ACT 40




その頃、綜馬もまた再びあの襖の前に来て座していた。

その襖からは何の気配も感じられず・・咲耶が完全に異界との通路を絶っていることを如実に物語っていた。

その襖をジ・・ッと見つめていた綜馬が、おもむろに左耳のピアスに手を当てた。

「・・・ゲン!ちょっとばかし仕事を頼みたいんや。出てきてんか?」

キラ・・ッと銀色のピアスがその声に答えるかのように輝いた。

途端に綜馬の目の前に、手の平大の可愛い亀がフワンッと、現れる。

『初仕事ですね?なんでしょうか!綜馬さん!!』

と、嬉しそうなキーの高い子供っぽい声が亀の口から流れ出た。

『・・なんや、女泣かした尻拭いさせる気ぃか?』

と、低い声で流暢な関西弁調の尻尾の蛇が、首をヌゥッと伸ばして亀の顔のすぐ横で綜馬を睨んだ。

「・・・お前ら、言葉使いまで違うんか!?」

式神として契約した時、初めて亀の言葉が聞けた綜馬であったが、あの時は亀と蛇が同時に喋っていたので、その違いに気がついていなかった。

一瞬あっけにとられた綜馬であったが、フンッとばかりに蛇の方の首を掴み上げた。

『っぅぐ!なにさらす・・!?』

『そ、綜馬さん!?』

ブランッと、逆さまにひっくり返された亀の手足がバタバタと空をかく。

「主であるオレに対してええ根性しとるやないかい?ええ?ブン!」

『ブ、ブンやて?そないなダサイ名前・・誰や!?まさか・・!?』

「お・ま・え!二つに分かれてるんやったら名前も二つないとな。亀の方がゲンで、蛇のお前がブンや。文句は言わせへん!」

フフン・・と綜馬が意地悪い笑みを蛇に浴びせる。

『・・・主を選び損ねたわ!』

ムスッとした顔つきになったブンだったが、そこは式神である・・シブシブながらそう呼ばれることを納得した。

『あ、あのぅ、それで・・どんなお仕事なんでしょうか?』

ゲンがブラブラと垂れ下がったままの顔を捻じ曲げて、綜馬に問う。

「お前ら異界へ出入り出来るやんな?オレを連れて咲耶姫が居る所まで連れて行ってんか?」

手を離した綜馬の目の前に浮かび上がり、ゲンとブンが顔を見合わせた。

『あの・・今、咲耶姫の所へは行かない方が・・・』

『ああ、今行ったら・・綜馬、お前が・・・』

ゲンとブンが言葉を濁して綜馬を見上げる。

「・・?なんやねん?とにかく!オレは咲耶姫に会わなあかんねん。連れて行ってんか!」

フウ・・と互いにため息を吐いたゲンとブンが口を揃えて綜馬に言い放った。

『・・後悔しても知らぬぞ?望んだはお前自身・・!』

その声は、ゲンでもなくブンでもなく・・一番最初に綜馬が聞いた四聖獣『玄武』の威厳に満ちた声!

「玄武・・?!」

叫んだ綜馬の身体が、突然捻じ曲がったような軋みを訴えたかと思うと、奈落の底へ落ちていくようにその大地を失った・・!




ドサッ!!

