ACT 39




次の日の朝・・・

一晩降り続いた霧雨も上がり、暖かな朝日が開け放たれたままの奥の寝所を照らす。

透かし模様の柳の葉が照らされた朝日にクッキリと浮かび上がり、その中に居る二人の影を覆い隠している。

庭に植えられた木の実を取り合う鳥達のさえずり声が清々しい朝の空気に響き渡り、みことの意識を覚醒させた。

目の前に、柳の安らかな寝顔があった。

「う・・わ・・・っ!?」

思わず叫びそうになった声を、みことが慌てて押し殺す。

その寝顔に・・その状況に・・みことの記憶が走馬灯のように甦った。

かつて・・巽がみことと初めて会った時、あの時も・・泣き疲れたみことが巽の腕の中で眠ってしまい、こんな風に目が覚めて自分の置かれた状況に驚いた経緯がある。

止めどなく流れていた涙もいつの間にか止まり・・巽と柳の両方に感じていた罪悪感も、その二人共を温める事が出来るのなら・・!という新たな思いで薄らいでいた。

その思いと、心地良い温もりに・・みことの顔が自然と緩み、クス・・と笑みが漏れた。

(あの時と同じだなぁ・・。あの時も、このままずっとこうしていたい・・ってそう思ったんだっけ。本当に柳さんって、巽さんそっくり。一体どっちが過去で未来なんだか・・分かんなくなっちゃいそう・・)

見つめる先にある柳の寝顔は、あの時見つめた巽の寝顔そのままだ。そして、やはりあの時と同じように、柳が唐突に目を開けた。

巽とは明らかに違う紫色の瞳を、目の前にいるみことを見た瞬間、心底驚いたように見開いて、

「・・・初めて見たな、お前の笑う顔を・・」

と、呟くように言った。

その言葉と共に、あの時とは違う状況がみことの目の前で起こった。

柳が、その紫色の瞳を細めて・・嬉しそうに笑ったのだ・・!

いつも、巽よりも何倍も鋭い瞳で周りを見下し、笑った事などありそうもなかった柳が、みことの目の前で目を奪われずにはいられない優しげな笑みを湛えている。

その笑みを見た瞬間、みことの心臓が跳ね上がっていた。

(は、反則だ・・!こんな優しい笑顔を見せるなんて・・!!)

真っ赤になった顔を、みことがハッと我にかえってうつむけようとしたが、

「もう一度笑って見せてくれ・・みこと」

そう言った柳が、みことの顔に両手をあてがって包み込み・・それを許さなかった。

「き、急に言われても・・!そんなの・・無理・・!」

「では、どうして笑っていたのだ?」

ふと真顔になった柳が、真剣な表情でみことに聞く。

「どうしてって・・・」

『巽』の事を思い出していたから・・などと言えるわけもなく。

思わず視線をそらしたみことに・・柳が包んでいた手を離した。

「・・・そういうことか」

呟くように言った柳がス・・ッとみことの身体を解き放ち、起き上がった。

「あ・・・」

心地の良い、その唯一確かだった居場所を失ったみことが、その空虚さに身を震わせて柳の背中を視線で追う。

「・・・後で聖を呼んでおく。傷を厭え・・」

振り返りもせずに御簾を押し上げて出て行く柳に

「あ・・まっ・・・」

思わず伸ばしかけた手を、みことが力なく脱力する。

柳を呼び止めて何が言えると言うのだろう・・

結局自分は柳に『巽』を重ねて見る事しか出来ず・・柳を傷つけるだけなのだ。

包まっていただけだった衣に傷を庇いながら袖を通したみことが、柳に触れられた背中に・・唇に・・その感触を思い出してドキンと心臓を跳ね上がらせた。

早くなった鼓動が温もりを失ったはずの身体に再び熱を呼び覚まし、体の芯を疼かせる。

(・・うわっ!思い出すな!!)

みことが慌てて自分の頬をパンッと叩いてその疼きを押さえ込む。

いくら見かけが幼くても、みことだとて18歳・・その疼きがどういう意味を持っていて、自分が何を求めてしまうか・・分からないはずもない。

ましてや、みことは桜杜の記憶にかけられていた呪のせいで、未遂とはいえ・・そういう意味で襲われた事も何度かあるのだ。

『巽』に海蛇の事件の時にキスされて、『巽』の事が好きなのだと自覚した時から・・そんな欲情を抱かなかったといえば嘘になる。

ただ・・『巽』はずっとみことを子ども扱いしていたし、そんな程度にしか見られていないという事も分かっていた・・。

だから、ただ側に居られれば良かった。

『巽』の声が聞け、その笑顔が見られればそれで幸せだったのだ。

それ以上のことを望むなんて自分には不相応だと・・言い聞かせて。

なのに・・!

柳は『巽』と同じ声で、同じ顔で・・みことの心の奥底に潜んでいた願望をいとも簡単に曝け出していく。

もっと自分に触れ、その名前を呼んでほしい。

もっと自分を必要とし、束縛して欲しい。

もっと近くでその温もりを感じていたい。

『巽』の前では決して求めなかった・・求められもしなかったもの・・・。

それを柳は何の躊躇もなく、みことに与えてくる。

それに・・いつまで自分は抗えるのか?

みことが跳ね上がった心臓を押さえ込むように、大きく深呼吸する。

(・・・巽さん!!)

