ACT 35
「・・へ!?」
みことが一瞬、何を言われたのか分からなくて絶句する。
「柳様のあなたに対する言動は、全て『巽』という方に対する嫉妬です。今まで柳様を前にして、あそこまで自我を保ち反発するなど・・誰にも出来なかった事。
それだけあなたの『巽』に対する思いが強いのでしょうが・・柳様はその想いを自分に向けさせて見せると、そう言っておられた・・」
「・・う・・そ・・!あれって、そういう意味で・・!?」
みことからしてみれば、柳の態度はどう見ても・・思うままにならないオモチャを痛めつけて言う事を聞かせたがっている・・そしてそれを楽しんでいるかのようにしか思えない。
「でも・・!それじゃまるで・・まるっきり・・子供と同じ・・!」
呆然として呟くみことに、紫水が深いため息をもらす・・。
「そうなのです・・。柳様は今まで人間の心を思うままに操り、支配する術でしか人間と接していません。ですから、あなたの様にその術の通用しない者に対しては、子供と同じ反応しか出来ないのだと思います。そして・・それ故にその心も純粋で傷つきやすい。どうしてそれが・・みこと様、あなただったのでしょう・・」
紫水の表情がやりきれないように微妙に歪む・・。
同じ時の中を生きるもの同士であったなら、紫水はどんな手段を講じてでもみことをこの場に・・柳の側に据え置いていただろう・・。
けれどそれは・・違う時の中を生きるもの同士には最大の禁忌。
みことが違う時の流れの中に居続ける事は、この世の全ての存在に何らかの悪影響を生じさせてしまうはずで・・みことに関わった全ての物が消滅する危険性もはらんでいる。
それを食い止めるには、みことを在るべき時の流れの中に戻すか・・・もしくは、今、この場で、その影響力がまだ弱いうちに・・殺す・・!このどちらかしかない。
けれど・・既にみことは鬼として多くの人間にその存在を知られ、柳の心に特別な者として位置づけられてしまっている・・。
もう・・こうなっては殺す事は逆に違う影響を生じさせてしまうはずで・・一刻も早く、みことを在るべき時の流れの中に戻す以外になかった。
「みこと様・・あなたもこれ以上自分の事を他の者に話さぬよう気を付けてください。私も、もとの世界に帰れる方法を全力で探して参りますので・・・!」
新たな決意を秘めて一礼を返した紫水がフッ・・と、掻き消えた。
「・・・御崎さん・・じゃないや、紫水さん・・本当に柳さんのことが大切なんだ・・。美園さんに対してもそうだったし・・それに、もの凄く親切なとこも全然変わってない・・」
鳳家の現当主、鳳 美園と御崎の事を思い起こしたみことの顔が引き締まる。
もう一度会いたい人たちがたくさん居る・・そして、一番会いたい人・・巽のもとへ巽を守れるだけの何かを得て帰らなければ・・!
フッ・・と、吹き抜けた風が・・そのみことの想いを乗せて運ぶかのようにはるか彼方へ駆け上っていった・・。
その頃・・単身、鬼を追う真魚が、苦渋の表情を浮かべていた。
闇の妖しと同化したらしきもう一人の異形の人間・・。
地元の漁師や里人からの話を聞くにおよび・・その人間が遠い異国から海を渡ってやってきた漂流者であろうという見当がついていた。
みことの時と同じく・・そのただの人間であったものを追い詰め、闇の妖しを呼び寄せてしまった原因・・次々と切り捨てられた無残な死体となっていく、自業自得としかいいようのない・・人間だ。
罪なき者を追い詰め、鬼でなかったはずの者を鬼へと変貌させてしまう・・人間の心の奥底に潜む鬼・・。
「人の心から生まれ出たものは、人の心でなければ調伏もできぬであろうな・・」
鬼によって殺された者達の墓の前で、真魚がギリッと唇を噛み締める。
まるで真魚をあざ笑うかのように・・鬼は村人を襲い、切り刻み、食らっていった。
鬼を追う真魚がその場に駆けつける直前、その姿は掻き消えて・・後を追う事すら叶わない・・そんな事が繰り返されていたのだ。
ただの鬼ではない・・・その思いが日々、真魚の中で確信に変わりつつあった。