突然放り出されたように綜馬の身体がゴツゴツとした物の上に転がる。

「いててて・・っ!」

思い切りぶつけまくった体のあちこちをさすりながら、綜馬が起き上がった。

目の前に、今まで見てきた異界とはまるで違う風景・・・

咲耶が居るあの異界である事は、漂う気配からいっても間違いがないはずだ。

だが。

その見渡す所一面に、まるで木の根のようなゴツゴツとした木肌が脈打つように蠢いている。

「な・・なんや!?これ・・!?おい、ゲン!いや、玄武!!ここはいったい・・!?」

言いかけた綜馬の視線がある一点に注がれた。

そこに・・蠢く木の根の中心に、銀色に輝く白い人影があった。

「ま・・さか!?咲耶・・?咲耶姫か!?」

まるで眠っているように倒れ伏したまま動かない咲耶に向かって、どこからともなく伸びて来る木の根が蠢き、その身体と溶け込むように繋がっていく。

ハッと我に返った綜馬が、すぐ横で浮いている亀・・玄武を掴んで言い募る。

「おい!あれはなんや!?咲耶姫の身体が・・・」

『あれはこの地を守る桜の根。かつて空海がその礎を作りあげた、咲耶を核とした高野の結界・・・』

ゲンとブンが口を揃えて玄武の言葉を綜馬に伝えると、仕事は終わったとばかりに掻き消えた。

玄武はこの地を守る大地の守護聖獣。

青龍や朱雀、白虎のように・・そのありのままの姿で現れることは稀だ。

その意志と力を発動させる発露として、その分身ともいうべき小さな化身を人の世に放つ。

小さな、力なき姿をもって現れるため、秘められた真の力に気づく者も稀で・・式神として人に憑く事もまた皆無であったといっていい。

綜馬は、その我欲のない心根ゆえに玄武の力を惹き付け、知らず式神として従えていたのだ。

契約を交わした際に綜馬が見せた困惑は、その事を知らされたからであった。

「結界・・やと!?」

掻き消えた亀を捕らえていた両手を、綜馬がギュッと握り込む

とてつもなく嫌な予感が綜馬の背筋を駆け上がっていた。

その綜馬の予感を裏付けるかのように・・異界全体を脈打つように蠢いていた桜の根が、ドクンッと一際大きく波打ったかと思うと、咲耶の身体から眩しい光が放たれた。

その輝きに視界を奪われた綜馬が次に目を開けたとき、周りの光景は一変し、いつもの・・清涼な空気に包まれた異界が広がっていた。

いつも咲耶が居る白い布の向こうに、倒れ伏したまま動かない人影が透けて見えている。

「咲耶姫?!」

冷たい汗がにじむ手でその白い布をめくり上げた綜馬が、咲耶に駆け寄った。

まるで死んだように動かない咲耶の冷たい体・・・。

その身体を抱き起こした綜馬が咲耶の細い首筋に手を当てた。

微かではあるが、確かに脈打つ鼓動が感じられ・・綜馬がホッとしたように安堵のため息をもらした。

『・・・そ・・うま・・?』

ピクッと身じろいだ咲耶が、ハッとしたように閉じられたままの見えない瞳を自分の足先に向けた。

綜馬の手を借りつつ自力で上半身を起こし、震える手で自分の足があるであろう部分を、その輪郭を確かめるかのようになぞっていく。

その指先の下には、桜の根ではなく・・人としての足が確かに存在していた。

『・・・全ての準備は整ったのですね・・』

小さく呟いた咲耶の肩を、綜馬が掴んで自分の方に振り向かせた。

「どういう意味や?それに・・さっきのあの木の根はなんやったんや?あれはどこへ・・?!」

先ほどから感じている嫌な予感が綜馬を苛立たせていた。

何かが・・始まっている。

自分の力などでは到底抗えない・・何かの力・・。

それが何かを引き起こそうとしている。

綜馬の心の奥底で、何かが警鐘を鳴らしていた。

その綜馬の心を感じ取ったのか・・咲耶が静かな笑みをその顔に浮かべた。

『心配はいりません。・・・ただ、もうこの異界の存在が必要なくなっただけの事。綜馬、あなたに頼みたい事があるのですが・・・』

「頼みごと・・?」

今まで一度として咲耶の口から出たことのない言葉に、綜馬が一層眉間にシワを寄せた。

『もうじきこの異界は崩壊して閉じられ、外に出ることが出来なくなります。そうなる前に・・私をここから連れ出してください・・』

「な・・っ!?」

思いもかけない言葉に、綜馬がマジマジと咲耶の顔を見つめた。

その表情には、恐れも怯えもなく、ただ静かな笑みだけが浮かんでいる。

まるで・・何事かの固い決意を秘めたような、そんな静かな笑み。

綜馬の咲耶の肩を掴んだ両手に力がこもる。

咲耶をここから外へ連れ出してやりたい・・あの暖かな太陽の下に連れ出してやりたい・・!

それはずっと綜馬が望んできたことだ。

しかし。

何かが・・そうする事にこの上ない嫌な予感を感じさせていた。

連れ出すな・・!という声と、連れ出してやれ・・!という声が頭の中でせめぎあっている。

困惑と迷いの表情を浮かべた綜馬の背後で、染みのような黒い影が異界を蝕むように広がっていた。

すべてを呑み込み、すべてを無に帰す闇色の影。

呑み込まれれば、もう二度と逃れる事も抜け出す事も叶わない・・。

背後にジリジリとその影の存在を感じながら、綜馬は身動きできないでいた。

その綜馬の顔に、咲耶がソッと手を添えた。

『・・・私はあなたを苦しめることしか出来ないのですね・・。私は・・いったい、なんのために・・・』

そう呟いた咲耶の閉じられた瞳から、一筋の涙が伝う。

その涙に、綜馬がハッとしたように咲耶の身体を引き寄せた。

「・・・アホやな、俺。迷う必要なんかない・・俺は何があろうとあんたを守るってきめたんや。何があってもな・・!せやから、もう二度と泣かせへんで!」

叫んだ綜馬の姿が咲耶と共に掻き消え、異界が闇に呑み込まれていった。




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