに遠い時を超えることは出来ませんが・・。
それでも、これから起きる事を知っている場合、それに関して関わってはならないというのが鉄則です。過去が変われば必然的に先に起こる事も変わってしまうからです。そしてそれは結局自分の存在を消しかねない・・危険な行為なのです。ですから、くれぐれも先に起こる事に関してそれに関わる者達に言ってはなりません。お分かりでしょうか・・?」

「・・っ!?」

みことが息を呑んで紫水を見つめ返す。

ここに居る・・この紫水が御崎であることは間違いない。

そして・・その紫水に千年後の御崎のことを話したら・・その時点で千年後の先の世界の御崎とみことの知る御崎は、同じ御崎ではなくなる可能性がある・・。

では・・それを柳に当てはめたら・・?

巽の事を柳に話せば、みことが無事に元の世界に戻れたとしても・・そこに居る巽は、みことの知る巽では無くなっている可能性がある・・という事!

(そっか・・そうだよね。本当なら僕はここには居ないはずの人間で・・だけど・・じゃあ、どうやってあの鬼に会えばいいの?柳さんと鬼の間に交わされた契約なら・・柳さんの側に居れば・・会える・・?)

ただ、側に居るだけ・・巽の事も鬼のことも、柳に言ってはいけない・・!

もう、二度と柳のことを巽と呼んではいけない・・。

「・・・巽さん・・この名前も・・呼んじゃいけないんだ・・」

うなだれて・・小さく呟いたみことが唇を噛み締める・・。

元の世界に戻らない限り、みことの知る巽には会えない・・柳の中に巽を感じても・・それはあくまでも柳なのだ・・。

「・・お分かり頂けたようですね?何を成しに時空を超えられたのかは知るべき事ではないようなので聞きませんが・・それが達成出来れば一刻も早くもとの世界に返るべきでしょう。何か手立てはお持ちなのですか?」

「・・ありません。でも、絶対・・帰ります・・!約束・・したから・・!」

先の事など考えていなかった・・いや、考える暇などなかったみことには、そう・・信じてここへ来る以外どうしようもなかったのだから・・。

「そうですか・・それでは私も及ばずながら調べてみます。千年・・となると私も聞いた事がありません。お力になれるかどうか・・期待はしないでいて下さい」

みことの知る御崎と同じように親身になってくれる紫水に・・思わず『御崎さん・・!』と言いかけた言葉を飲み込み、みことが精一杯の笑みを浮かべる。

考えてみたら・・ここへ来て初めての笑み・・だ・・。

「ありがとうございます。分からない事ばかりで・・いろいろ教えて下さい・・」

そのみことの笑みに、紫水がフッ・・と生真面目な顔つきになって言った。

「・・では、代わりに・・私の願いを聞いていただけませんか?」

「へ・・?な・・んでしょう?」

「あなたのその笑顔を、柳様にもお見せいただけると嬉しいのですが・・」

「ぼ・・くの・・笑顔・・?ですか?」

「はい。柳様がここまで一人の人に関心をお持ちになられたのは本当に初めてなのです・・。そしてまた、あなたのように柳様のあの瞳をあそこまでしっかりと真っ直ぐに見返すことが出来る方も、初めて・・。あなただったら、ひょっとして・・柳様の心を癒す事がおできになるかも・・と思ったものですから・・」

紫水のその言葉に、みことの表情がにわかに曇る・・。

巽でない・・巽そっくりの柳に、心の底からの笑顔を見せる事など、できそうにない・・。

そこにどうしても巽が重なって・・笑顔も消え去ってしまうのは明白だった。

「・・ごめんなさい・・努力はしますが・・あまり期待はしないでいてくれますか・・?」

「『巽』・・と言う方のせい・・ですか?」

「え!?」

「ここに連れてこられてから・・ずっとその名前をうわ言で呼んでおられましたので・・」

途端に真っ赤になったみことが恥かしそうに言う。

「・・そ・・そんなに・・呼んでました・・?」

「はい。それはもう・・あきれるほどに・・」

「うぅ・・・」

更に真っ赤になってうなだれるみことの様子に、紫水がそっとため息をもらす。

「・・すみません、無理強いするつもりはありませんので・・忘れて下さい。ただ、柳様は本当はお優しい方なのです・・それだけはお伝えしておきます・・」

「・・あ・・それは・・分かります・・」

そっと、みことが左手に視線を落とす・・。

握られていた手の暖かさと力強さは、ずっとみことを支えていてくれていた。

見も知らぬ・・何処の誰とも分からぬ自分にずっと付き添い、手を握っていてくれた柳・・。

何の迷いもなく矢を放った・・凍りつくような冷たい視線を思い出すと背筋に悪寒が走ったが、最初に目覚めた時に見た気がする柳の優しい・・ホッとしたような瞳・・。

(あれは・・夢じゃない・・よね・・?それに・・・)

ハッ・・とその先の事もおぼろげに思い出したみことが、慌てて口元を手で覆う。

「・・?どうかなさいましたか・・?」

突然、先ほど以上に真っ赤になってうつむいたみことに、紫水が怪訝な表情で問いかける。

「あ・・い、いえ・・あの・・寝てる時、水・・飲んだ気がするんですけど・・それ・・って・・まさか・・・」

「はい、柳様が飲ませておられました。それが・・・?」

「・・!?それって・・!あの・・・!」

口ごもったみことの代わりに、紫水がこともなげに言い放つ。

「口移しで飲ませておられましたが・・それがなにか・・?」

「・・!?や・・やっぱり・・!?」

思い切りうろたえた様子のみことに、紫水が『ああ・・!』と言わんばかりの顔つきになって言った。

「・・仕方がなかったと思って下さい。そうでもしなければ充分な量の水は飲ませられませんでしたし・・飲ませる水と一緒に『気』を混ぜて送り込むのが桜の木の半精霊であるあなたには、一番効率がよかったのです。木は水を吸収してそこから養分を得る性質がありますから・・」

「・・・うぅ・・・」

以前の・・海蛇の事件の時、あの時は今の時と逆で、体から水を出すために巽は口移しでみことから水を自分の体の中に移し込んだ・・。

出会った時の状況といい、この・・理由はどうあれキスしたことになる状況といい、あまりに似通った出来事に、みことの中でより一層柳と巽が重なっていく・・。

「・・・なんで・・こんなに・・似ちゃうかなあ・・・?」

深いため息と共に何とか火照った顔を元に戻したみことを、紫水が再び手を貸して寝かしつける。

「名前を呼んでくだされば、すぐに参りますので。安心してお休み下さい・・」

そう言って一礼を返し、かき消すように姿を消した。




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