声に出してはもう呼べないその名前を、みことが心の中で叫んでいた。










「・・・みこと!?」

叫んだ巽が、ガバッと跳ね起きた。

もう日が高く上り、明るくなった高野山の宿坊の一室で、巽と綜馬がそれぞれに倒れこむようにして眠っていた。

「・・・なんや?どないしたんや?巽?」

巽の声に同時に目を覚ました綜馬も、寝ぼけ眼で起き上がった。

「・・今、みことの声が聞こえた。オレを・・呼んでた・・!」

頭を抱え込んだ巽が、更にその声が聞こえないかと・・神経を研ぎ澄ます。

けれど・・もう、それ以上何も聞こえてはこなかった。

「くそっ・・!!確かに、みことの声だった・・!!」

「場所は!?どこからやったか見当つかへんか!?」

巽の顔を覗き込んだ綜馬に、巽が力なく首を横に振る。

「・・・わからない。ただ、遠かった・・。遙か彼方だ・・」

「そうか・・けど、声が聞こえたってことは、やっぱお前とみことはどこかで繋がってるってことや。早く見つけたらなな!みことは一人ぼっちやねんから・・!」

綜馬の一言に巽の表情がにわかに険しくなった。

そうなのだ・・。

巽の・・自分の周りには協力者が居てくれる・・。

けれど、みことには誰もいないはずなのだ。

頼るべき者もいない所で・・みことは自分の名を呼んでいた。

それは・・助けを求める声だとしか思えない。

何とかして早くみことを連れ戻す方法を見つけ出し、助けてやりたい・・!

早くしなければ・・何かが取り返しのつかないことになる・・!そんな予感をみことの声が巽に告げていた。

「綜馬、咲耶姫に会えないか?」

とにかく、みことと繋がる可能性のあるもの・・その中で確固たる存在を示すものは今のところ咲耶姫しかいない。

巽の真剣な眼差しに、綜馬も頷き返す。

「・・・今の状態ではオレには会ってくれへんやろうけど、お前になら会ってくれるかもしれへん。爺さんの容態を見て、話してかけてみるか?」

異界への門であった襖は、いまだ閉じられたままの状態だ。

そうなっては、唯一、咲耶姫とコンタクトを取れるのは、咲耶姫の目と口の代わりを果たす大僧正しかいない。

綜馬と巽が部屋を出ようとした時、スッと音もなく部屋の障子が引き開けられた。

「悪いけど、それはあきらめてもらうよ」

恐らくは徹夜で大僧正に付き添っていたのであろう・・少し疲れた顔色の聖治が立っていた。

「どういうことや!?爺さんになんかあったんか!?」

聖治の一言に、綜馬が色めき立つ。

「大丈夫、命に別状はないよ。ただ、もう歳が歳だけに抵抗力が弱くなってきてる。応急処置の設備のままのここに居たのでは感染症を併発しかねないんでね・・眠っている間に病院の方へ搬送させてもらったんだ」

「そうか・・えらい世話をかけてすまんかったな。お前も少し休めよ、御影。どうせ一睡もしてへんねやろ?」

気まずそうにしながらも礼を言い、綜馬が聖治の肩をポンと叩いてその横をすりぬけていく。

「綜馬!?どこへ行くんだ!?」

そのまま振り返りもせず玄関に向かっていく綜馬に、巽が慌てて問いかけた。

「爺さんがアカンとなると、やっぱ本人直々に聞くしかないやろ?せやから入り口開けてもらえるように頼んでくるわ・・」

「俺も一緒に・・!」

言いかけた巽を、顔だけ振り返った綜馬が意味ありげな笑みを浮かべて遮った。

「あほう。ちっとは気を使え!機嫌損ねて拗ねてる女をデートに誘うようなもんなんやで?」

「な・・!?」

唖然とした巽を残して、綜馬が宿坊を出て行った。

「・・へぇ」

呟いた聖治が口元に薄い笑みを浮かべ、まだ後を追おうとした巽の腕を掴んで止めた。

「気を使えって言ってただろう!?お前はそういう所が鈍いから始末におえない・・!」

聖治のその言葉に、ようやくと気がついた巽がムッとしながらその手を振り払う。

「・・鈍くて悪かったな!」

「そう怒るな。それより巽・・お前、召喚術は使えるのか?」

「召喚術・・!?」

眉根を寄せた巽が意外そうに聖治を見つめ返した。

それは巽の母方の一族から伝わる秘術だ。

今まで一度たりとも巽がその言葉を口にした事も、実際にこちらの国へ・・日本へ来てから使った事もない。

なのになぜ、今、聖治の口からそんな言葉が・・?

そんな巽の顔つきを見て取ったのか、聖治がクス・・と笑み返した。

「なぜそんな事を知っているのか?って顔だね。言っただろう?あの男が知りたくもないことまで教えて行ったとね・・。あの男の那月さんに対する執着は異常だったといっていい。だから那月さんが何をしようとしていたのか・・それも探っていたんだ」

「雅人さんが・・!?」

「そう・・だからよく考えろ。柳にはなく、お前だけが使える力・・。那月さんはお前にその力を思い出せと言ってるんじゃないのか・・?」

那月が大僧正に託したメッセージ・・・

(・・・自分の力を信じて、幸せだった頃を思い出せばいい・・・)

巽がハッとしたように灰青色の瞳を見開いた。

そうなのだ。

今はもう遠い記憶の彼方におぼろげにしか覚えていないが、自ら封じ込んで思い出さないようにしていた思い出の中に、その力を使う方法もあるはずなのだ。

「・・・ここは神域だ・・そういう術を試すにはうってつけの場所でもあるんじゃないのか?僕はクタクタなんでね、少し休ませてもらうよ・・」

そう言った聖治が部屋の中へ入ったかと思うと、ゴロッと座布団を枕にして寝入ってしまった。

「・・・聖治、ありがとう」

恐らくは一番思い出したくなかったはずの雅人との事を思い出して言ってくれた聖治の背中に、巽が心から礼を言い・・きびすを返して玄関へと向かっていった。




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