野良猫
ACT 26(祐介)
そこへ辿り着いた時、周囲はすっかり闇に包まれていた。
プレハブの建物の前に何台かの車が停まっていて、そのうちの一台は、確かに見覚えのある影司専用の社車だった。
どうしてもっと早く気づかなかった!?という憤りと呵責の念に苛まされながら車を飛び出し、その名を叫んでいた。
途端、建物の中から飛び出して山の中へ駆け出した人影…!
ヘッドライトに一瞬照らし出されたその顔は、影司だった。
建物の中は真っ暗で、周囲にも人の居る気配はしない。
もしも塚田達がまだ生きているのなら、真っ先に飛び出してきているはずだ。
恐らく、塚田達はもう…!
「っ!一条、光紀を頼む!」
「分かった!無茶すんなよ!!」
もちろん、光紀が無事なのかどうか、それを一番最初に確めたかった。
だが、今ここで影司を取り逃がすわけには行かない。
いや…正直に言えば、怖かった。
光紀がどんな目に合って、どんな状態なのか。
ひょっとしたらもう、死んでいるかもしれない…。
それを、知ることが。
「影司!!」
暗闇に包まれた山の中を、何度も木にぶつかり転がりそうになりながらその後を追う。
眼が慣れてくると、前を走る影司の後姿をはっきりと捉えることが出来た。
影司が向かっている方向は山の斜面を削って土砂を搬出している側の方だったはず…。
それを証明するかのように連なっていた木々が切れ、ゴツゴツとした岩場へと出た。
現場にも時々顔を出していたから、この辺の状態も把握している。
ここから先は、確か…!
「影司!待て!!そこから先は崖だぞ!」
叫んだ途端、影司の足が止まった。
「…影司、お前、俺を騙してたのか?」
その先は崖、逃げ場はない。
大きく肩で息をしている背中と用心深く距離を取り、問いかけた。
闇の中、捉えられるのはそのシルエットくらい。
振り返った影司の表情までは良く見て取れなかった。
「ち…がう、俺は、あなたを騙す気なんて、なかった。あなたが、いつもどおりさっさと塚田を潰していれば、こんな事、しないで済んだ。いつもどおりの遊びなら、あの子だってあんな目に遭わずに済んだんだ…!」
”あんな目”という言葉に、影司を見据える視線に殺気が宿った。
「…光紀に、なにをした?」
「何も…俺は何もしてませんよ、全部あいつらがやったんだ。悪いのはあいつら…だから、あの子に恨みを晴らさせてやった、それだけだ」
「恨みを晴らさせる…?」
「ええ、殺させてあげたんです。あいつらを。でも大丈夫、薬物による心神喪失状態…罪には問われない。あんな奴ら殺して罪を被らなきゃならないなんて、そんなの理不尽でしょう?あんな連中、死んで当然なんだから…!」
アハハ…!と影司が渇いた嘲笑をあげる。
その笑い声に、胃液が逆流するような怒りが湧き上がってくる。
「殺させた…だと…?罪にならない…だと…?自分が罪を被らない為に光紀を利用したのか!?光紀が何をした?なんだって光紀を…!」
湧き上がる怒りそのままに責め立てた途端、影司の気配がユラり…と変わった。
「…うるさいなぁ」
思わず息を呑む、凶悪な気配。
「な…っ、」
「…みつき、光紀、光紀って、うるさいんですよ…。あなたがそんな風に呼ぶから…滑稽なくらい必死に庇ったりするから…!先に騙したのはどっちです?そいつと会ってたくせに、会ってない様に見せかけて、俺だけ除け者扱いして…!」
「え…いじ…、」
「あなたが誰も側に置かないって言ったから、もう誰にも本気にならないって言ったから…!だから、俺はあなたの側に居て、あなたの役に立てればそれでいい…って、そう思ってたのに!あなたのせいだ!!」
「…っ!」
その言葉に、昔の映像がフラッシュバックして息を詰めた。
『…あなたの役に立ちたかった…』
そう言って、血まみれで…俺の腕の中で死んだ奴。
若い頃からうちの組に居て、目をかけていた。
俺の役に立ちたいから…そんな理由で敵対していた組に潜り込んで、見つかって…凄惨なリンチにあって組の事務所前に捨てられた。
相手の組は叩き潰して仇は取った。
けど、そいつには女が居て子供も居て…。
その女にとっては仇を取った事など、何の意味も持たない事だった。
女は、俺を恨んでいた。
『あなたのせいよ!』
そう、言った。
そして、その恨みの標的は、俺じゃない所に向けられた。
もう二度と、あんな事にならないように…!
そう思っていたのに…!
「な…んで、何で、俺じゃないんだ!?俺のせいだって言うのなら、俺を殺せばいいだろう!?」
あの時と同じ言葉を叫んでいた。
涼(すず)を失った、あの時と…!
その俺の声を聞きつけたのか、背後から『真柴!無事か!?』という一条の声が駆け寄ってきた。
そして、それとほぼ同時に、
「だめーーーー!!」
そんな声と、
『パーン…』
聞き間違いようのない銃声が響き渡った。
ハッと振り返ると、すぐ後に居た一条と目があった。
『今のはなんだ!?』そんな言葉を視線で交し合う。
「…ああ、死んじゃったのかな?」
呟くように言った影司の言葉に、その胸倉を掴みあげていた。
「どういう意味だ!?」
「…っ、だ…て、あんな目にあって、もう…あなたに会えるわけ…!」
「な…!?」
その言葉に、背後の一条から息を呑んだ声…!
「しまった!塚田達を撃った銃…!」
「ええ…、あの子が…っ!」
バキ…ッ!
影司の言葉が終わらない内に俺はその顔を横殴りに吹っ飛ばしていた。
「一条!そいつを逃がすんじゃないぞ!!」
背後に居た一条に言い捨てて、駆け出した。
脳裏に張り付いたままの、血まみれだった涼(すず)の映像を振り払いながら。