ACT 15
・・・・・くぅ
と、自分の耳元で聞こえる微かな息遣いに・・・巽が目を覚ます
その巽の顔のすぐ側でイスに座ったままベッドの上に突っ伏して、まったく無防備に・・無邪気で幸せそうに眠っているみことの横顔があった
一瞬目を見張り、巽がその顔をマジマジと見つめる
こんな風に誰かの寝顔を間近に見ることなど・・幼い頃の遠い記憶にあるくらいなものだった
まるで絹糸のようにサラ・・ッと柔らかく流れる銀糸の髪
閉じられたまぶたを縁取る長いまつ毛も銀色に揺れている
まるで赤ん坊のように肌理の細かい透けるような雪白の肌
そこに華を添えるように存在するふっくらとした桜色の可愛らしい唇
天使というものが実在するなら、きっとこんな感じなのだろう・・そう思わせる無垢な寝顔・・・
けれど
そこには、この年頃の少年が醸し出す独特の色気が滲み
みことが天使などではなく、生きている生身の人間なのだと主張する
天使ならば触れられないが・・人間ならば触れられる・・触れてみたい・・
そう、思わせる危うさがその少年にはあった
人ならば誰しもが桜を見て感じる心のざわめき・・・
心せいて・・つい、その手を伸ばして触れずにはいられない魔性の色香
その衝動に勝てる者が、この桜を愛でる国にいったい何人居ると言うのだろう・・・
無意識に・・・巽の左手がみことの髪に触れる
思った以上に柔らかく、滑らかに指先を零れ落ちる銀糸の髪
しばらくその髪をもてあそんでいた指先が・・それだけでは治まらずそのほほを滑る
指先から伝わるみことの少し高めの体温
血の通った人間が持つ柔らかい暖かみ
滑った指先が・・みことの桜色の唇をなぞる
『・・・ぅ・・ん・・?』
その違和感に眉根を寄せたみことの表情に、巽がハッと我に返って手を離す
・・・と、同時に、みことが弾かれたように顔を上げた
『・・・あ・・!?お、おはようございます・・!って、もう夜ですね・・・鳳さんが目を覚ますのを待ってようと思ってたら、なんだか眠くなっちゃって・・・あの、体のほうは大丈夫ですか・・・?』
オロオロとしながらも・・心底心配そうに巽の表情を伺う
その様子は、眠っていた時の色香も何も吹き飛んで・・まるっきり幼い子供のようで・・・
そのギャップに思わず、巽の口元に笑みが浮かぶ
『お・・・鳳さん・・・?』
その笑みは、みことの心臓を跳ね上げるのに充分すぎて・・・真っ赤になって硬直する
が、次の瞬間その笑みが掻き消えて・・・巽の眉間に深いシワが刻まれた
『・・・その、鳳という名で呼ぶのはやめてくれないか?・・・あまり好きじゃない・・・』
天井に向って深いため息を吐き出し、不機嫌そうな声音で言う
『え!?あ・・ご、ごめんなさい・・!え・・と、じゃ・・・なんて・・・呼べば・・・?』
その声音に、跳ね上がった心臓もたちまち萎えて、みことがうつむき加減で恐る恐る巽に聞く
『・・・巽でいい・・』
その答えに、みことが大輪の花のような笑顔を浮かべた
『い、いいんですか?巽さんって呼んで?うわ・・っ!じゃ、僕の事はみことって呼び捨てで良いですから・・・!』
たったそれだけの事を嬉々として・・・ころころと表情を変えてみことが巽の一言一言に反応する
その百面相のように変わる表情とその仕草に・・・巽がこみ上げてくる笑いを何とか堪えて、ほころんでしまった口元を隠すように手で覆い、みことを見上げた
『・・・起きるのを待っていた・・って事は、なにか俺に用があるのか・・・?』
『あ・・・・は・・い・・・』
一転して、視線をそらしてうつむいたみことに・・・巽が上半身を無理やり起こす
『だ、大丈夫ですか!?』
慌てて巽の体に手を添えたみことの手の感触に・・・巽がハッと自由のきく左手でみことの手を掴んだ
『今のは・・・なんだ!?』
『あ・・・ご、ごめんなさい・・・!勝手に・・・・』
凄味の効いた巽の刺すような視線に・・・みことの体に震えが走る
身を縮こまらせて・・・真っ青になっているみことの様子に、巽が掴んでいた手を引き寄せた
『そう、怯えるな・・・なにも取って食いはしない・・・何をしようとしたのか聞いてるだけだ・・・』
そう言って、巽が震えるみことの頭をケガをしていない方の胸に押し付け・・その柔らかい髪を撫で付ける
驚いたように巽を見上げたみこと以上に・・・巽自身がその自分の行為に驚いていた
今までこんな風に人と触れ合おうなどと・・・考えた事も無ければした事など・・当然無い
そのはずが・・・
みことに関しては一番最初に会った時から、そんな事など想う間もなく・・・ごく自然にそうしてしまう・・・
(・・・・こいつが・・・みことが俺の理解を超えた行動や感情をぶつけてくるから・・・だからだ・・・!)
