王子とボディーガードとマジシャンと

 

 

 

ACT 11

 

 

 

 

「・・・もう一回だ!」

悔しげなアルの声と共に、カードをシャッフルする音が、高い天井から吊り下げられたシャンデリアを煌かせる

「・・・何回やったら気が済む!?」

あきれ果てた顔つきで、鮮やかな手つきでカードを切る北斗の眼前に、アルの少年に戻ったキラキラした真剣な瞳があった

 

 

 

航海は穏やかな天候にも恵まれて、快適に進んでいた

時間を忘れてのんびりと過ごす・・というコンセプトのもと作られたこの船には、それぞれの個室に時計というものがない

故に船内にある娯楽施設も、レストランも、バーも、24時間体制で常時いつでも利用が可能・・という、至れり尽くせりな豪華客船だ

仕事で乗船した時には、常に自分の仕事の時間の確認のため、腕時計を外したことがない北斗だったが、その時計は初日の日に、アルによって取り上げられてしまっていた

今回に限っては、アル本人が依頼人な上、個人で北斗を借り上げる・・などという仕事、北斗にしても今まで受けた事がない

その上、アルに怪我を負わせてしまったという負い目がある以上、あからさまに逆らうことが出来ない状況にあった

おかげで

マジシャン北斗として北斗を借り上げた・・という言葉そのままに

普通に受けた仕事の時の営業と何ら変わらないペースで、アルの眼前でテーブルマジックを披露する日々が連日続いていたのだ

今日も、午前中の営業の時とほぼ同じペースでカードを切り、マジックを披露している真っ最中だ

「同じ物をどんなに繰り返しても、見破られるようなヘマはしないぞ?」

アルの要求により、何度も同じマジックを披露させられていた北斗が、アルに一枚カードを選ばせる

「いいや・・!絶対見破ってやる・・!」

ライト・ブルーの瞳をキラキラと輝かせて、アルが完全に少年の顔つきに戻って北斗の指先を凝視している

その真剣な眼差しに、北斗がどれほどこみ上げてくる笑いを抑えるのに苦労しているか・・などということを、アルは微塵も勘付いていないと思われた

(・・・まったく!こいつは本当にギャップの激しい男だな・・!)

アルに気づかれないように、笑いを心の中で押し殺し、あきれた顔つきを演じたまま・・北斗が何度目かのマジックを披露する

アルの指定したカードを一瞬にしてカードの束の一番上に浮かび上がらせる・・という、スタンダードなカードマジック

その仕掛けを、アルはどうしても見破りたいらしい

子供の時間において、流れていく時間の速さは大人のそれの数倍

アルの少年のような瞳とその時間に・・・

いつしか北斗も、時を忘れてしまっている自分に気がついていた

もともと自分のマジックによって、大人が子供に還っていく瞳が・・笑うことを忘れた子供が笑うことを取り戻す瞬間が、生きがいだと思ってきた北斗である

いつもは冷たく、冷めた瞳のアルが、少年の頃そのままの輝く瞳に還っていく様を見ることが、嬉しくないはずもなく

もう、今日がいったい何日だとか、出港して何日たったとか・・・

そんな事すら気にならなくなっていた

それはつまり

アルと共に過ごす時間が、北斗にとっても楽しい時間である、ということの表れ・・・

ただ、ある問題を除いて・・だったが

 

 

 

一番最初にそれを見た時、北斗は言葉を失って・・思わず目をそらした

ブロンズ像のような輝きを放つ褐色の肌に浮かぶ、無数の傷跡

それは、過酷な環境下のもと生き抜いて来たのだろうことを推察させるに充分で

見ていることすら辛くなる代物・・であると同時に、その完璧ともいえる鍛え上げられた裸身から視線が外せなくなりそうだったからだ

「・・・醜いか?」

低く問いかけられたその言葉に、ハッと北斗が顔を上げる

躊躇する北斗を無理やりバスルームに引っ張りこんで、無造作に服を脱ぎ捨てた男が背中を向けたまま、そう言った

既にバスタブには湯が張られており、素足に触れる大理石の床が僅かに湿っている

「・・いや、そうじゃない。ただちょっと見慣れないので驚いただけだ・・・すまない」

自分のあからさまな反応が、アルの心を傷つけたであろうことは明白だ

北斗自身も、背中にある傷痕を見られて、目を背けられたら・・そう思うとやはりいい気持ちはしない

「なら、慣れろ。この身体に残る傷痕は、俺そのものだからな・・」

抑揚のない声音でそう言い放つと、アルが包帯を巻いたままの右腕をバスタブの縁に掲げ上げて、湯に浸かった

はずみで溢れた湯が北斗の足元を濡らし、沸きあがった蒸気と波立った湯面が、アルの裸体を曖昧に覆い隠す

一瞬、その傷痕さえも意図的に掘り込まれた彫像のようだと思ってしまった北斗が、曖昧になったその裸体に目を凝らす

「北斗、そこに椅子があるだろう?それに座って髪を洗ってくれないか?」

突然言い放たれた言葉に、目を凝らして何を見ようとしていたのか・・?!と思い至った北斗が、ブンブンと頭を振りながら顔を赤らめる

そう

バスルームに引っ張り込まれたのは、片腕が使えなくて洗えない髪や背中を洗ってくれ・・と頼まれたからなのだ

何かにつけて触れてくるアルだけに、身構えてしまっても当然なのだが・・そのはずの自分の方が目を凝らしていったい何を見ようとしているのか?!

