ACT 32




『・・残って・・いるのですね。つかまれた痕が・・この腕に・・』

自分で触れても、明らかに熱く感じるその腕をほほに押し当てた咲耶の脳裏に、はるか昔の思い出が甦る・・。

『・・あの時と同じ・・!私を桜としてではなく、人として手折った・・あの時と!空海・・いいえ、真魚・・!あなたと同じ魂の色を持つ者は、私を再び人に近づける・・!もう、何をしたとて無駄なのに・・もうじき只の桜に成り果てるというのに・・!』

咲耶の居たその異世界が、まるで生き物のようにザワザワ・・と蠢き始める。

咲耶の座る足元から端を発したその蠢きは・・まるで血管のように無数に伸びた桜の根。

『・・・綜馬、私がここから出るということは・・暖かな日の光を受けるという事は・・私が桜に成り果てるという事。私がかつて見た星見の通り・・それは避けられない運命・・。みことを再びこの地に呼び戻すために・・この地を守るために・・!』

咲耶の足であるべき所は、もうすでに木の根と化し・・その異界のいたるところに根を張り巡らしていた。

その根の先に繋がっているのは・・空海が各地を行脚して植えていった桜の木を元に増えていったその眷属の木々。

日本中の桜が咲耶と繋がっているといって過言ではない。

空海が来るべき日のために行脚し準備した・・柳の交わした契約からこの地を守るための、高野を核とした結界・・。

『・・真魚・・!やってみなければ分からない・・綜馬もそう言いました。あなたと同じく・・!ですが、母を犠牲にしてでも・・私は真魚、あなたの側に居たかった・・!父であるはずのあなたを誰よりも愛した私の・・これは受けねばならない罰・・!親子というしがらみを持たぬあなたの生まれ変わりを待ち続け、ようやく出会えた・・!それだけでもう・・満足です・・』

熱を帯びた腕のアザと、ほんのり桜色に染まった自分の体の温もりを・・いとおしむ様に抱きしめた咲耶は・・・言葉とは裏腹に、その温もりを桜の花びらにして散らそうとはしなかった。

咲耶は・・かつて空海がまだ年若く、真魚という幼名で呼ばれていた頃に愛し合った桜の精霊との間に産み落とされた子・・。

そして・・父であるはずの真魚を誰よりも愛し、愛されたいが故に・・母である精霊の力を借り、真魚が心の奥底で望んでいた理想の姿かたちを手に入れた。

・・が、それは結果として母である精霊の命を縮め・・奪ってしまった。

そして・・真魚もまた、娘である咲耶を妻であった桜の精霊よりも・・他の誰よりも・・大切な、かけがえのない者として・・愛してしまったのだ。

それは二重の禁忌であり、母であり、妻であった者を犠牲にして得た・・決して許される事のない罪・・。

それ故に・・咲耶は自ら望んで人の情を捨て、この地を守る結界の要として高野を・・・ひいては真魚の願いを守り、その生まれ変わりを待ち続けていたのだ・・。

例えそれが自らを桜の木に変える結果になろうとも・・それでも、もう一度会いたかったのだ・・同じ魂を持つという、生まれ変わりに・・。

『・・・もう、待つのは疲れました・・。綜馬は真魚であって真魚ではない・・あなたは・・もう、何処にも居ないのだから・・』

悲しいほどに静かな咲耶の心の声が、異界の中に染み渡っていった・・。







「なんや、まだ起きとったんか・・?」

宿坊の部屋へと戻った綜馬が、部屋の窓枠に寄りかかって考え込んでいる風の巽に声をかける。

「・・・ああ、父さんがオレに残していった言葉を考えていた・・・」

深いため息をつきながら答えた巽のすぐ側にドカッと座り込み、壁にもたれかかった綜馬も小さくため息をつく。

「・・たしか、自分の力を信じて幸せだった頃のことを思い出せ・・やったか・・?」

「・・ああ・・・」

「な、聞いていいか・・?お前の父親・・って、何もんや?じいさんの口ぶりでは、かなり昔の事らしかったけど・・星見の能力でもあったんかいな?」

チラッ・・と巽に視線を投げて、綜馬が問う。

「・・いや、星見より上・・夢見の能力者だった。それも桁違いに能力が高くて、過去も未来も見通していた・・と、聞いている・・」

「聞いている・・?なんやそれ?確か・・お前5歳までは一緒におったんとちゃうんか?北欧の・・何て言うとったっけ・・?」

「アイスランド・・。父さんは、オレに対してそんな力を見せた事はなかったから・・どちらかというと、母さんの方が・・」

「母さん・・!?その、オーディンの指輪をうけついどった一族の末裔・・やったっけ?母親も能力者やったんか!?」

ギュッ・・と服の上から首に下げたロケットを握り締めた巽が白く明け始めた夜空を仰ぐ。

「ウィザード(魔法使い)・・もしくはドルイド(賢者)・・そう呼ばれていた能力者だった・・」

「ウィザード・・?ってあれかいな?何やマント羽織って杖持ったイメージの・・?」

綜馬の言葉に、巽が苦笑をもらす。

「いや、それは大昔のイメージだろ・・?母さんは・・ただ、自然の中に居る精霊・・シルフィード(風の精霊)・ウィンディーネ(水の精霊)・サラマンダー(火の精霊)・ノーム(地の精霊)の存在をオレに教えて・・その力の使い方を教えてくれた・・」

