ACT 8
・・・ようやく少年が泣きやんだ頃。
遠くの方から巽の名前を呼ぶ綜馬の声が聞こえてきた。
慌てて少年の頭を胸からはずし、巽がポケットからハンカチを取り出した。
『・・・ほら、もう気が済んだか?』
『・・・あ・・・あり・・がとう・・ございます・・』
まだ落ち着かない嗚咽を必死に整えようと深呼吸を繰り返す少年が、泣きすぎて真っ赤になった目元と鼻水だらけの顔を、ハンカチでゴシゴシ・・と勢いよく拭いている。
その仕草が・・・本当に幼い子供のようで、見ているとつい、微笑ましくなって笑ってしまいそうになる。
そんな久々に抱く忘れかけていた感情を・・・巽が持て余したように視線をそらし・・・
その感情を吹っ切るかのように、綜馬の声のするほうに呼びかけて居場所を知らせた。
『おーーい・・?なんや・・・そないな所におったんかいな。探したやないか・・!でな、なんや寮の方には居らんよう・・・!?』
駆け寄ってきた綜馬が、巽の後ろに居た少年を見て唖然とした顔つきに変わった。
『あーーーーーっ!!お前!!みこと!やろ!?』
ハンカチでようやく顔を拭き終えて顔を上げた少年を指差して、綜馬が大声で叫ぶ。
『なに!?』
驚いた巽も「みこと」と呼ばれた少年を振り返る。
名指しでいきなり自分の名を呼ばれ、指差された少年は二人以上にビックリした顔つきになって問い返した。
『・・・!?あの、何で僕の名前・・・知ってるんですか?』
巽を押しのけて、みことの前にズイッ・・と歩み寄った綜馬が、マジマジとその全身を眺め回す。
『やっぱりや・・!寮に居ったほかの生徒から聞いたとおりやな。アルビノなんて始めて見たけど・・・あ、気ぃ悪うせんといてや。俺、思った事は素直に口にする性分やから・・・けど、キレイやな!ええ感じやん?』
そう言って、ニコッと笑いかける綜馬に・・・みことが戸惑ったように後ずさる。
『あ!悪い悪い!そう怯えんといて!俺、辻 綜馬。こう見えても高野山の坊さんや!で、こっちが鳳 巽、俺の友達で本業は翻訳家っちゅう、無駄にキレイな奴や、よろしくな!』
『高野山・・の・・お坊・・さん・・!?』
綜馬の全くそれらしくない雰囲気と言葉遣いに、みことが目を丸くする。
『・・・で、今日来たんは、宅地造成中の山の中に在った千年桜のことやねんけど・・・知ってるな?』
綜馬のその問いに、みことの表情がサッと青ざめる。
『・・・し・・知りません・・・!』
顔をうつむけて・・・震える声で言うみことの態度は、どう見ても・・・知らないという雰囲気ではない。
『・・・そ・・・か、知らんか・・・じゃ、もし、「さくらもり」っちゅう名前の奴に会うたら言うといてんか?目覚めたもんは封じなあかん。俺たちはそのためにここへ来た・・・てな・・・!』
ハッと顔を上げたみことと目を合わせた綜馬が、ニコッと笑う。
『・・・な?八瀬みこと(やせみこと)くん?』
『・・・!?』
息を呑んで綜馬を見つめるみことを置いて・・・綜馬が巽の腕を引っ張ってもと来た道を戻っていく。
『おい・・!綜馬、さくらもり・・・って、「桜守り」の意のある「桜杜」か!?』
巽が声をひそめて綜馬の表情を伺う。
チラ・・と巽を流し見た綜馬の顔が、それを肯定していた。
『・・・「嫌な話」ってのが見えてきたな・・・「桜杜」は封じていた物に対する「贄(にえ)」・・・か』
『・・・ああ、恐らく「八瀬」は「封じ名」やな・・・比叡山の「八瀬童子」・・・神の力を借りて忌まわしき物を封じる者の名前や・・・。どうやら、高野のオオダヌキどもは何や大きな隠し事をもっとるな・・・・!』