知らずに意識してしまった事を心の中で否定しつつ・・言われたとおりに椅子を持って腰掛けた北斗が、改めて間近にその露わになっていた肩口の肌を見つめた

(・・・やっぱ、きれい・・だよな・・)

陽によく焼けた、褐色のブロンズ像のような滑らかな素肌

そこに刻まれた傷痕さえも、まるで芸術品のように思える

その素肌にかかる、このアンバランスなストレートの金髪

その髪の感触は、上質の絹糸のようにサラサラで、光沢と張りが際立っていた

ファハドが父親なら、その母親から受け継いだものなのだろうこの髪の美しさと肌の滑らかさ・・・

これだけ上質のものを生まれつき持っているとなれば・・その母親も上流階級に属する人間なのかもしれない・・という考えが北斗の脳裏を掠めていく

考えてみれば・・あの抜け目のないファハド国王である

若気の至り・・とはいえ、自分の種を考えもなしにばらまくようなヘマなどしないのではないか・・?

ふとよぎった考えを見透かすように・・アルのライトブルーの瞳が、髪を洗う北斗を見上げてきた

「・・・何を考えている?」

「え・・?い、いや、別に・・」

慌てて視線をそらした北斗に、アルがまるで試すように言葉を続ける

「俺の素性が気になるか?」

その問いに、北斗がふと、真顔になってアルを見下ろした

「・・聞けば答えられるような素性なのか?」

その答えに、アルの口元が意味ありげに上がった

「お前が今まで危ない橋を渡ってこれたのは、その勘の良さだな。俺にその答えを聞く気か?」

その上がった口元が、北斗に聞くことを躊躇させた

恐らく今問えば、アルは答えるつもりなのだろう

だが、それを聞いてしまったら・・なんだかとんでもないことに巻き込まれそうな・・そんな予感に眉間にシワが寄っ

それでなくとも、あの初日の日、アルが隠し持っていた全ての所持品を掠め取ったにもかかわらず、アルの身分や素性を示すものは何一つ出てこなかったのだ

それはつまり、それだけ用心深く隠さなければいけない素性か、もしくは・・・

本当にその身分を証明するものがない、素性自体を公に出来ない何らかの事情がある・・のどちらか

「・・いや、いい。ハサン王子が信頼を寄せるボディーガード・・それだけで十分だ」

そう答えた北斗に、アルの目が細まる

「勘の良いお前でもまだ気がついていなかったか?俺はもう、ハサンのボディーガードじゃない」

「・・?でも、契約を交わしているんだろう?」

「ああ。その契約を交わしたからこそ俺は今、ここに居る。」

「だったら・・・」

「ファハドの力を利用できる代わりに、奴の力になる・・それが基本契約だ。ハサンが正式に王位継承者となった今、ファハドにとって重要な問題は、北斗の存在を手にしたままでいられるかどうか・・・だからな」

・・・ッガタン!

思わず北斗が腰掛けていた椅子を勢い良く跳ね上げて、立ち上がった

「ちょっと待て!まさか・・お前、俺が国王と口論になることを・・!?そうなるように仕向けたとでも!?」

驚愕の色を帯びた北斗の瞳を見上げるアルの口元は、変わらず不敵な笑みを湛えていた

「俺が何をしたって?言ってみろ、北斗?」

「・・っこ・・の!」

国王に口論を仕掛けたのは北斗自身・・

そこにアルは何の介入もしてはいない

なにもかも、この男が仕組んだとおりの行動を取ってしまったのは・・他ならぬ自分なのだ

「・・・それで?お前はお前はこうして自由を手に入れたというわけか!?」

悔しげに泡だらけの両拳を握り締めて言い募った北斗に対し、アルが一瞬目を伏せる

「北斗・・おれは所詮、かごの鳥だ」

「え・・?」

意外な答えとアルのあきらめにも似た表情に、北斗の気勢が削がれる

「かごの中の鳥に許されていることは、ただ見守ることだけだ。だから・・・手に入れたいものも、かごの中に引き入れるしか術がなかった。俺は今、北斗のボディーガードとしてここに居る」

「俺の・・?!」

「言っただろう?俺の知らないところで死ぬことは許さない・・と。俺はようやく守りたいものを守れる場所に来れたんだ」

そう言ったアルが、左腕を伸ばして北斗の片腕を有無を言わさず引き寄せた

はずみでよろめいた北斗が、泡だらけの手を滑らせてアルの眼前に落ちる

「・・・俺が命に代えてもお前を守る。それとも、俺では役不足か?」

至近距離で、あの、堕ちて行きそうなライト・ブルーの瞳に見つめられ、低く、艶めいた声音で囁かれると・・途端に北斗の鼓動が跳ねる

いつもは冷たく、絶対零度の視線さえ放つその瞳に真摯な色を滲ませて、そんな言葉を囁かれて・・

いったい誰が逆らえるというのだろう?