怪訝な表情になった綜馬が巽を振り返る。

「お前・・そんな力使ったことあったけ・・?」

「・・・いや。ルーンだけでも「客神の力」だなんだとうるさいんだ。鳳の分家連中の買いたくもない反感を増徴させるからな・・」

「・・そうか・・そっちはそっちでいろいろ大変なんやな・・」

これまでにも、鳳の中での巽の微妙な立場・・を感じずにはいられない雰囲気や言動を目の当たりにしてきた綜馬だけに・・語尾が濁る。

「・・それはお互い様だろう?悪かったな、お前まで巻き込んでしまって・・」

「巻き込む・・?なに言うてんねん?オレは自分の意思でここへみことを連れて来たし、オレがみことを連れてこなんだらこんな事にもなってへん・・!謝らなあかんのはこっちの方や・・!」

キッと、巽を見返す綜馬の瞳の奥底で・・みことに対する呵責と大僧正をみすみす傷つけてしまった悔しさが炎のように揺らめいている。

「ま・・今更そんな事言うたかてしゃーないか・・。問題はみことをこっちに連れ戻す方法や・・」

「・・ああ・・」

互いに視線を落として考え込んだ二人の間を・・長い沈黙の時が流れていく。

先に口を開いたのは巽だった。

「なあ、綜馬・・?オレにしかないもの・・ってなんだ?」

「・・へ?巽にしかないもの?そりゃ・・お前、巽っていう名前やろ?その名前で呼ばれるお前はお前一人・・やからな。辻 綜馬っちゅう奴がオレ一人なんと同じや・・」

言ってから・・綜馬がハッと、巽を仰ぎ見た。

「・・・?なんだ!?」

綜馬と視線を合わせた巽が、訝しげに眉根を寄せる。

その巽に、綜馬が勢い込んで言い募る。

「巽・・・!その字・・な、易(えき)でいうたら「そん」て読むねん。「そん」は風のことや。風は寒暖の差異を調節し、どんな遠くへでも吹いていき、どんな小さな隙間にでも入り込み・・吹き抜けていく・・。
その上、巽の方角いうたら東南・・。鳳に憑いとる朱雀は「南」を表し、「東」は青龍や・・!柳っちゅう奴が龍脈を使たんなら、そいつは青龍・・!お前の名前、その両方を扱える者として付けられたんやないか・・!?」

「オレが・・?柳を扱えると・・?」

「せや!「柳」っちゅう名前には、魔と聖の間に立つもの、その境目・・言う意味がある。その柳を揺らすんは「風」、もう一つあんで!
四聖獣でいうところの朱雀は「火」青龍は「水」玄武は「土」そして、白虎は「風」・・!つまり、みこととお前は「風」で繋がってる!」

「風・・!?」

巽もハッとした様に綜馬を見据える。

「みことと繋がってるもん・・もう一つある・・!高野の真の主、咲耶姫・・!咲耶姫もみことと同じく桜の半精霊なんや。咲耶姫とお前が力をあわせれば、みことをこっちに呼び戻せるかもしれへん・・!」

「咲耶姫も・・!?どこにいるんだ?その人は!?」

寄りかかっていた窓枠から弾かれたように体を離し、綜馬の座るすぐ横ににじり寄った巽に・・綜馬がいかにも罰が悪そうに頭を掻く。

「・・・それなんやけどな、悪い!オレ・・あのお姫さんを怒らしてしもたから、そこへ行ける異界への入り口・・閉じられてしもて、今行かれへん・・」

「怒らす・・?!何をしたんだ?お前・・?」

「・・ン?たいした事やないと思うんやけどなぁ・・。ただ、オレをオレとして見て欲しかったんや。空海僧正の身代わりやのうて、辻 綜馬としてな。そう言うてきただけやねんけど・・やっぱ、オレは身代わりやった・・ちゅうことなんやろな・・」

「・・綜馬・・?」

ハハ・・と力なく笑った綜馬が、巽を静かな瞳で見つめ返す。

「こんな事くらいでしょげとったら、みことの奴に笑われてまうわ・・。オレは・・守りたい物を守り抜く・・!巽、みことはお前を守ると・・そう決めたからこそ過去へ行ったんやと思う。
お前も、本気でみことを取り戻したいなら、何があってもみことを守れ!その気持ちがあれば、みことを連れ戻せるはずやと思う・・!」

「オレに・・守れるのか・・?今まで何一つまともに守れなかったこのオレに・・?」

「何言うとん?あの鬼と戦った時、お前はみことの手を?んできっちり守っとったやないか!死のうとしてた奴をその手で?んで引き戻した以上、最後まで責任もったらなな!中途半端はされるだけ迷惑や!・・そうやろ?」

灰青色の瞳を見開いて綜馬の言葉を聞いていた巽の顔にも、静かな笑顔が浮かぶ・・。

「・・ああ、そうだな・・。オレはあの時、みことを引き戻した・・。その手を離す気も失う気もさらさらない!!」

いい切った巽の背後から、朝日の輝きが昇り始める・・。

その朝日にも呑まれることなく強い輝きを放つ星・・「明けの明星」が、一際大きく瞬いていた・・。




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