『いいのか?あのまま放っておいて・・・?』
後ろを振り返りもしない綜馬に、巽が意味深な薄い笑みを口の端にのせる。
『・・・・あれで追いかけてこんかったら「桜杜」やないやろ・・・』
同じくニヤ・・と笑った綜馬の背後から、パタパタパタ・・・と駆け寄ってくる足音が近づいてくる。
『・・・ま・・待ってください・・!あの・・・!お聞きしたい事が・・・!』
雑木林を抜ける一歩手前で振り返った綜馬と巽に、みことが軽く乱れた息を整えながら言った。
『・・・僕・・・僕が、桜杜 みことです!母が亡くなるまで、その名前でしたから・・・。でも、その名前に何か意味があるんですか!?何日か前にも刑事さんが同じことを聞きに来てて・・・僕・・恐くてずっと隠れてたんですけど・・・』
まだ怯えの抜けきらない表情で言うみことの頭を、綜馬がクシャ・・と撫で付けた。
『・・・で、何で俺たちには言う気になったんや・・?』
その問いに・・・みことの視線が一瞬、巽へ向けられ・・・慌てて真っ赤になってうつむいた。
『・・・?ほ〜〜〜〜お〜〜〜〜?』
そういえばさっき・・・みことが泣きはらした目だった事を思い出した綜馬が、ニヤニヤと巽を振り返る。
『・・・な・・・なんだ・・・?』
その嬉しそうな綜馬の視線に・・・巽がこの上なく不機嫌な声音で言い返す。
『いやぁ・・・巽くんもなかなか隅に置けへんなぁ〜・・・?』
『バ・・ッ!俺は何も・・・!』
言いかけた巽が・・・ジッ・・・と何か言いたげな瞳で見返すみことの視線とぶつかって・・・怪訝そうに眉根を寄せた。
『・・・俺の顔に何かついてるか・・・?』
『あ・・・!ご、ごめんなさい・・!そうじゃなくって・・・』
再び真っ赤になってうつむいてしまったみことに・・・綜馬がバンバン・・とその肩を叩いて慰めるように言った。
『気を落とすな!みこと!こいつはそういうことに関して超がつくほど鈍感なんや!自分の容姿が一目ぼれさせるほどのもんやという自覚が欠片も無い奴やからな!それより、どっか落ち着いて話せる場所ないか?聞きたい事も、聞かなあかん事も結構あるやろ・・・?』
綜馬の勝手な決めつけに更に真っ赤になったみことが、しどろもどろになって否定しようと口を開いたが・・・綜馬の全く悪気の無い笑顔と強引さにつられてその言葉を飲み込んだ。
『・・・あの・・・僕の寮の部屋でよければ・・・この辺、日曜日どこのお店も閉まっちゃってるから・・・』
『よっしゃ!ほな、案内頼むな!みこと・・!』
みことに案内されて部屋へと向かう間、ずっと綜馬はニヤニヤ・・と巽に笑いかけ・・巽はそれをムッとした顔で受け流していた。
全寮制・・・とはいえ、近くから来ている生徒も多く・・・土曜・日曜は自宅に帰ってしまうようで、寮の中は閑散としていて人影も無い。
みことの部屋は一階の一番奥まった場所で・・・相部屋の造りになっていたが、もう片方の机やベッドは空いたままになっていて・・・突き当たりにある窓から入り込む陽射しが、みことのあまりに寂しい私物を照らし出していた。
6畳ほどと思える室内には、2組のベッドと机と本棚。
もともとそこに据えつけられた家具の他はほとんど物が無く、殺風景極まりない部屋であった。
『・・・・おい、みこと・・・?お前、ほんとにこの部屋に住んどるんか!?』
あまりに生活の匂いのしない部屋の様子に、綜馬が怪訝そうに聞く。