そう素早く自分の中で結論付けた巽が、見上げてきたみことと視線を合わせる
『・・・怒っているわけじゃない・・ただ聞いてるだけだ・・・』
その巽の言葉に、硬直していたみことの体がようやく緩む
それと同時に間近にある巽の微かに笑みすら浮かんだ表情と、撫で付けられる手の感触に・・・一気に体温が上昇する
慌てて顔をうつむけて、逃げようとするみことの頭を・・・巽がそれを拒むように撫で付ける指先に力を込めた
『・・・・温かいな・・・もう少し・・・こうしてていいか・・・?』
逃げを打ったみことの体温を・・・巽が思わず引き止める
自分がこんな行動を取るのは、みことのせいだ・・・と勝手に作り上げた逃げ道に逃げ込んで・・・
自分が本当は人の温もりに飢えていたのだ・・・という事実を覆い隠す
人の温もりを求めてはいけない状況
決して自分の感情を見せてはいけない環境
それが今の巽を作り上げてきたのだから・・・
フ・・ッと巽の手が緩んだ隙に、みことが慌てて体を離す
頭に血が上りすぎて・・・心臓が張り裂けそうなほど早鐘を打っている
それを深呼吸して何とか落ち着かせ・・・うつむいたまま、消え入るような声で言った
『本当にごめんなさい・・・あの・・ケガした所・・僕の力で少しは痛みが消えたら・・・って思って・・・つい、勝手に・・・・』
自分から勝手に離れた温かな体温と、その時気づいた体の変化に・・・一瞬、巽が眉をしかめる
それをチラッと盗み見たみことが、巽が自分の行為を不愉快に思っていると勘違いして・・・居たたまれなくなって席を立つ
『あ、あの・・もう、二度としません・・!ごめんなさい・・・!!』
深々と頭を下げると、逃げるように反転して駆け出した
『お・・・い!ちょっとま・・・ッ!』
思わずそれを追って手を伸ばした巽の体に、電流のような痛みが駆け抜け、さしもの巽もベッドの上に突っ伏した
『た・・・巽さん!?』
その異変にハッと振り返ったみことが慌ててベッドにかけ戻り、突っ伏した巽の顔を下から覗き込む
真っ青になって唇を噛み締めている巽に・・・みことが意を決したように顔を上げ、巽のケガに手をかざす
『・・・ごめんなさい・・・!』
ひとこと言い放って、にみことの風貌が幼い子供の顔つきから凛とした少年の物へと一変し、銀色の髪がフワッと揺らいで全身から桜色の輝きが放たれる
みことの手がケガに触れた途端、『バチッッ!!』という音と共に青白い閃光がほとばしった
『・・っくう・・・ッ!!』
巽の痛みに耐える呻き声が漏れると同時に、みことの輝きも一瞬にしてかき消える
『巽さん!?大丈夫ですか!?』
再び覗き込んだ巽の表情には、いまだ深い苦痛の色が浮かんでいて・・・巽がみことを上目使いに鋭く見据えた
『・・・浄化・・か・・・!お前、まだその力使いこなしていないな・・?そんな中途半端な状態で使うんじゃない・・・!今のは俺だから持ちこたえられたが、違う奴なら肩ごと消し飛んでる・・・!』
『え・・っ!?』
巽の言葉に、みことがペタン・・・と冷たいリノリウムの床に座り込む
『・・・多分、お前が今まで無意識に使っていたその力は、あくまで自己防衛本能・・・向けられた邪気に対して同じだけの浄化を行う程度のものだったはずだ・・・。だから、小さい邪気なら有効に作用する。だが、今の俺の体に残された邪気はそんなもんじゃない・・!』
ようやく治まった体の痺れと苦痛に・・・巽が突っ伏していた体を起こす
座り込んだみことが、カタカタと全身を震わせて・・・すがるような目で巽を見上げた
『そんなつもりじゃ・・なかった・・・僕は・・・ただ・・・』
『分かってる・・・。先に少しだけでもお前の力に触れていたから弾き返せた・・・それに・・・』
一転してフッと笑みを湛えた巽が、みことの頭を軽くポンポンと撫で付ける
ビクン・・ッと一瞬体を強張らせたみことが・・・撫で付けられた感触に唖然とした顔つきで巽を見返す
『・・・だから・・・そう、怯えるなと言っているだろう・・・?自分のやったことが悪いと思っているなら、少し協力しろ・・・このケガの痛み、お前ならもう少し何とかしてくれそうだ・・・』
『え!?ほんとに!?』
パアッと顔を輝かせたみことを巽が立ち上がらせる
『こっちの手にお前の手を・・・重ねて置いてくれ・・・』
巽がケガをして上手く動かせない右手を胡坐を組んだ足の上に置いて、その手を開く
『手を・・・ですか?どっちの手で・・・?』
キョトンとした表情で両手を掲げ挙げたみことが、巽の「どちらでも・・・」という答えに、結局両手でその手を包み込んだ
『さっきみたいに邪気を弾くんじゃなく・・・お前の中暖かくて幸せな思いを俺の中に流し込む気持ちで握ってくれればいい・・・』
そう言って目を閉じた巽に・・・みことも言われたとおり満開の桜の下で母と過ごした幸せな時を思い浮かべ・・・目を閉じた
握られた手から、巽の中に暖かい陽だまりのような力が注ぎ込まれる
その力が全身に満ちて・・・巽の体を内側から活性化させていく
ゆっくりと・・・肩のケガから痛みが引き、みことの持つ浄化の力がその邪気を少しずつ消し去っていく
その心地良い暖かな波動に満開の桜のイメージが重なり・・・・
巽の中の遠い記憶が呼び起こされた・・・
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