「・・・髪、洗うんだろう?これじゃあ、洗えない」

問いかけられた答えの代わりにそう言った北斗を、アルが意外にもあっさりと手離した

そのまま、本当に髪と背中を流しただけで何事も無く浴室を後にした北斗が、ホッと胸をなでおろす

だが

本当の問題は、その先にあったのだ

 

 

 

 

「っ!?おい、ちょっ・・!」

クィーンサイズのベッドの片端に寄って横になろうとした北斗の身体を、アルが無造作に引き寄せた

「なんだ?ケガ人を睡眠不足にする気か?」

「・・は?」

「俺は同じ部屋に人の気配があると眠れない体質なんだ。唯一眠れる方法が・・・」

言いながら、アルが北斗の身体をケガをしていないほうの左腕でベッドの上に引き倒した

「っちょ・・・!!」

慌てて跳ね起きようとした北斗の身体をまるで抱き枕のように包み込み、包帯を巻いた右腕で上からその動きを封じてしまう

まさか、ケガをしているその腕を振り払うわけにもいかず・・一瞬、北斗が躊躇した隙に、アルが北斗の身体を僅かに身じろげる空間を残しただけで、抱き寄せてしまっていた

「おい!これのどこが唯一眠れる方法なんだ!?人の気配があると眠れないんだろうが!」

アルに、後ろ向きにすっぽりと抱き込まれた形の北斗が、顔だけを捻じ曲げて言い募る

「自分が居る以外の場所に人の気配があると・・・だ。こうして自分の腕の中で動きを封じていられれば、その気配を気にする必要もないだろう?」

「気配も何も、この部屋には俺とお前の二人しか居ないだろうが・・!」

何を言っているんだ!?とばかりに、北斗が下から腰に廻されたアルの左腕を剥ぎ取ろうともがいている

「・・こら、暴れるな。長年の習慣なんだ、仕方ないだろう?それに、ケガが治るまでは誓って何もしない。安心しろ。そうでなければもっと早くにお前をこのベッドに押し倒してる・・!」

確かに・・!

アルがその気なら、もうとっくに北斗は押し倒されてしまっているはず・・・

「・・・誓えるのか?」

剥ぎ取ろうともがいても、ビクともしないアルの腕に・・あきらめ顔で手を収め、北斗が身を固くして問いかける

「ああ、誓う。ケガが治るまで何もしない。ケガを負い目に思う理由をお前に与える気はないからな・・。それに、こうしていればお前が今どこで何をしているのかと、気にすることなく眠れそうだし・・・な」

「え・・?何を気にする・・って?」

「・・お前が噂の種をばら撒くことだ・・!」

「え・・?」

アルの言う噂の種が、今まで北斗が必要とあらば顧客の部屋まで出向き、危ない橋を渡ってきたことを指している事は疑いようがない

それを・・・この男は気にしていた?

「でも、よかった・・。まだ誰もお前の傷に触れていない・・という事が分かったからな」

北斗の髪に押し当てられていたアルの唇が、滑るように北斗のうなじに落ちる

「っ!?ちょ・・さっき誓うって言っただろう?!」

ビクンと身体を震わせた北斗が、身じろいで言い募る

「・・心配するな。ただ・・この背中を抱いていたいだけだ・・・」

その言葉どおり、うなじに落ちた唇は、その背にある傷痕の先に軽く触れるだけのキスを落とすに留まり、北斗の背中をアルが優しく包み込むように抱きなおす

「・・・っ!」

それは、北斗にとって苦痛と心地良さと・・・両方がせめぎあう、何ともいえない感覚だった

アルの胸の中は心地良く、守られている・・という安心感が北斗の中に湧き上がる

けれどもそれは、同時に背中の傷を意識させられる結果に繋がり・・その時感じた辛い思いや呵責の罪の意識をも甦らせてしまうのだ

そんな北斗の耳元に、アルの規則正しい寝息が聞こえてくる

・・・誰かが、自分の存在に安心し、眠りに落ちていく・・・

それは思いがけず、充足感を北斗にもたらしていた

大事なものを失ったあの日から、北斗は常に自分自身を切り売りして生きてきた

残された者達を守るために

そして自分の中の呵責の気持ちを、一時でも忘れるために

常に気を張って生きて行くことでしか、その存在を確かめる術がなかったのだ

なのに

今、背中に感じる温もりと、安心しきった寝息

それが、ただ、何もせずにここに居ればいい・・と、そう、身体に直に訴えてくる

その充足感と居たたまれなさ・・・

相反するどうしようもない感情に、北斗が苛まれていた

 

(・・・くそう!俺の方が眠れないじゃないか・・!!)

 

と・・・

 

 

 

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