『あはは・・・ほとんどさっきみたいに外に居てばっかりだから・・・寝るとき以外使っていないかも。あ、どうぞ・・・その辺適用に座ってください』
恥かしそうに・・・寂しげな笑みを浮かべたみことが机の横にチョコンと正座して座った。
綜馬は使われていないベッドに腰掛け、巽は突き当たりにあった窓に寄りかかるようにして立ち・・・外を眺めている。
殺風景な部屋ではあったが、みことにとっては慣れた自分の居場所なのだろう・・・ようやく安心したような落ち着いた声音と顔つきになり、銀色の髪をふんわりとかき上げながら笑顔を見せた。
『・・・あの、桜杜って、何か意味がある名前なんですか・・・?』
その不思議な磁力を秘めた笑顔に・・・一瞬厳しい顔つきになった綜馬が、巽を振り返って視線を合わせる。
巽が小さく頷くと・・・みことを真っ直ぐに見つめて言った。
『桜杜は、「桜を守るもの」の意味を持つ名だ。桜の持つ特性・・・人の心を惑わし、狂わせ、魅了する・・・その力を使って何かを封じたり呪力をかけられた特別な桜・・・それを守り、保っていく事の出来る力のある者が受け継ぐ名・・・・』
巽の静かな・・・凛とした声が部屋にこだまする。
『ア・・・・ッ!』
ハッとしたように顔色を変えたみことの脳裏に、うねるように深く地中に食い込んでいた桜の根と、湧き出てきた不気味な蒼白い形の無い物体・・・・!そしてちぎれた腕に食らいついていた鋭い牙が並んだ裂けた口・・・が浮かぶ。
『・・・桜を・・・守る・・・?その・・・桜を守れなかった桜杜は・・・?どうなるんです・・・か・・・?』
まるで悲鳴のように耳にこびりついて離れない木の根の裂ける音から逃れようと・・・みことが耳を塞ぐ。
その・・・塞いだはずのみことの耳に、巽の声だけがまるで直接頭に響いているかのように聞こえてくる・・・。
『・・・桜を守れなかった桜杜は、自らがその桜となって目覚めた物を封じる力があると言い伝えられている・・・お前が真に桜杜なら、何かを・・・封じるための力を受け継いでいるはず・・・』
耳を塞いで震えているみことの前で、いつの間にか座禅を組んだ綜馬が・・・胸の前で両手を複雑に組み合せて印を切り、真言を唱える。
その・・・いつもの綜馬からは想像も出来ない迫力と真剣な表情で、九字を切った。
途端にみことの体が丸い光り輝く球体で覆われる。
『巽!「八瀬」にかけられた「封じ名」の呪力、解くぞっ!』
綜馬の呼び声に球体の前に立った巽が、スッとそれに手を触れる。
『みこと・・・封じられた物を解放しろ・・・!』
球体の中に居るみことの体が、巽の声に反応してビクンッと震える。
『開!』
一際高く唱えた綜馬の声と共に・・・みことを包んでいた球体の輝きが弾け飛ぶ。
綜馬と巽の視界が一瞬真っ白になり、次の瞬間、降り注ぐ桜の花吹雪の中に立っていた。
辺りは満月の月の光に煌々と照らされて・・・地面に降り積もった花びらが蒼い月の光を反射してさながら淡い雪のように輝き・・・柔らかい風にその雪肌を躍らせる。
ふと上を見上げれば・・・まるで一面の雲海のように枝を伸ばし咲き誇る桜の大木。
お互いに顔を見合わせた巽と綜馬が、聞こえてきた幼い声にハッと振り返った。
『おとうさん!おとうさん!お客様だよ・・・!』
降り注ぐ雪のような花びらと同じ・・・蒼い月の輝きを映した銀色の髪。
ぱたぱたぱた・・・・と可愛らしい足音を響かせて桜の木に駆け寄ってきたのは・・・巽が見た夢の中の年頃と同じ幼い頃のみことだった。
そのみことが息を弾ませて木の幹に触れ、小さな手をいっぱいに広げて抱きついている。
