ACT 19
『千波さん・・!!』
みことの手を掴んで引き寄せる・・ほんの瞬きほどの間に甦った記憶に巽がその名前を叫ぶ
その刹那
綜馬の胸元に掛かっていた念珠が弾け飛び、綜馬の体から抜け出た黒い影が裂けた口となってみことに向かって襲い掛かった
一気に輝きを増したみことの体を、巽がきつく抱き寄せてその耳元で囁く
『分かったぞ!その力を最大限に発揮できる方法が・・!』
『えっ!?』
その言葉と抱き寄せられた驚きに、みことの放っていた輝きが一気に静まる
みことを庇った巽の背中に、大きく裂けた黒い口と牙が食い込もうとした瞬間
銀色に輝く巨大な獅子・・白虎が一陣の風と共に現れて、その裂けた口を跳ね飛ばした
『ガウルルルルゥゥ・・!!』
空中で静止した白銀に輝く四本足の巨体が、跳ね飛ばされて飛び散り結界に沿って黒雲のように広がった鬼の本体を・・威嚇するように黄金色に輝く鋭い眼光でねめつける
『白虎か!?』
振り向こうとした巽の視線が、胸に抱きこんだみことの見開いた銀色の瞳とその唇の動きに目を奪われた
『お・・かあさ・・ん!?』
『な・・!?』
みことの視線の先を追うように振り返った巽の視界に、威嚇の姿勢で唸り続ける白虎の背で揺らめく白い影が映る
長い髪を緩やかに風になびかせ・・・
まるで微笑んでいるかのような陰影を白い影の中に浮き上がらせていた
『千・・波さん!?』
その白い影に吸い寄せられるように見入っていた巽の頭の中に、威厳に満ちた厳かな野太い声がこだまする
(『・・・・うつけ者!我が手助け出来るはここまでぞ!!この好機逃せば、うぬらが命亡き者と思え!!』)
白虎の黄金の獣の目が、一瞬、巽の灰青色の瞳と交錯する
その声に、巽が弾かれたようにみことの両腕を掴んで立ち上がらせ、叫んだ
『歌え!みこと!!お前の母親が・・千波さんがお前に託した歌を・・!お前の心のままに!!』
みことの体がドクンッと震える
目の前にある・・巽の灰青色の瞳に自分の銀色の瞳が映りこみ、青銀にその色を溶かしこむ
体の芯から湧き上がる暖かい波動を受けて、みことの口から滑るように歌が流れ始めた・・・
(・・・そうだ・・思い出した・・この歌・・毎日、桜の木の下でお母さんが歌ってた・・。今までずっと思い出すのが怖かった・・歌ってしまったら、お母さんとの思い出が消えてしまいそうで・・・この人に・・巽さんに会えなくなりそうで・・)
高く・・・
低く・・・
妙なる旋律を響かせて・・
全ての魂を愛しみ、讃え、許す・・・
その歌声に、虚空で蠢いていた鬼の本体が呪縛されたようにその動きを止めた
まるでその声を聞くのを恐れるように・・・鬼は、散らばっていた暗雲のような影を寄せ集め、闇色の人型となって耳を塞ぐ
『・・ヤメロ・・!バカナ・・コレホドノ・・ジュリョクガ・・ナゼ・・!?』
暗闇の色を放つ鬼の双眸が、白虎の背に乗る白い影に注がれた
答える術を持たぬその影に代わり、白虎の重々しい声が答えを返す
(『・・愚か者、呪力の源はお前が人であったときの心・・!我が主がお前に与え続けたもの・・!』)
『・・ココロ・・ダト!?バカナ・・バカナ・・!!』
白虎の黄金色の瞳の中で、闇色の双眸の奥に微かな光が宿りつつあった・・・
青銀に滲む巽の瞳に魅せられたように、みことの口からその歌が止めどもなく自然と流れ出る
幼い頃、毎日聞いていたとはいえ・・一度も歌った事のないはずの歌だった
それが何故、今、こうして歌えるのか・・・?
