ACT 30
急にシ・・ンと静まり返った御帳台の中で、みことがフウ・・ッと吐息を吐く。
久しぶりに自覚する、少し固いけれどサラサラとして肌触りのよい絹地の布団の感触と、フワッと漂う何かの・・香のようないい香り・・。
「・・あ・・・これ・・さっき、柳さんが顔を近づけた時の匂いと一緒・・」
あの時の・・
『・・これは私の手だ・・巽の手ではない・・』
と言った柳の表情は、本当に悲しげで・・ハッと胸を突かれたみことだった。
「・・そうだよね。誰だって・・誰かの代わりなんて、そんなの・・いやだもん・・。ちゃんと謝んなきゃ・・ね・・」
柳と同じ匂いに包まれて・・もう、手を繋いでくれる手はなかったけれど・・その香りが柳の存在を感じさせて、みことは妙に安らいでいる自分を感じていた・・。
「・・ん・・巽さんの匂いとは違う・・でも・・安心できる匂いだ・・・」
薬が効いてきたのか・・みことは再び引きずられるように深い眠りへと落ちていった。
柳と別れた真魚が一人、まるで風のように険しい山道を駆け下りていく。
あっという間に山を降り、川に沿って咲く桜の花を追うように一気に海辺までたどり着いていた。
「・・なんと!川に沿って海まで桜が・・!一体、何者なのだ?あの子供・・!?」
海岸沿いに咲き誇る桜を驚愕の面持ちで眺めていた真魚の目に、海へと突き出た大きな岩・・獅子ヶ岩が飛び込んでくる。
「・・確かあそこは・・聖獣‘白虎’が住み着いているとかいう噂がある場所・・!」
遠目に見えていたその岩の方へ、再び風のごとく駆け出した真魚の耳に、聞き慣れない歌声が聞こえてきた・・。
「・・!?う・・た・・?いや、これは・・歌というより・・!」
歌と共に聞いている者の心に流れ込んでくる暖かな波動・・とも言うべき何ともいえない不可思議な力・・・。
「これは・・!浄化の力を秘めた・・鎮魂歌・・!」
ザザッと、小さな竜巻を引き起こしつつ止まった真魚が、その歌声の主を求めて岩の周りや波打ち際を探していると・・不意にその歌声が、止む。
「・・私をお探し?」
「・・!?」
ハッと、声のかけられた方向を仰ぎ見た真魚が絶句する。
海に突き出た岩の先端・・
どうやってそこへ行ったのか・・?と、思わせる場所に、あどけない笑顔を浮かべた少女が、座って居た・・。
「な・・!?一体・・どうやってそこに・・?」
驚愕の表情を浮かべた真魚に、少女がクスクス・・とさも可笑しそうな笑い声をもらす。
「・・さあ?でも、ここが一番声が遠くに届くと思わない?さっき飛んで行った闇から生まれし物・・あれに少しでも届けば・・・」
「・・!?見たのか!?あれを?どちらへ飛んでいった?」
少女の言葉を遮って、畳み掛けるように問いかける真魚に・・再び少女が笑い声をもらす。
「クスクス・・何をそんなに慌てているの?もう遅いわよ・・?あれはもう別の住処を見つけてしまったから・・」
「何!?なぜそんなことが分かる?」
「・・じゃあ、あれは・・何・・?」
スッ・・と少女が指差したその先・・海岸の岩場から少し離れた木立の中に、何かが折り重なるように倒れている。
そして・・ザアッと、突然風向きの変わった風に乗り・・生臭い・・濃い血の匂いが真魚の鼻腔を刺激する。
「・・な!?あれは・・!まさか!?」
「そう・・あれは死体。自ら犯した罪に気づかずその罪によって命を縮めた人間の成れの果て・・」
「・・!?」
少女の口から流れ出た、その年に似合わぬ物言いと迫力に・・真魚がハッと振り返る。
その目に映る姿は・・その辺の何処にでも居る粗末な着物を着た、けれど顔立ちだけは凛として美しい、儚げな少女そのもの・・。
「お主・・何者だ・・?見た目は可憐な少女のようだが、その中に居る魂は別の者だな・・?」
真魚の問いかけに、少女がスッ・・と立ち上がり微笑み返す・・。
「いいえ・・それは違うわ。私はもう一人の私と混ざり合ったの・・白虎への生贄として海へ身を投げた私と、形あるものに入らなければ消えてしまいそうだったもう一人の私・・。お互いに生き延びるために、お互いの目的を果たすために、私はここに居る・・」
「混ざり合った・・?何者と何者がだ?」
「私は千波・・白虎に鬼を退治てもらうために我が身を捧げた者。私は運命を司るウルド・・遙かな昔に滅ぶべきはずの者を・・紡がれた運命に逆らったその者を闇へと返すために追ってきた・・」
ザアッ・・と巻き上がった風と共に、少女のすぐ横に巨大な白い影が寄り添った。
「・・っ!?白虎・・!?」
まるで少女を守るように、絶句したままの真魚をねめつけた白虎が、荘厳な声音で言い放つ。
『我が生贄として自らその身を捧げたこの者は、我を従えるに足る純真さと誠心さを持つ者・・不用意に近づくと我が牙にかけられるを覚悟せよ・・!』
(我を従えるに足る者!?つまりはこの少女と式神としての契約を結んだということか・・!?)
唖然として白虎を見つめる真魚の目の前で、その背に乗った少女が白虎と共にフイッと掻き消えた。
「私の名は千波・・私たちもあの闇の妖しに取り込まれた鬼を追います・・あなたも気をつけて。あれはもう人ではない、血を求めるただの鬼と呼ばれる魔物・・」
真魚の頭の中に直接響いたその少女の声が、紫水の言っていたもう一人の鬼の事を真魚に思い起こさせる。
「・・では!もう一人の鬼の方に闇の妖しが・・!?クソッ・・!あの時取り逃がしていなければ・・!!」
顔を歪めた真魚が、思い足取りで累々と折り重なった血塗られた死体のある方へと歩き出す・・。
間近で見たその死体は鋭い鋭利な刃物で、何の迷いも躊躇もなく切り裂かれていた。
その傷跡に・・真魚の表情がにわかに曇る・・。
「この傷は・・両刃の刀・・しかもかなり重くて大振りな物・・。異国の民の武器・・だな」
普通の者なら目を背けるその惨状を冷静に検分し、その前で座禅を組んだ真魚が、朗々と経を読み上げる。
千波の歌う鎮魂歌にも勝るとも劣らぬその聞き惚れる様な声音が、波音の響く木立に響き渡る・・。
その声に引き寄せられるように集まってきた周辺の村人が、その惨状を目の当たりにして・・真魚の後ろ手で同じく手を合わせて震えている。
経を詠み終わった真魚と共に、村人達も無言のまま埋葬するための墓穴を掘り起こし始めた・・。