『おとうさん!早く出てきてよ!おかあさんが呼んでるよ・・!』
甘えた声で満面の笑みを浮かべたみことの笑顔は、先ほどの言い知れぬ磁力を秘めた笑みなどではなく、見ている者を幸せな気持ちにさせてくれる・・・天使のような無垢な笑顔。
抱きついていた木の幹が・・・まるで生き物のように波打ったかと思うと、あっという間にみことによく似た面差しの、優しげな笑みを浮かべた一人の男の姿となって現れた。
みことの小さな体を抱き上げて・・・笑い声を響かせながらその先の小さな明かりが灯る家の方へと歩いていく。
目を見開いてその二人の様子を見つめていた巽と綜馬が、呟きあう。
『・・・あい・・つ、半精霊やったんか・・・!』
『・・・人と精霊・・・しかも桜の精霊と人の間に生まれた子は最大の「禁忌の子」と言われる存在・・・禁忌を犯したものの運命は・・・!』
ハッと口を閉ざした巽の表情が・・・苦痛に歪む。
『綜馬・・・!!』
ガ・・ッと綜馬の肩を掴んだ巽に、綜馬が力なく首を振る。
『あかん・・!もう、無理や・・・一度解いた「封じ名」の呪力は止めようがない・・!どっちにしたって、あんな風に・・・呪をかけられたせいで磁力を発散させた笑顔のままにしておけんやろ!』
呪をかけられた者は時として、その反動のように人の感情をざわつかせる磁力を発散させ・・・封じられた物に近しい物を惹き付けてしまう。
みことの場合、その笑顔が磁力のように人を惹きつけ咲き誇る花を手折りたくなるような・・・危うい感情を呼び起こしていた。
・・・と、不意に風が強くなり、春の嵐のような桜の花吹雪が視界を奪う。
『いやだっ!!』
先ほどの甘えた声とは程遠い、緊迫した子供の声が更に嵐を呼ぶ。
目を開けていられないほどの嵐の中で、ただ声だけが巽と綜馬の耳に響く。
『・・・決してあなたのせいじゃない・・・これは私が望んだ事。みことを生むことを・・あなたに出会える事を望んだ私の願いだから・・・』
『どうして・・!どうして、お別れなの!?消滅って何?どうして、おとうさんとおかあさんとお別れしなきゃいけないの!?』
『・・・忘れないで・・みこと。私たちはあなたを心から愛してる・・・その思いをあなたの中から消さないで・・・いつまでも覚えていて。それがある限り、私たちはあなたと共に心の中に生き続けられるから・・・』
『おかあさん!まって・・!おとうさん・・っ!!』
突然の大地を揺らすような轟音と、閉じた目の中にまで突き刺さってくる眩しい閃光。
体中にビリビリと電気が地を伝ってくるほどの・・・激しい落雷。
一瞬にして嵐が止み、ハッと目を開けた二人の目の前に、天を焦がす勢いで燃え盛る桜の大木。
その桜に寄り添うようにして立っていた炎に包まれた人影が・・・燃える花びらと共に天へと崩れ去り・・・火の粉となって舞い上がる。
広がる火炎は巽と綜馬の足元にも忍び寄っていた。
『あかん・・!みことの意識にこれ以上同調しとったらほんまに焼け死ぬで・・・!脱けるぞ・・!巽!!』
『先に行ってろ・・!後のフォロー、頼んだぞ・・!』
叫んだ巽が脱兎のごとく火炎の中へ飛び込んでいく。
『な・・・っ!?巽!!』
慌てて後を追おうとした綜馬の眼前に勢い良く炎が湧き上がる。
『・・・くっ・・・!この・・あほっ!外から覚醒させろってか!?無茶ばっか言いやがって・・・!!』
言い捨てた綜馬の姿が、次の瞬間炎の中から掻き消えていた。
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