その答えが、目の前にある青銀に滲む巽の瞳にあるような気がしていた
その巽の表情に・・それまで一度も・・誰にも見せたことがない、極上の笑みが浮かぶ
『・・もう一度聞きたかった・・もっと聞かせろ・・・!』
一目見ただけで誰もが心奪われるその笑みを更に寄せ、巽がみことの耳元にささやきを落とす
途端にみことの心拍数が一気に跳ね上がり・・新たにみことの中で湧き上がった暖かな波動が、枯れる事のない泉のようにみことの体から溢れ出る・・・
桜色から銀色へとその色を変え・・暗闇を照らし出す
まるで地上に降り立った淡い太陽のように・・・ついには金色の輝きとなって全ての闇を溶かし、暖かな波動でその全てを包み込み、清め、洗い流していく・・・
みことは胸の前で両手を組んで、祈るように歌う・・・さながら地上に降り立った天使のように・・・
その輝きに目を細めた巽が、ソッとみことの腕を放して綜馬の方へ屈みこむ
みことを中心に金色に広がる波のような波動が、静かに・・しなやかに・・四方へと広がっていく
その波動を受けた綜馬の体が、抱き起こした巽の腕の中でピクッと身じろぎを返した・・
『・・・よ・・う、なんや・・俺・・生きとるん・・・?』
ゆっくりと目を開けた蒼白だった綜馬の顔つきが、みことの波動を受けて・・血の気を取り戻していく
金色の光の波に触れたむき出しの地面から、ザワザワと草や花が芽吹き・・花を咲かせる
その光の波が綜馬の体にしみこんだ邪気を洗い流し、その細胞を活発化させて綜馬の傷ついた体をも回復させいく
徐々に生気が戻っていく綜馬の顔色に、巽がようやく安堵のため息をもらした
みことの歌う歌声と、体に染み入る暖かな波動を綜馬が全身で感じていた・・・
『・・・不思議やな・・この歌、一生忘れへん・・!そう思とったのに、今の今まですっかり忘れとった・・。この歌を歌ってたんが・・?』
『ああ、みことの母親・・千波さんだ・・千の波と書いて千波・・そう言っていた』
『ちなみ・・!?みことの母親の名前が・・千波・・!?』
ガバッと体を起こした綜馬が、傷の痛みを忘れて歌うみことを凝視する
『綜馬・・・?』
『・・・お・・・い、巽・・あれ・・やばいんとちゃうか・・・!?』
綜馬の視線の先で・・人の形で蠢く闇が、みことに向かって一歩一歩よろめきながら近づいていた・・・
『・・っ!?みこと・・!!』
叫んだ巽にみことが一瞬、視線を合わせ・・・微笑み返した
その笑みに、巽がク・・ッと低く喉で笑う
『・・・すごいな・・あいつは・・・いきなり突きつけられた力を、真っ直ぐ受け止めてる・・・』
『巽・・・?』
『・・・あの鬼を・・自分を殺そうとした奴を・・救うのか・・?』
闇色の鬼火を揺らめかせながら進む鬼の体が、みことの放つ金色の波と歌う旋律に合わせて戦慄く
まるで波紋を広げる水面のように、鬼の体が浄化され、小さくなっていく・・・
鬼の体を成していた体が崩れ・・・
金色の波ととともに溶け出して・・・みことの放つ光の中に溶ける・・・
みことは、微笑んだまま・・・伸ばされた闇色の鬼の指先を見つめた
そして・・・
みことを包む金色の光の環に触れた途端
闇色の鬼の双眸の奥にあった微かな光・・・それだけを残して、闇色が弾けとんだ
今にも消え入りそうな青白い火の玉・・・
それが唯一つ残されて、歌うみことの周りをゆっくりと歌に合わせて廻る
フ・・・ッと歌うのを止めたみことが、その青白い火の玉に手を伸ばし・・・・触れた・・・・
途端に火の玉から眩しい光が放たれて、みことの視界が真っ白になる
思わず閉じた瞳をみことが恐る恐る開くと・・・
目の前に、長いプラチナ・ブロンドの髪を緩やかに後ろ手で束ねた、背の高い灰色の瞳の若い青年が見たこともない異国の服を身にまとって立っていた・・・
『・・・・え!?あ・・・あなた・・・は・・・・!?』
銀色のガラス玉のような瞳をあらん限りに見開いて、みことはその異国の青年を見上げた
青年はみことの顔をジッと見つめ、弱々しく微笑むとみことの胸元を指し示した
『え・・・・?』
ハッとみことが胸ポケットから小ぶりな石を、取り出した
それは、桜の木の根元から出てきた真ん中に穴が開いた石・・・だった
父と母の形見のような気がして・・・どこへ行くにも肌身離さず身につけていた物だ
『これ、あなたの物なんですか?』
懐かしげにその石を見つめた青年が、異国の言葉で答えを返す
その言葉を耳にした巽の表情が強張った
(・・・この言葉・・・古代ノルド語・・・だ・・・!)
