野良猫
ACT 28(祐介)
背後から駆け寄ってくる足音。
「真柴!うしろ…!」
聞こえた一条の緊迫した声音。
振り返る間もなかった。
立ち止まった瞬間、背中に感じた痛み。
身体の中に感じた、冷たい、硬質な感触。
こんな事、今までに何度もあった。
身体の中に感じる異物の感触から言って、短いアーミーナイフかなにか…。
相手が玄人だったら、突き刺したナイフを捻られて致命傷になっているところだ。
でも、影司は素人…突き刺したナイフを抜き去る事もしなかった。
「祐介、さ…!」
よろめきかけて手をつき、何とか体勢を立て直すと同時に聞こえた、その、声。
ハッと視線を凝らすと、そこに、光紀が居た。
一条の物らしき上着を着て、腕の中に、なぜかやっこちゃんを抱いて…そして、生きていた。
脳裏にこびりついて離れなかった涼(すず)の血まみれの映像が消し飛んで、俺をしっかりと見つめている光紀の無事な姿が焼き付けられる。
「み…つき!良かった…無事で…!」
刺された事も、その痛みも、一瞬、吹き飛んだ。
光紀が生きていた…!その嬉しさに思わず笑みが浮かんだ。
けれど。
すぐ側で何かが動く気配に、背後に居た影司の存在と痛みを思い出す。
「え…いじ…!」
怒りを滲ませて振り返ると、目の前で影司が石を掲げ上げて振り下ろそうとしていた。
「あなたが、望んだんだ…!」
その言葉に、俺は振り下ろされる石を避ける…という行動に出ることが出来なかった。
光紀の代わりなら、それでいい。
俺を殺すことでこれ以上光紀に手を出さないなら…。
それで影司の気が済み、光紀を守れるなら、それでいい。
そう思った。
だが、渇いた銃声と共に影司の腕から血が飛び散って、振り下ろされた石の狙いは反れ、それは側頭部を霞めて肩に落ちた。
外れたとはいえ、肩に受けた衝撃はかなりなもので…思わず呻き声を上げた途端、弾みでよろめいた反動を利用するように、影司が俺の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
通常の引きの強さじゃなかった。
明確に、意図を持って、俺の身体を引き寄せ、影司の足が地を蹴って後へ倒れこむ。
「…外れ、俺の勝ち…」
勝ち誇ったような声音が斜め上から注がれる。
一瞬、無重力のように身体が浮き、最後に見えた光紀は銃を構えたまま茫然…とした顔をしていた。
人は最後の時、走馬灯のようにそれまでの人生を視る…と聞いた事がある。
今、目の前にみえているのが、そういうものなのか?と、漠然と思った。
「…す、ず?」
呼んだその名前に応える様に微笑んで、影司に抱き抱えられたまま下に向かって落ちていく俺の首筋に、懐かしい華奢な涼(すず)の両腕が絡んでくる。
『…もう、大丈夫ね?』
そう、耳元で涼(すず)が囁く。
「え…?」
『…あなたのせいじゃないの、だから、自分を責めないで』
「涼(すず)…!」
『これが、最後。後は、あの子があなたを守ってくれる…』
ただの幻覚。
ただの幻。
一瞬の夢。
言葉に変えれば、そんなちゃちな一言で終わらせられる。
けれど、背中に激しい衝撃を感じた時、俺は確かに、何か温かなものに包み込まれていて、その衝撃とともにその何かが砕け散った。
『…生きて』
そんな、言葉と共に。