みことによって満開の花を咲かせた桜の花吹雪が、風に乗って舞い落ちてきて・・さながら雪のように墓の上に降り積もる。
「・・・この地にとって、桜は特別なもの。あの鬼にとっても、鬼になる直前・・最後に見た人間としての感情のかけらとも言うべき特別なもの・・」
鈴を転がしたかのような可憐な声に、真魚がハッと振り返る。
すぐ側にあった桜の大木・・その桜の枝の上に、千波が座って真魚を見下ろしていた。
「そなたは・・!確か千波という名の・・!」
「あなたではあの鬼は封じられない・・。あれを封じられるのは、あの者の背負った呪縛を果たせる者のみ・・」
少女とは思えぬ迫力と威厳に満ちた声音で、千波が真魚に告げる。
「呪縛・・!?あの鬼!ただの鬼ではあるまい!一体・・何者なのだ?そなたも、あの鬼も・・!?」
桜の木の根元に駆け寄った真魚が言い募る。
「あれは・・大昔に滅びねばならなかったはずの神・・いえ、既に邪神というにふさわしい存在に成り果てたものと、契約という呪縛を交わした異国の民・・」
「契約・・!?何を交わしたのだ?その異国の人間は・・!」
「・・邪神の力を受け入れられるだけの容れ物・・つまりは、神と同等の力を使いこなす力を秘めた人間を見つけ出し、邪神に捧げる事・・」
「神と同等の力を使う・・?」
呟いた真魚の表情がサッと一変する。
そんな力を持つ存在・・そして、それでも人間である存在・・真魚の知る限りそれはたった一人しか居ない・・!
「ま・・さか・・!柳!?柳を狙ってここへ来たのか?あの異国の民は!?」
青ざめた表情の真魚に、千波が黙って頷き返す。
「あの者は、邪神に永遠の命と若さを願った・・そしてその代償として入れ物となる人間を見つけ出す呪縛を受けた。その呪縛を果たさぬ限り、あの者の魂は永遠に呪縛されたまま果てる事はない・・」
「な・・!?では、柳を邪神に捧げぬ限り、あの鬼と化した者を封じられぬと・・そう言うのか!?」
「例え鬼を封じられても、容れ物を手に入れた邪神は封じられない。そしてそれはこの国自体を滅ぼしかねない結果を招く・・」
千波の静かな、ただ真実のみを語る声が真魚の上に降り注ぐ。
それが嘘でもまやかしでもなく、真実なのだと・・見つめる千波の澄んだ大きな瞳が雄弁に語っていた。
「それは・・つまりはどういうことなのだ!?」
千波の言わんとする先を分かっていて・・それでも否定して欲しくて真魚が悲痛な表情になって聞く。
「柳という者・・その者の心が邪神に呑み込まれれば、それは強大な力を持った邪神そのもの・・この地を礎にして、かつて滅んだ神の国を再び作り上げようとするでしょう。全ての人間を排除して、かつては神と呼ばれた破壊と死のみをその糧とする邪神の国を・・」
「封じられぬのか!?その邪神を・・!」
「人の心に入り込んだ物は、人の心によってしか封じられぬ。柳なる者の心しだい。その者に邪神に打ち勝つだけの大切な・・守りたい物があるなら、封じる事も滅する事も出来るでしょう・・」
「柳の心しだい・・?柳の守りたい物・・?」
呟いた真魚が、大きくかぶりを振って拳を握り締める。
「まだだ・・!まだ今の柳にはそれがない!今、柳とその鬼・・会わせるわけにはいかぬ!絶対に・・!!」
「あなたは・・その柳という者を守りたいのですか?」
「守りたい!私は・・柳を放っておけぬ・・身勝手でも、うぬぼれでも構わぬから柳を友として守りたいのだ!人として・・ただの友として・・!」
握り締めていた真魚の拳の上に、はらりと桜の花びらが舞い落ちる・・。
その花びらをギュッと握りこみ、厳しい顔つきになった真魚に・・千波がフワッと木の上から舞い降りて、その握りこんだ手にそっと触れた。
「・・っ!?」
ハッと顔を上げた真魚の間近に・・千波の人とは思えぬ澄んだ、何もかもを見透かしているかのような瞳があった。
「なぜ・・人として一番大事なものから目を背ける?あなたが背負うべき運命は柳ではない・・・」
「な・・にっ!?」
「あなたが背負うべきはこの桜・・。この地を守り、人の心を狂わせ魅了する・・この桜の心・・」
絶句した真魚が、瞬きを忘れて千波の澄んだ瞳を凝視した。