ACT 36
その瞳は・・真魚が柳以外に告げた事のない、咲耶への想いと犯した禁忌を・・全て見透かす瞳。
「な・・ぜ!?なぜ、知っている!?何者だ!?お主・・!?」
触れていた手から離れ・・千波が降りしきる桜の花びらを手の平で受け止める。
「ここから遙かに遠い地にも、この桜と同じく人の心のよりどころとなる木を持つ国がある・・私はその国の全ての運命を読み解く者・・。
この地にあの者が関わった以上、それに関わる者の運命もまた読み解ける。あなたが柳を守るというのなら、一体誰が桜の心を背負うというのです?人間一人が背負える心はそれに見合った一人のはず・・。
二人分の重み背負うというのなら、その代償は人の短い一生では背負いきれぬほどに重い・・。あなたに桜が捨てられるのですか?」
スッ・・と、真魚の目の前に突き出された千波の手の平から、はらはらと桜の花びらがこぼれ落ちる・・。
それを蒼白な面持ちで見つめていた真魚が、耐え切れなくなったように視線をそらした。
「・・・できぬ。咲耶を思う気持ちを捨てられはせぬ・・!たとえ・・触れる事叶わぬとしても、他の誰かに触れられる事思うだけで煮えたぎる心の闇を抑えることができぬ・・!
だが、柳も・・別な意味で捨てられぬ・・!私の命で足らぬなら、他に何が必要だ!?どうすれば咲耶と柳を守れる・・!?」
やりきれない思いをぶつけるように、真魚が膝を付いて地面に拳を叩きつける。
本当は・・言われるまでもなく、分かっていた。
人が何かを守ろうとするなら、それは自分の命をかけて背負わねば叶わぬ事。
二人分の重荷を背負うなど・・とうてい不可能な事も。
だから俗世を捨て、その不可能を可能にするべく仏の道に望みをかけたのだ。
それなのに・・!
最後の望みを託して渡った唐の国にも、その答えは無く・・ただ、己の身の小ささと大それた願いだという事実を思い知ったのみ。
「・・足らぬ命の分・・私に託す勇気はありますか?空海僧正?」
一転して、その容姿に似合った声音になった千波に・・真魚がハッと、顔を上げる。
そこに・・白銀に輝くつややかな毛並みに燃えるような金色の瞳の白虎と、その背に乗って微笑んでいる千波が居た。
「・・っ!?託す・・!?どういうことだ!?」
「もしも二人を守り抜きたいのなら、空海僧正一代の命では到底不可能・・。それに見合うだけの命を囲わなければなりません。そしてその命を吸い上げ、吸収し私に託す勇気があるなら・・私が足らぬ命の重さ分の命・・宿す事ができるでしょう」
「宿す・・!?」
訝しげな表情になった真魚に、千波が微笑み返す。
「そう、柳を受け入れ、受け止めるだけの輝きを放つ命を・・。この地にとっても、あの鬼にとっても特別な・・桜の子を・・!」
「っ!?桜の子・・!?だと!?」
思わず詰め寄った真魚をけん制する様に、白虎が威嚇の声を上げて身を乗り出す。
『下がれ!人間!!桜の子宿すという事がいかなる意味を持つことか・・よもや知らぬわけではあるまい!?』
威厳に満ちた聖獣の声が、真魚の怒りにも似た感情を一喝する。
「し・・知っている!だからこそだ!桜の子生むという事は・・人間の子として宿すという事は、引き換えに生んだ者の命を消滅させる・・!それを承知で・・!?」
無言で微笑み返す千波に・・真魚がそれ以上問うことが出来ず、絶句する。
その・・何の迷いも無い笑みに、自分の犯した罪の重さを突きつけられたようで・・いたたまれなさに唇をかむ。
『禁忌を破ればその罪は、子々孫々背負わねばならぬ業となる・・お前がその礎を作り、それをその子が背負わねばならぬ。咲耶という名の桜の半精霊がな・・』
重々しい白虎の言葉に、真魚の体がビクリと震える。
その業という道理を知らぬ真魚ではない。
いつかは突きつけられる決して避けては通れぬもの・・背負わせたくなくば、全てを・・自らの手で葬り去り、その業を自分ひとりで背負えばいい・・。けれど、どんなに身勝手だと・・どんなに残酷だとののしられようと・・自分の全てをかけて愛した者に、生きていて欲しかった・・。
誰にも触れられぬ場所で・・ただ自分の事を思って・・生きていて欲しい・・。
それがどんなに浅ましく、身勝手か・・分かってはいても・・そう望んでしまう心を止められはしない・・!
「・・どう・・すればいいのだ・・?私が成さねばならぬ事、咲耶が背負わねばならぬ事とは・・何だ!?」
握り締めたままの真魚の拳から、爪によって傷つけられた一筋の血が滴り落ちる。
「・・ただ、待つことを・・」
静かに、微笑んだままの千波が言う。
「待つ・・!?」
「そう、あなたはここで待たねばなりません。柳が再びこの地に舞い戻るのを・・。そして、あの鬼と柳が交わす契約を見届けねばなりません・・。それにより、あなたは自分の成すべき事を知るでしょう」
「止められぬのか・・!?柳が鬼と出会うことを・・!」
叫んだ真魚に、白虎が咆哮を持って応える。
『これ以上何を望む!?全てはお前が望んだ事だ!身に余る欲深き願いと禁忌を犯した業・・!背負うべきは全てを見届けること!望まずともお前はそれを成さねばならぬ!』
咆哮とともに舞い上がった桜の花びらが・・一瞬にして白虎と千波の姿を覆い隠す。
刹那、ハッと目を見開いた真魚の視界から・・その姿が掻き消えていた・・。