その言葉は、巽が母親から口伝で教えられ覚えた言葉・・・
今では使う人間すらいない失われた古い言葉ではあったが、その響きを忘れようはずもなかった
言葉として耳で理解するのと同時に、同じ内容が直接頭の中に響いてくる
(『ありがとう・・・よくそれを持っていてくれた・・・。それは私に残されたたった一つの希望・・・。人であった時の心の欠片・・・。異形の者としてこの地で追われ・・・鬼にその心を落とした私の最後のよりどころ・・・』)
『異形の・・もの・・・・』
その言葉にみことの心が激しく揺れる
あまりにも似通ったその青年と自分の容貌・・・
時を違えて生まれていれば・・・ひょっとしたら自分も鬼になっていたかもしれないのだ・・・
(『私とよく似た姿を持つ者よ・・・願わくば、私をその石に封印してはもらえぬか?私の魂は死ぬ事を許されていない・・・』)
『え・・・?死ぬ事を許されないって・・どういうことですか!?』
『・・・契約・・か?』
いきなり頭上から落とされた言葉に、みことが驚いて振り返る
みことの背後から、巽がみことの持つ石を覗き込んでいた
その思わぬ至近距離にみことが思わず真っ赤になって後ず去ろうとしたが、巽が背後からその体を抱きこむように、持っていた石をみことの手ごと自分の方へ引き寄せた
『た、巽さん・・!?』
真っ赤になって逃げを打ったみことの手を握る指先に力を込め、巽が不機嫌そうに呟く
『ジッとしていろ・・!よく見えないだろう・・・!』
『う・・・・ッ』
願わくば・・・早鐘を打つ心臓の音が巽に聞こえませんように・・・!真っ赤になりつつみことが上目使いに巽の真剣な表情を見上げる
先ほど大量の力を放出したはずなのに・・・巽にこうして触れられると、再び体の芯から新たな力が湧いて来ることにみことはまだ気がついていなかった
『・・・ルーンが刻んであるな・・だが古すぎて半分以上消えかかってる・・・。これが契約の内容だったのか?』
(『・・・いいえ。それは交わした契約のために支払った代償・・・もう、二度と取り戻せない・・私にとってかけがえのないものだったはずの物・・・』)
『かけがえのないもの・・・?』
巽の脳裏に千波の言った言葉が甦る・・・確か同じ言葉を千波は言っていた・・・
『それは・・・なんだ?』
巽の問いに、異国の青年は弱々しく首を振る
(『契約を果たさぬ限り・・・それを思い出すことも、手に入れることも出来ない・・・代償とはそういうものです・・・』)
『・・・道理だな・・・。契約の内容は?』
(『・・・・それが・・・鬼に人であったときの記憶を全て奪われてしまって・・・私自身思い出せないのです・・交わした相手が最高神「オーディン」であったということ以外・・・・』)
『オーディンだと!?神と契約を交わしたのか!?』
叫んだ巽の胸元にある銀色のロケットが、冷やりと一瞬、巽の熱を奪い去った・・・
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