ACT 34




瞳の色と髪の長さの違いを除けば、その顔と声音はやはり巽のもので・・その柳に面と向かって

『巽など知らない』

という言葉を吐くことは、みことにとって想像以上に辛く苦しい事だった・・。

「・・・う・・どうして・・言わなきゃいけないんです!?僕は・・僕は、あなたなんて知らない!!知らない・・っ!!」

逃れられない紫色の瞳には、嘘など許されない強い呪力が込められていて・・みことの意志の強さを試すかのように深く、鋭く心の奥底を見透かしてくる。

「私ではない!『巽』のほうだ・・!」

柳が氷のように冷たい声と共に、みことの顔を掴んでいた手で矢傷のある方の右肩をグッと、押さえつける・・!

「ウアァァッ・・!!・・い・・やだ・・!僕が知らないのは・・あなたの・・ほう・・だ・・っ!!」

例え・・自分がどんな目にあおうとも、例え・・巽自身から自分の記憶が無くなってしまっても、それでも・・巽を思う気持ちを失いたくはない!

だから・・嘘でも『巽など知らない』という言葉をみことは口にしたくなかった。

柳の強力な呪力を撥ね付けたみことに・・柳があきらめたように押さえつけていた両肩を離す。

みことの痛みから解放された安堵のため息と同時に、二人の背後から慌てたような声がかけられた。

「柳様!?今の悲鳴は・・?一体何ごとで・・!?」

先ほどみことが上げた悲鳴を聞きつけたらしき聖が、庭先の門から駆け寄ってくる。

「聖か・・丁度良い。この者の傷の手当てを頼む・・。今ので塞がりかけていた傷口が再び開いているであろうからな・・」

聖の方を振り返りもせずにそう言うと、柳がおもむろに倒れこんでいたみことの体を支えあげるように抱き起こす。

「・・っつ!・・くぅ・・っ」

思わず呻き声を上げつつ上半身を起こしたみことの耳もとで、柳が囁くように言った。

「・・私を知らぬというなら、これから嫌というほど教えてやろう、みこと。お前が『巽』を本当の意味で忘れ去り、『知らぬ』と言えるほどに・・」

「・・!?」

弾かれたように柳を仰ぎ見たみことに、柳が不敵な笑みを返しながら言い切った。

「人の心ほど移ろいやすくもろいものはない。私がお前のその硬い口、開かせてやろう。先の事を知るもまた一興・・いい退屈しのぎになりそうだ・・」

「柳様・・・?」

その会話の意味を図りかねた聖が、困惑顔で柳とみことを見つめている。

そして・・聖と呼ばれた男の顔を視界に捉えたみことが、思わず口走っていた。

「え・・!?御影せんせ・・!?」

言いかけたみことが慌てたように口を押え、しまった!という表情で顔を伏せる。

・・が、時すでに遅く・・柳の目と耳がそのみことの驚愕の表情と呟きをしっかりと見聞きしてしまっていた。

「・・ほう?お前・・聖と会うは初めてのはずだが、なぜ典薬頭(てんやくのかみ)たる御影の名を知っている?聖もまた『巽』とか言う者に関わり合いがあるのか・・?」

「・・・・・・」

顔を伏せたまま・・黙り込んだみことの様子に、柳がククッ・・と背筋にゾクッと寒気が走るようなくぐもった笑い声をもらす。

「・・言えぬであろうな。その『巽』という者が大事であればあるほど・・。言ってしまえばお前の大事な『巽』がお前の知る『巽』ではなくなるやもしれぬ・・・。だが・・」

ツッ・・と再びみことの顔を無理やり上向かせた柳が、宣言するように言い放った。

「私が必ずその事聞きだしてやろう。お前にとっての大事な者・・どれほどのものか・・楽しみだな・・?」

いかにも楽しげに言う柳に、みことが無言で強い意思を込めて睨み返す。

「・・いい目だな。やはりその銀色の目ほど美しい物を私は知らぬ・・」

そう言い残し、柳があざける様な高笑いを響かせながら屋敷の奥へと姿を消した。

唇を噛み締めて柳の消えた廊下の角を睨みつけているみことに、聖が声をかける。

「・・あなたが紫水の言っていたみこと、ですね?知識の上では見知っていましたが・・本当に珍しい体質ですね。生まれつき色というものを持たぬとは・・」

ハッとしたみことが聖を振り返る。

改めて見るその顔は・・烏帽子をかぶり平安時代の服装であることと漂う雰囲気こそ違えど、やはり眼鏡のない聖治と瓜二つ・・。

「あの・・あなたは・・・?」

「申し遅れました。私は代々侍医として鳳家に仕えてきた一族、御影の当主で・・名を聖と言います。今は柳様にお仕えする者・・。それより、肩の傷の手当てを・・」

勝手知ったる屋敷の中・・・のようで、素早く部屋の片隅から薬箱らしき物を持ってきた聖が、慣れた手つきでみことの傷を手当てする。

その手つきといい、傷口を見る時の真剣な表情といい・・聖治にそっくりそのままだ・・。

「・・・少しだけ開いただけですんでいます。それにしても・・よくあの柳様に逆らえましたね?あの瞳に捕らえられて自分を保てるなど・・空海僧正以外では初めてです・・」

「・・!?空海・・僧正って、あの、空海さん!?」

高野山開祖・・『空海』・・確か、柳を追って龍脈へ来た綜馬に『空海の生まれかわり・・』と、柳が言っていなかったか?みことがおぼろげな記憶を必死にたどる。

「空海僧正を親しく知っているのですか?」

高名な空海をさんづけにして呼ぶみことに、聖が目を丸くする。

「え・・!?い、いえ!そうじゃないんです!全然知らないんですけど・・名前だけ聞いたことがあって・・・つい・・。
あのっ!それで、その空海僧正と柳さんはお知り合いなんですか?今、空海僧正はどこに・・?」

「柳様と共に鬼封じに行かれて・・まだお戻りではないご様子。恐らくは鬼を追って未だ紀伊の国にいらっしゃると思うのですが・・・それが?」

「鬼封じ!?じゃ、鬼を封じたのは柳さんだけじゃなく、空海僧正も一緒に・・!?」

叫んだみことの脳裏に、いつだったか・・雨の夜に出会った柳に言われた言葉が鮮やかに甦る。

『・・私の交わした契約を見届けた者・・望まずともその結果を見届ける運命の者が・・』

「あれって・・・空海僧正のことだったんだ・・!じゃ、やっぱり綜馬さんは空海僧正の生まれかわり・・・ってことに!」

ブツブツと・・独り言を呟くみことに、聖が訝しげに眉根を寄せる。

「・・・一体、あなたは何者なのですか?柳様や空海僧正とどういう関係があるのです?」

「え・・!?あ、いえ!全然何の関係もないんです!え・・っと、なんて言ったらいいのかな・・・・」

説明のし様がないことである上、聖にも関わりのあることだけに・・どう言い訳していいのやら・・みことが心底困りきった様子でうろたえる。

「・・・聖様、みこと様はここへ来られるまでの記憶がないのです・・」

聖の後ろからいきなり聞こえてきた声に、二人が同時に驚いて振り返る。

そこに立っていたのは、にこやかな笑顔を湛えた紫水だった。

「紫水・・!それはどういうことで・・?」

「みこと様はその異形のお姿から鬼と間違われて里人に追われ、深い谷底へ落ち、心と体に深い傷を負いました。その時の衝撃のせいで自分の名前以外、何も思い出せないようなのです・・」

痛々しげな表情になって、みことを見つめる紫水の様子に・・聖が納得がいったように大きく頷き返す。

「ああ・・!それでしたらよくあること・・。まずはゆっくりと傷を治してよく休む事です。無理に思い出そうとせずに心の傷を癒せば、そのうち思い出してくるはずです」

宮中で薬師としての任を司る典役頭たる、御影一族の当主だけに・・聖が医師らしい助言を吐く。

「あ・・・!は、はい!ありがとうございます・・。本当に何も覚えてなくて・・変な事ばかり言ってしまって・・」

聖に悟られぬよう、みことに目配せした紫水に・・みことが慌てて話をあわせる。

「では、私はこれで・・。鳳家からの呼び出しに出向く途中だったものですから・・」

そう言って、聖はみことと紫水に一礼を返し屋敷を後にした。

「ありがとうございます・・!紫水さん!どう説明したらいいのか分からなくて・・困ってたんです!本当にありがとうございました!」

聖の後姿が見えなくなるまで見送ったみことが、心底ほっとした表情になって紫水に深々と頭を下げて礼を言う。

「いいえ・・ああでも言っておかないと、聖様もあれでなかなか疑り深い方なものですから・・それに、柳様の事も・・どうかお許し下さい・・柳様は人間らしい感情というものをご自身で封じて生きてこられました。ですから・・みこと様に対する感情をまだご自身で理解なさっていない・・」

「え・・?僕に対する感情・・って?」

きょとんとした顔つきになったみことの真正面に座った紫水が、真面目な顔で言い切った。

「柳様は、みこと様・・あなたの事が好きになられたのですよ」



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